透明人間を捕らえよ(完)
「ケッ。
ドスッ
いつの間に背後に回ったのか、ローズの背中に1本の短剣が深く突き刺さる。
「口の悪いお嬢さんに一本追加だ。お前の体は小さい。体が小さいと毒はすぐに回る。そうだな。痺れが来るまで……」
突然ローズが駆け出した。「ウラァッ!」という掛け声と共にブンと風を切る音をたててローズの拳が突き出される。
が、残念ながらその攻撃は不発に終わる。
「クックック。毒の恐怖で錯乱したか? 一体どこを狙っている」
全く違う方向から鳴り響く声。だがローズはニヤリと笑い、
「ヘッヘ。素早いな。だが分かってるぜ? 今、ヤバかったろ」
「……」
ローズは拳を握りしめ、顔の前に持ってきてフッと息を吹きかけた。
と同時に何本かの短い体毛が落ちる。
「何と」
「ヘッヘ。あたしの拳をまともに食らえば……ハァハァ……一撃で、あの世行きだぜ。さあ……どっちが早く、死ぬかな……」
「拳圧で俺の髭を持ってったってえのか……恐ろしい奴」
死に近づき、感性が研ぎ澄まされてきたのか、この時姿が見えない筈のカイの声に合わせてキョロキョロと動くローズの目はほぼ、その位置をピタリと見据えていた。
「フッフ。こりゃあヤバい。お前が死ぬまで少し逃げるか」
「な、んだ、と……てめ――」
「良い考えだろう? ほっときゃお前は死ぬんだ。何も危ない橋を渡る……」
ガチャリ。
扉が開く。
中から顔を出した彼女を見てローズが絶望し、膝をつく。
今、ローズが見当をつけていたカイの位置、それはまさに酒場の扉の真横だったのだ。
「ローズちゃん!」
レイジットが血塗れで膝をつくローズの姿を見て悲痛な声を出す。
「バ……バカ! ひ、っこんで……」
小さく呻くローズに駆け寄ろうとしたレイジットだったが、即座に後ろから腕を掴まれてしまった。
「なんと! これはツいているぜ! これで俺は逃げる必要も無くなった」
「ぐ……クソッ……タレ」
遂に両腕を前に突く。恨めしそうにレイジットを見たローズだったが、はたとレイジットがカイからの死角で何かを持っている事に気付いた。
一瞬考え、それが何であるかに気付く。
(そうか……レイジット。だがお前がヤバい)
「いや! ちょっ!」
「ククク。良い所に来てくれたな」
ブンブンとレイジットは腕を振るが、鍛え抜かれた男の力でガッシリと右腕を掴まれて動けない。
「ヒィィ! 見えへん奴に掴まれてるぅぅ!」
「おい、ローズとやら。妙な動きをしたらこいつを殺すぜ」
片目を瞑り、もう片目は半眼となり、ダラリと力が抜け切ったローズは小さく言った。
「分かった……もう、お手、上げ……だ」
「ロ、ローズ、ちゃん……」
「ククク。まあもう限界時間は過ぎている。死んでいないのが不思議な……」
「お願いや、やめて!」
そう言って腕を掴むカイの場所を探り、抱き付いた。
「おっと何だお前。泣き落としか? 俺にそんなもんは……」
「捕まえた」
「あ?」
バシャッ!
「……テメェ……うわっ! な、何を掛けやがった!」
驚いたカイがレイジットを手放す。
レイジットは手に持っていた液体をカイの体に思い切りかけた。
「ケッケッケ。ギッちゃん特性の塗料や。これでお前の居場所、分かるやろ!」
「でかした、レイジット。逃げろ!」
それまで覇気無く、虚ろになっていたローズの目に力が宿る。実は既にこの時、彼女の四肢に感覚は殆どなく、完全に麻痺した状態だった。だが!
「おおおお! 『雷神』!」
ローズの希少スキル『雷神』は使用者に雷神カプリクスが憑依し、10秒間、体の全ての筋力が5倍となる効果を得る。全ての攻撃に雷属性を付与し、属性追加ダメージを与える。更にその効果は2倍になる。
体への負担は大きいがそもそものステータスが非常に高いローズが使うと絶級の破壊力を得る。
「死んだフリか。ケッ……馬鹿が!『透過』のスキルは
確かに塗料は付着した。
だがカイの言う通り、塗料の
「残念だったなぁ。希少スキルの無駄撃ちご苦労様ぁぁ」
遠ざかって行く声にローズは、
「クッ……クック。残念だったのはお前だ馬鹿者」
そう呟くと『雷神』効果で急激に高まった走力を生かし、あっという間にカイの目の前に迫る。
(ば、馬鹿な! こいつなんで俺の位置が……!)
バックステップで突進方向から外れながらカイの血の気が引いていく。だが!
「こっちか!」
(な、なぜ! ハッ……この匂い……匂いか!)
「死ねや、ボケがぁぁぁぁ!」
「行ったれ、ローズちゃぁぁぁん!」
一撃。
だが神の一撃だった。
ローズのそれを顔面に食らったカイは、そのままギルドを囲む石段にぶつかり、更にそれを破壊して血塗れになって転がっていった。
「へ、へへ。色々壊して……またリンに……怒られちまう……な」
毒が回り切ったのか、出血が酷かったのか、ローズはそのままバタリと前のめりに倒れてしまった。
「ローズ!」
消え行く意識の中、微かにリンの声が聞こえた気がしたが、やがてそれも消えローズの意識は途絶えた。
―――
(……ズ……)
(……ローズ……)
「ん……うるっせえな……リンか?」
目を開ける。
そこには何も無い。
真っ暗などこか、だった。
(ローズ)
「なんだよ……誰……」
彼女を呼ぶ声が大きくなる。
答えようとしてふと口籠った。
その声に応えてはならない気がした。
理由は分からない。
不意に視線の先に赤い光が小さく、小さく浮かんだ。
(ローズ……ローズ……)
彼女を呼ぶ声はどうやらそこから聞こえる様に思えた。
突然ローズはそれとは逆方向に走り出した。
あれに見つかってはならない、あれから逃げなければ、本能がそう告げたからだ。
(ローズ……私の……ローズ、ローズ!)
耳元で怒鳴られているかと思うほどの大音量! ローズは耳を塞ぎ、うるっせえ! そう叫ぼうとして声が出ない事に気付いた。
いつの間にか彼女の口を塞ぐ、皺の濃い手が見えた。手の主は居ない。手だけだった。
だがローズにはその持ち主が誰か分かった。
(ジジイ……アロイジウスのジジイ)
何故だか自分でも不思議だった。
だがそれは間違いなくアロイジウスの手であると確信出来た。
(喋るな、あれに答えるなって事か)
そう納得すると同時に彼の手が口から離れていった。
そして手招きをする。
ローズはそちらに向かった。
徐々に彼女を呼ぶ声が小さくなっていく。
そして ―――
「ウ……」
ローズは目を覚ました。
今度は見慣れた風景、自分の部屋だった。この天井が見えるという事はベッドに寝ているという事だ。
心臓がまだドキドキと高い鼓動を奏でている。
(なんだ、あたし。ビビってたのか? 夢なんかで……)
「ローズ!」
突然名前を呼ばれてビクッとした。だが先程の恐ろしい感覚では無い。
優しい声。彼女が好きな、いつも聞く声だった。
「良かった……ローズ。何ともない?」
ベッドの横には心配そうに覗き込むリンの顔があった。
「リン」
そう答えるとリンが眉を下げ、はああっと大きく息を吐いた。
「よ、良かった……ローズ、本当、良かったあ!」
「どうしたんだよ、何があった?」
ポカンとした顔で聞き返すローズに対してリンも同じ表情を浮かべる。
「え? 覚えてないのかい?」
「何を」
リンがレイジットから聞いたカイとの話を語り出す。
そもそも彼が駆けつけた時には既にローズは虫の息だった。急いでアクセルによって体力増強の応急処置がなされ、部屋に連れてきた後は解毒、麻痺解除、傷の治療が行われていた。
「カイと……そうだな、ぼんやりと覚えてるぞ。だがレイジットが出て来た辺りから記憶が無い」
「……」
リンは絶句してしまった。
記憶が無い状態で半ば本能のまま『雷神』まで出してカイを倒したのだ。
「尊敬するよ、ローズ。君は凄い奴だ」
「あ? そう? へへ。そうか」
「そうだよ」
「あ……」
ローズはふと最後のシーンを思い出した。
石壁を破壊してしまった筈だ。またリンに怒られる、そう思ったのを朧げに思い出したのだ。
「どうしたの? どこか痛むのかい?」
「いや……あの……ごめん、リン」
「え?」
頭をポリポリと掻いて上半身を起こした。痛みは無く、傷口も無い。だがリンが言うのだからあの戦闘は本当にあったのだ。
ベッドの端でリンの正面に座った。そのままペコリと頭を下げ、
「あ――……すまねえ! 石壁を破壊したのはあたしだ!」
突然の謝罪に驚いたリンは声が出なかった。
当然彼は石壁が壊れていた事位は知っている。むしろそこから入って来たのだ。ローズが倒れているのを見てもっと急げなかったのかと悔やまれてならなかったのだ。
「ローズ……」
「いや多分それだけじゃね――。あたしの記憶が正しければ酒場の中も無茶苦茶になってる筈だ。本当にすまねえ!」
顔を上げずにローズはひたすら懺悔する。
前に物を大切にしろと少し叱ったのがここまで彼女に浸透していたのが嬉しいやら悲しいやら、リンは自分でも訳が分からなかった。
「ローズぅぅ。ううう……」
「あん?」
怪訝気な顔付きでローズが顔を上げるとリンの顔がクチャクチャになっていた。
「え、え、おい、何でお前が泣いて……」
次の瞬間、ローズはリンに抱き竦められた。
「ちょ、お、おい」
「ローズぅぅぅ! 君は何て奴なんだぁぁぁ!」
「な、な、何だ、よ」
ローズを抱く腕に更に力が篭る。
「ローズ、俺が
「みんな……」
「ローズ。君が居てくれたからレイジットは助かった。でも君が死んでたら俺は自分でどうなってたかわからないよ。生きててくれて有難う! うおおおおい、うおおおい! 死んだら嫌だローズぅぅぅ」
そんな事を言ってリンは大声で泣いた。
ガチャッ!
「どうした!」
「チビ助!」
実はギルドの掃除をしていたアクセル、レイジット、そしてギットの3人はリンの大きな泣き声に驚き、まさかローズに万が一の事が、と急いで2階に上がって来たのだった。
「ローズちゃん、良かった」
リンに抱かれたまま、彼の肩越しにギット、アクセル、そしてレイジットと目が合う。
勿論レイジットがリンの事を好きだと知っているし、こんな場面を見られてはアクセルはともかくギットにどんな揶揄を受けるか分かったものではない。
だが。
レイジットはローズを見て涙を流して微笑んだ。
アクセルも泣きはしなかったものの、安心した表情を見せた。
そして犬猿の仲のギットまでもが揶揄うどころか大きく息を吸い、吐き、しぶといチビだ、そう小さく呟いて微笑んだ。
透明人間を捕らえよ(完)
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