ジャネットはどちらでも可

「おい見ろ、あの女」


(ダメか ―――)


 リンが観念した、その時だった。


「うわっ! あんなブス見た事ねえぇぇ!」

「何だあれ。あんなのよく連れて歩いてるな。ガッハッハ」


(……は?)


 レイジットはとても可愛い。

 百歩譲っても、まだ可愛い。

 リンはそう思った。


 レイジットを見ると、やはりいつものレイジットだった。彼女も恐らくは今まで言われた事の無い言葉に当惑している様だった。


「ガッハッハ。どうやら夫婦らしいが……亭主が気の毒だぜ」

「見ろよあのシャツから飛び出した腹よ、ヒーーッヒッヒッ」


 そこで初めてリンが違和感を持つ。


(顔は百万歩譲って人の好みがあるとしてもだ。レイジットの細いウエストを見て何と言った?)


 そこではたと思い当たる。


(待てよ、この感じは……そうか!)


 何かに気付くとすぐに夫婦を取り繕った。


「いやぁはは……これはお恥ずかしい……私ら夫婦ですからそれくらいで勘弁して下さいませ」

「失礼しちゃうわ! 行きましょう、ア、ナ、タ」


 それを聞いて男達が腹を抱えて笑い出す。


「ヒ―――ッ! ア、ナ、タ、だってよ! 腹が、腹が痛えぇぇぇ」

「ガッハッハ! いやああいう男がいるから俺達にまともな女が巡ってくるんだぜ、感謝しなきゃな」

「違ぇねえ! ワ―――ハッハ!」


 何よもう! と小声で怒るレイジットの頭を撫で、足早に通り過ぎ、その場を去ろうとした。


「待てよ」


 ビクリ ―――


 恐る恐る振り返る。


「な、何でしょう」


 リンを呼び止めた男は顔付きを真面目なものに変え、声に凄みをきかせて言った。


「俺達が何モンなのかは分かるな?」

「は、はい。天下の『赤のリーニー』の方々で……」

「そうだ。最近ヴルタリア渓谷で俺達に歯向かったバカどもがいるんだが知らねえか?」


(やっぱりか……俺達を探していた)


「さあ……この辺りは田舎なので『赤のリーニー』様に歯向かう様な性根のある者は居ないかと思います」

「む……やはりこっちは違うか。だがもう少し行ってみよう。分かった。さっさと行け」

「はい。有難う御座います」


 頭を下げて何とかその場を切り抜けた。



 やがて坂を降りきり、『赤のリーニー』の姿が完全に見えなくなってようやくその場にリンがへたり込んだ。


「やばかったぁぁ」

「何やあいつら、人の事無茶苦茶言いやがって!」

「それは仕方ないよ。だって ―――」


 そう言い掛けたところで、


「リン!」


 木陰から彼を呼ぶ女性の声がした。リンのよく知っている声だった。


「やっぱり。ジャネットだったのか」

「うん。忘れ物、届けに来たよ」


 無表情で抑揚の無い喋り方をしながらリンに財布を差し出したのはジャネット・ルーファスだった。


 燃える様な赤い髪と瞳、すっと通った鼻立ちと形の良い唇を持ち、昔から求婚者が後を立たない。


 貞操観念は限り無く低く、好みのタイプに誘われれば取り敢えず体は合わせるらしい。だが決して恋人にはならない。


 ジャネット曰くは「気持ち良いから寝るのは良いんだけど好きにならないから恋人にはならない」という事らしかった。22歳と大人になった今でもあまり行動は変わっていない。


「あ、財布! 忘れてたか。わざわざ有難うね」

「いいよ」

「さっきは『幻影』を掛けてくれたんだよね。お陰で助かったよ」

「うん。奴らの話は聞いてたし、リンの事だから夫婦設定でもしてるんだろーなーと思ってさ」


 会話についていけないレイジットが困り顔でどういう事?とリンに聞いた。


「あの時、奴らからレイジットがはっきり見える直前のタイミングで彼女の持つスキル『幻影』をかけてくれたんだ。効果時間は相手の状態異常抵抗にもよるけど、あいつら程度なら1分位かな」

「さすがリン。ピタリそれくらいだったよ。すれ違う結構前からかけたからもうちょっとで解ける所だった」

「ああ、ほんで好き勝手言われてたんか。良かったぁブスやなくて」


 まだ少し怒っている感じだったが取り敢えずは納得した様だった。ジャネットが無表情のまま、


「レイジットは私から見てもとても可愛いよ」


 と褒めた。


「嘘! ほんま? ヘヘッ。ジャネットちゃん、ムッチャクチャ綺麗やからお世辞でもそんなん言われたら嬉しいわあ」

「嘘じゃない。なんなら一緒に寝る?」


 予想だにしない事を言われてキョトンとする。


「寝る……って、へ?」

「レイジットはとても可愛いから気持ち良くしてあげるよ」

「ブ―――ッ! ごごごごめんやで! ウチ、初めてはリン様にあげるって決めてるから!」

「いや、ちょ、何言ってるんだよ」

「大丈夫。初めては奪わないよ。一緒に寝よう」

「あ――ん! リン様、助けて」


 どうやらジャネットは女性もるようだった。

 さすがのレイジットも対処のしようが無くリンに泣きつくしかなかった。


「まあまあジャネット。その辺で許してあげてよ。で、奴らギルドの方に向かったけど大丈夫かな」


 レイジットの頭を撫でながら目下気になっていた事を聞いた。


「アルフォンスとシャオがいるから大丈夫だと思うよ」

「そっか……そうだね。シャオがいれば戦うなんて事はしないだろうし、アルフォンスが寂れたギルドのマスター役でもして適当な事言って追っ払うってとこかな」

「多分そんな感じ」


 まだしがみついてジャネットを警戒しているレイジットに立つ様に促し、リンも腰を上げた。


「よし。ジャネットはどうする? 俺達と一緒に街に行く?」


 一瞬、首を傾げたジャネットだったが、


「行かないよ。そんな野暮はしない」


 そう言われて急に罪悪感が芽生えたのか、レイジットがジャネットに近付き、その手を取った。


「あの、有難うな? ジャネットちゃん。助かったわ」

「いいよ」


 余りにも短い返答に、レイジットは言葉が続かず、一瞬気まずい沈黙が流れる。


「あ……うん。ほんなら。また後で」

「レイジット、キスしよう」


 その言葉と同時にレイジットの後頭部に手を回した。


「ギャ―――ッ! 助けてリン様助けて!」

「何で? キス、気持ち良いでしょ?」

「知らん知らん、それも初めてはリン様のもんや―――ッ!」


 パニックになったレイジットが騒ぎ立てる。ジャネットは冷静にジィッとレイジットの顔を見た後、リンに向かって、


「リン。勿体無いよ。早くキスしてあげて」


 真面目な顔でそんな事を言った。

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