正妻の座

 酒場のテーブルで席に着いた。


 リン、ライラ、マヤ、そしてレイジットだ。

 レイジットは呼ばれていないのだが、リンの横に座ろうとしたマヤを睨み、押し退けてその間の席に着いた。


「すみません。先程は取り乱しておりまして……いろんな感情が爆発してしまってもう何が何だか」

「あ、はは。いや、大丈夫ですよ。ちょっと驚きましたけどね」

「でも! これだけは言わせて下さい!」


 そう言ってテーブル越しにリンに躙り寄る。が、無言でマヤを睨むレイジットが同じだけ前に出る。


「先程の裁き、私、本当に、本っっっ当に感動しました! なかなか言えるものじゃありません! 私の上司に見せてやりたかったです。あ、いや、最後のは無しで」


 どんどんリンに近付くマヤと同じ距離を詰めるレイジットのせいで3人の顔がくっつきそうな程肉薄する。


「ハハハハ……そ、そうですか。光栄です。まあ落ち着いて、一旦座って下さい。で、先程のって一体、いつから来てたんです?」

「リン・ウィー様が『ええええええええ』って叫んでいた辺りからですね」

「最初からですね……まあそうですよね。後から来た人あるあるですよね、それ」


 リュードが4つの紅茶を彼らの前に運ぶ。いつもはその役であるレイジットがテーブルでマヤを睨んだまま動かないからだ。


「それで、ご用件は」

「私から言うわ、リン」


 黙っていたライラが懐から王国からの命令書を取り出し、リンの前に置く。それを覗き込むリンに内容を簡単に説明した。

 フンフンとそれを聞きながら、


「南西のいずれかの山って……この辺じゃないか」

「そうよ。だからここに持ってきたのよ」

「ライラさん、有難う!」

「フフッ。少しはストレス解消になるかしらね」


 皮肉ではないのだが、それを聞いていたローズとギットが首をすくめる。


「なるよ。これは全員出動案件だ。『透明人間』カイ・ルノー、相手にとって不足はないぜ」


 リンが嬉しそうに言うと皆、同じ様にイキイキとし出す。


「野郎、今度は俺が捕まえてやる。ヘッヘッヘ」


 ギットが嬉しそうにゴキゴキと首を鳴らす。それを見たライラが、


「あらギット。貴方、カイと直接やり合った事かるの?」

「ああ。16年前かな……ロンとトルミを立ってこっちに来る直前だ。当時ロンはまだトルミの近衛隊長だった。俺とレオはあいつの部下だったんだ。ある建物にカイを追い詰めた。俺ももう少しってとこまで行ったんだが結局ロンが捕まえちまったな」

「流石ロンってとこね」

「カイがどれだけ姿を隠そうがロンにはわかるんだとさ。空気の流れみてえなもんでな。この16年、牢屋でボーッとしてたってんなら奴に勝ち目はねえぜ。次は絶対に俺が捕まえる」

「フフッ。頼りにしてるわ。頑張ってね」


 その後、報酬の話をして合意した後、もう夜も遅いからとライラとマヤには泊まってもらう事になった。



 ギルドの建物は3階建てである。

 1階は酒場、物置、仮眠室、厨房、風呂等がある。

 2階はロン、ユウリ、リンの家族が寝泊まりする寝所であり、今はローズとレイジットの2人もここで生活している。

 3階が来客用寝室で、この様な時に泊まって行って貰えるよう、ロンが設計していた。


 それならばもう少し話そうかとなった。


 他のメンバー達はこの近くに住んでおり、それぞれの家に帰って行った。


 酒場にはリン、ローズ、レイジット、そしてライラ、マヤの5人が残る。


 ライラが優しい目付きでマヤに話し掛ける。


「ベイクリッド総務官。私達、ついこの前、ウェルネス領主とお会いしたのですけれど」

「はい。存じ上げております。チラッと見かけました」

「貴女は領主の事をどう思われています?」


 ん、とマヤが首を傾げる。少し考えて、


「そうですね。とてもお優しい方だと思います。私が領城で勤めだしたのは5年前ですがまだ子供だったウェルネス様は私の様な端の者にも優しく接してくれていましたね」


 そう答えるマヤをライラはジッと見つめていた。ライラの言わんとする事に気付いたリンがそこで口を挟む。


「ベイクリッドさん、ちょっといいですか?」

「リン様が私に……大丈夫です。何でもお答えします! 今、お付き合いしている方はいません!」


 マヤが目を輝かせてそう言うとまた無言でレイジットがマヤを睨みながらズズズと顔を前に出してきた。


「あ、いや、そうなんですか。それはよかった……で、ですね。ラヴィリアの周りに挙動や言動の怪しい方はいないですか?」

「挙動や言動、と仰いますと」

「体制、もっとはっきり言うとラヴィリアにって事ですが、それに批判的な奴はいないですか?」

「どういう、事でしょう。質問の意味が……」

「ラヴィリアは痩せ過ぎています」

「そうですね、それは私共も心配しておりましたが」

「彼女に聞くと適切に休んでいるし、飯も食っていると言う。医者や神霊術士にも見てもらったが特に悪い所は見当たらないという」


 マヤの顔からサッと血の気が引いた。


「……まさか!」

「貴女を信じて言うと、我々は領城内部にラヴィリアを攻撃している奴がいると睨んでいます。方法は見当もつきませんが」

「そんな事は、思いもしませんでしたが……」


 そう言いながら顎に手をやり、何かを必死で考える様な顔付きになった。


「言われてみれば……あの、今から言う事は」

「大丈夫です。両ギルド長の名において、絶対に漏らしませんわ。ここにいるレイジットとあそこにいるローズも信頼出来ます」


 ライラが口を挟む。その言葉はまだ若いリンよりも重みがあると思えた。


 その彼女に小さく頷き、マヤは少し声を落として話し出す。


「まず私の直属の上司、総務長官のローガン、彼は元々前領主にも不満を抱いていました。2年ほど前から急に体付きが大きくなったかと思うと目付きが鋭くなりました」

「2年前から……体付きが?」


 マヤの言う話は、その男が前の領主の殺人にも関わっているとすれば時期的に符合するものだった。体付きが急に大きくなるというのも魔神憑きという特異な状況においては起こり得るのかもしれなかった。


「さっき、私の上司に見せてやりたいって言ってた人ね」

「そうですそうです! あいつ本当にムカつくんです! ……っとこれは聞かなかった事に。へへへ」

「フフフ。大丈夫ですわ、ベイクリッド総務官」


 そこで何故かモジモジと両手の指先を重ね合わせながら、


「あのう、ちょっと言いにくいんですけど、私の事、マヤって呼んでもらえませんか」

「え!?」

「私、この機会におふたりともっと仲良くなりたいです!」


 驚いてライラとリンが顔を見合い、そしてどちらからともなくプッと噴き出した。


「分かりました、マヤ」

「敬語も!」


 大声で遮られてまたライラが目を丸くする。


「分かったわマヤ。仲良くしましょう」

「ウフフ。ええ! リン……もそれでいい?」

「フフ。構わないよ」

「ウチもな、マヤ。よ、ろ、し、く」


 ギロッと横目で睨むレイジットがドスの効いた声で初めて口を挟んだ。


「よせよレイジット」


 カウンターでひとりで座っていたローズがレイジットを咎める。


「せやかてこの子、ガンガン距離詰めようとしてるやん。リン様に怒られた後やから大人しいしとったけど正妻としては黙ってられへんわ!」

「誰が正妻だ」

「ええ!? リン様、結婚してるのぉぉ」


 泣きそうな表情でマヤが言う。慌ててリンが「いや、結婚なんか……」と訂正しようとするがレイジットが手のひらでその口を塞ぎ、更に前に出てきた。


「リン様はウチが先に唾つけとるんや。そらもうベットベトになぁ」


 それを聞いたライラとマヤが同時に口を押さえてウッと小さく呻く。


「ヘッヘッヘ。これ位でいてるようじゃあリン様の妻を務めるのは到底無理やなぁ」


 勝ち誇った様に悪そうな笑みを浮かべた。マヤは眼鏡をクイっと上げ、フンッと鼻を鳴らした。


「そんな汚い表現をする様な人がリン様に相応しいとは思えないね! 見たところリン様を含めどなたも貴女を妻とは認めていない様だし」

「ぐ、う。ふ、ふん。ぽっと出でリン様をどうこう出来る思たら大間違いやで。ウチとリン様はもうべっちょべちょの粘液の中で抱き合った仲やねんで」

「な……ね、粘液、ですって!? ま、まさか」

「そうや、体から出る粘液うたらもうわかるな? あんたの想像通りのアレや。分かったやろ、自分の出る幕やないゆう事が」


 腕を組んで勝ち誇るレイジットの前で何を想像したのかマヤの顔が真っ赤になる。


「ぐ! 幼さそうに見えて結構手が早いんだ……で、でも結局正式に付き合ってはないんでしょ!?」

「う。い、いや、リン様はハッキリ言わんけど付き合ってるみたいなもんや!」

「何を根拠にそんな事を」

「なんせ、ウチらはおんなじ家で暮らしてるからなぁぁぁ! ガッハッハ!」

「ええええ!」


 肝心な事は微妙に伏せつつ、嘘はついていないレイジットの言葉にマヤが悔しがる。

 リンもローズもいちいち突っ込まない。面倒臭いのだ。


(やれやれ、これじゃ話は聞けそうにないな)


 リンとライラが目配せし、コツンとグラスを合わせて酒を飲み始めた。


「何やったら一緒にお風呂入った事もあったりなかったりもするかもしれんなぁ! ウワーハッハ!」


 レイジットの高笑いが響き渡った。

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