透明人間を捕らえよ(4)

「はあ~~腰、った!」


 ここは『愛と平和』ギルドの酒場。

 レイジットは小さく悲鳴を上げて立ち上がると大きく背伸びをした。


「う~~ん。これでやっと半分かぁ。やっぱりローズちゃんに手伝てつどうて貰おかなぁ。でも寝てるとこ起こしたったら可哀想やしなあ」


 そんな事をボヤきながら反対側の壁へ、と振り向いた所で、


「ん?」


 妙な事に気付いた。


 ギィ……


 扉が開いている。

 無論、風で開くほどヤワな作りでは無い。


「あら? 閉め忘れてたかな。不用心やな」


 テーブルを1つ通り過ぎ、2つ目を通り過ぎようとした所で背筋にゾクリと冷たいものが走る。


(待って。今、テーブルの上になんかおった)


 今の今までそこには何もなかった。通り過ぎようとした瞬間にフッと人間らしき者が現れ、テーブルの上にいる気がしたのだ。


「は、は、は、んな訳……」


 恐怖で顔を強張らせながら恐る恐るテーブルの方へ向く。


 いた ―――


 いかにも暗殺者風の出で立ちに身を纏った男がテーブルの上に座り、恐ろしい目付きでレイジットを睨んでいた。


「ヒィィィィ!」


 ガタガタガタと近くの椅子を巻き込んで転がる。


 口髭と顎髭を生やし、頰が痩け、浅黒い。


(ここここいつ、ひょひょひょひょっとしてぇ!)


 チラリとしか模写を見ていなかった為、ハッキリとは分からなかったが目の前のこの男がリン達が追っているカイ・ルノーであろうと思えた。


 と同時に襲い来る絶望感。


(待ってや待ってや。みんなこいつ探しに行ってるやん。ちょっと待ってや、ひょっとしてウチ、大ピンチちゃうん)


「なななな……ちょ、何してんの」

「おや。こういう時、普通は『誰だ?』と聞くもんだが」


 ドキリとした。


 自分が誰か、お前は知っているのか? そう言われた気がした。


「そそそそんなん、知らんわ。じゃ、じゃあ、誰やのんよ」

「ほう。お前、興味深いな。普通は悲鳴をあげて逃げていくもんだぜ」

「ふ、普通は普通はって……こんな普通やない状況の統計でもとったんかい!」

「統計か。益々面白い事を言う娘だな」


 座っていたテーブルから音も無くスッと降りる。右足は腿を上げて膝を折り曲げ、左足一本で立つ。

 猫背で覇気がない様にも見えるが目だけは爛々とレイジットを見ていた。


「教えてやろう。俺は今までに764回、他人の家に侵入した。今みたいな感じでな」

「な、ななひゃく……」

「そうだよ。こんな非日常の状況のデータ数としては充分だろう? 8割以上の奴がやる事を普通と言ったんだ」

「ちょちょ……あんた、わ、悪い人やん!」


 レイジットが何とかそう絞り出すと男はワッハッハと笑い出した。


「お前、本当、面白いな。面白い。場合によっちゃ殺さないで居てやってもいい」

「え、待って。殺される前提?」

「そうだな。でもこの状況ならはそう考えるんじゃないか?」


 ゾッとした。


 とにかくその男はずっと冷静だった。無駄な話をしながらも何かを観察している様にも見える。

 いつ襲われても大丈夫だという自信を見せているだけの様にも見える。


 男はジッとレイジットの怯える反応を見て少し納得が行った様にフフンと笑った。


「まあいい。最初に何してる、と言ったな。人を探している。ここにいると聞いたのだが」

「だ、誰を、探してんの」

「ロン・ウィー」


 再び心臓が恐怖でバクバクと高鳴る音が聞こえた。


(確定~~。確定や! こいつや! ローズちゃん早よ起きてぇぇ!)


 だがここで大声を出せば即、殺される、それは理解出来た。


 取り敢えず体勢を立て直さねばと膝を立て起き上がろうとした。


「待て。動いたら殺す」

「ヒッ」

「お、ようやく普通の反応をしたな」


 カイはニヤッと黄色い歯を見せて笑った。


(ここここれはヤバいでぇぇぇ)


「その体勢のまま答えろ。何、簡単な質問だ。俺はロン・ウィーを探している。ここにいるのか? いないのか?」


 笑いながらの言葉ではあるが、戦いの素人のレイジットでも感じるは、俺はいつでもお前を殺せるんだよという無言の脅迫だった。


「お、お義父様ね……お義父様は今出張中でここには、おらへんよ」

「そうか。今はお前だけか?」

「そ。だから早よ……出てってや」


 レイジットは勇気を振り絞って平静を装い、言い切った。


 カイはニヤニヤと嫌な笑いを浮かべながら、


「フフフ。頑張ったが今、いくつか嘘を言ったな」


 サッとレイジットの顔色が変わる。だが予想に反して男は動かなかった。


「だが興味深い。お義父様、か」


 ニタニタと笑いながらレイジットの顔を穴が空くほど見つめて、


「そうか。ロンに子供がいたのだな。そしてお義父様と言うって事は、だ。お前はそのロンの息子の嫁さんってことになるが」

「そ、そうや!」

「そうか」


 言うと同時に見えない動きでレイジットの喉元へと短剣が突きつけられる。


「あうっ……」

「お前を殺せば、ロンは悔しがるかな」

「……は、は?」

「いやきっと悔しがるだろう。楽しみだな」

「ざざざ残念ですけどたたた多分、違いますぅぅ」

「なに?」

「ちょ、これ……のけてえや。喋られへんわ」


 ニヤリともせずカイはスッと短剣を引く。


「どういう事だ?」

「ふう……いやリン様の嫁って言ったけど! あれは何ちゅうか言葉の勢いというか……まだ認めてもろてへんというか……まだ会った事ないっちゅうか……」

「何だと、会った事が無い?」

「ヒッ……いやだってウチがここに来てから一回も帰ってきてはれへんから……」

「何だと……出張中ってのはマジって事か。クソッ!」


 目の前の男が初めて感情らしきものを見せた。


「ゾロゾロと大勢出て行く中にロンがいなかったから殺しに来たんだがな……不在とは」


 それを聞いて更に背筋が凍る。


(こいつ、皆が出て行く前から近くにおって見張ってたって事やん)


 ギロリ、とレイジットに目を向ける。


「チッ。奴がいないんじゃ仕方ねえ。お前を殺して帰るとするか」

「ええ! 待ってや、何でウチ殺すんよ、お義父様とは会ってへん言うてんのに!」

「ロンとは面識無くても息子とは良い仲なんだろ? ならお前を殺せば息子が悲しむ。つまり俺の気もほんのちょっぴり、晴れるってもんだ」


(ヤバい)


 直感的に会話の終わりが来た、と感じた。


 カイはゆっくり短剣をレイジットの首元へと差し出した。


(やるしかない!)


 レイジットは地面を蹴り、むしろ体当たりに行った。カイは相変わらずゆっくりとした動作で右腕を引っ込めようとはしない。

 それをかいくぐり、カイの胸元へ肩から思い切り当たりに行った。


 ドンッ!


 まさに完全なカウンター、カイはレイジットに吹っ飛ばされ、カウンターの椅子をいくつか巻き添えにして転がった。


「ハァハァ……え?」


(あれ? これ、ウチがやったんか? ど、どうやって?)


「いてて……野郎……」

「ヒィッ」


 上半身だけを起こし、恐ろしい目付きでレイジットを睨む。


「てめえ素人かと思ったら……何だそのスピードは。有り得ねえ速さだ」

「は、はあ? スピード? 何のこっちゃ。ウチはど素人やで!」

「ったく、あのクソ野郎の息子の嫁にまでコケにされるとはな。こりゃあ何が何でも殺す必要があるな。でねえと目覚めが悪過ぎる」


 その言葉の途中から徐々にカイの姿が消えていく。


「ヒッ。ま、まずい!」


 一瞬扉へと走ったレイジットだったが、


(いや、きっとそっちで待ち伏せされている!)


 直感的にそう思い、逆のカウンターの出入り口の方へと足を向けた。



 だが遅かった。



 レイジットの体はカイの右腕が背後から絡み付き、一歩も動けなくなる。


 背中に温度を感じる。ピタリとくっつかれていた。見えない腕で絡め取られた恐怖で身体がすくむ。


 カイの左手はレイジットの顎を掴み、自分の顔の方へと捻り上げていた。


「はぅ……!」


 唇が触れ合うほどの距離で姿を現したカイがまた黄色い歯を覗かせて笑う。


「お前、良い根性してるぞ。は、あっちの扉に逃げる」

「……さい……」

「何?」


 額と鼻はピタリとくっつき、カイの狂気じみた目が真正面からレイジットを凝視した。


 だがレイジットもそれを見返し、眉を逆立てた!


「息がくっさいねん! もう臭いんは懲り懲りや。顔近付けんなボケッ!!」


 ピクリ。


 カイの額に癇筋が浮かんだ。


「く、くく。いい度胸だ。殺してやる」


 レイジットの顎を掴んでいた手が一瞬離れたと思った次の瞬間、その手は短剣を掴み、レイジットの胸へと真っ直ぐに向かってきた。


(リ、リン様! …………!)


 思わず目を瞑った。


 ガッ!


 何かの音がしたが自分の胸に衝撃は無い。

 恐る恐る目を開けると短剣は自分の胸の直前で止まっていた。その手首を掴んでいるもう一本の手が見える。


「こいつあラッキーだぜ。留守番もしてみるもんだな」


 同時にもう一本の腕が背後の男を一撃で吹き飛ばした。


 もちろん、それはローズだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る