武術のセンス無し?

「フンッフンッフンッ!」



『愛と平和』ギルドの建物の周囲には庭がある。そこでは武術や魔法の練習が出来るように少し広めの平地が整備されている。


 裏庭で朝早くから剣の素振りをしている1人の女性がいた。


 その動きはかなりぎこちない。彼女は毎日素振りを休まずにやっている。この数週間で必要な筋肉はしっかり付いている。


 その割に剣に感が拭えない。もう少し軽めの木の棒で始めてみては、という周囲のアドバイスも『早く強くなりたいから』と断った。


「おはようレイジット。今日も頑張ってるね」


 リンが声をかけるとレイジットの顔がパァーッと明るくなる。


「おはようリン様!」


 だがそのまま剣を振り続ける。恐らく自分の中で何回、と決めているのだろう。リンは邪魔をしない様、端にあるベンチに座り、そのフォームを見ていた。


(おかしいな。体力も筋力も十分ある筈だけど。何であんなにフラフラなんだろう?)


 体幹が悪いという一言では済まない気がした。低重心で構えさせたり、中腰で歩かせたりなど色々とやるのだがどうもフラフラしている。


(うーーん……これはひょっとして『センスがない』という奴なのだろうか)


 それだけは言ってあげたくなかった。

 アルバイトとして、とリンがここに滞在を許可したあの日からレイジットは住み込みで働いている。

 炊事、洗濯、掃除、仕入れと在庫管理などアルバイトの域を超え、なんでもやった。お陰で他のメンバーはかなり助かっており、誰にでも明るく接するレイジットの評判はとても良い。


 それらの隙間を縫って武術の練習をしているのだ。心情的に誰でも応援したくなる筈だった。


(何とかならないものかな)


 皆、想いは同じ様で、特に最初にリンと共に話を聞いていたローズは良く一緒に稽古をしていた。


 だが彼女が来てから1ヵ月半、その間一向に進歩が見られない。そんな毎日が続いていた。


 ようやく自分の中での練習メニューが終わったのか、レイジットが肩で息をしながらリンの元へとやって来て汗を拭きながら隣に座る。


「いや――、しんどっ!」

「お疲れ、レイジット。今日も精が出るね」

「早よ強ならなあかんからな! アハハッ」


 その屈託の無い笑顔を見ると何とも言えない気持ちになる。


「ねえ、レイジット」

「なに? お嫁さんにしてくれるん?」

「……」

「ウソウソ、ごめんごめん。何?」

「お嫁さんになったら……練習やめれるのかい?」


 タオルで汗を拭く仕草をピタリと止め、ギョッとした顔を見てリンを見つめる。暫くして泣き笑いの様な表情になって俯いた。


「……ア、ハ、ハ……これは傷付くなぁ……」

「あ、ご、ごめんよ」

「ああ、そっかぁ。リン様にそう言わせてしまう程、ウチは武術のセンス無いんやなあ」

「そ、そういう事じゃ……」

「何でやろなあ……何でウチにはセンスないねやろ」

「他の武器は試してみた?」


 俯いたままレイジットはウンウンと頷く。


「槍、斧、弓、教えてもらった奴は全部毎日やってんねん」


 それを聞いてリンはドキリとする。剣だけでもかなり長い時間やっている筈だ。その上他の武器でも同じようなメニューをこなしているとすれば……


「ちょっと待ってレイジット、ちゃんと寝てるの?」

「えへへ。心配せんでえ――よ! ウチ、若いから」

「若いっていっても俺とひとつしか違わないじゃないか」


(どうしてそこまでして?)


 とは思うものの、そこは聞かないと決めたのだ。それはギルドの全員に伝えてある為、誰も言わない事だった。


「リン様もやけど……へへ、ここの皆は優しいなあ」

「ねえ、ひょっとしたら拳の方が向いてるかも」


 だがフルフルと力無く首を振り、笑顔を見せる。


「ローズちゃんがな、はっきり言ったわ。お前には拳のセンスはゼロだって」

「!」


(ローズ……有難う。俺も彼女を見習うべきか? だけど……)


 ローズは口は悪いがとても優しい性格であるとリンは知っている。レイジットにその様な宣告をしたのは一種類でも練習量を減らしてやろうと思ったからに違いなかった。


 とはいえここでリンが同じ事を言えばレイジットは何も練習するものが無くなる。理由はわからないが強さを目指す彼女にとってそれは絶望を与える様なもの、といってこれでは先に体が潰れてしまう。


「リン様。ウチは大丈夫や。体は強いからな」


 ニコリと笑ってまた立ち上がろうとするレイジットの腕を掴んだ。


「ダメだ。ギルド長命令だ。今日はもう練習しちゃあいけない」

「えぇぇなんでなん~~」

「ダメったらダメだ。うーーんと……そうだ、レイジット。今日、俺と付き合ってよ。一緒に街に行こう」


 呆気に取られていたレイジットだったが、やがて観念した様にニコリと笑い、頬を赤らめた。


「全く……そんなんされたらウチ、ほんまに愛してまうで? いやもう愛してるけどな。もっと、もっとってことや」


 リンと手を繋ぎ、建物に戻った。



 ―

 レイジットが風呂に入っている間、リンは酒場に来ていたシャオ、アルフォンス、ジャネットの3人に、『酒場の仕入れと在庫管理以外の担当はまた元の当番制に戻す』と伝えた。皆、意図をすぐに理解し、頷く。


 1時間後、リンとレイジットの2人は街に出る為山道を下る。途中、いくつかある店のひとつに入り、朝食を取りまた進もうとした所でレイジットがリンの袖を引いた。


「リン様、あれ、ひょっとして」

「ん?」


 言われるがまま彼女が指差す方を見ると、周囲をキョロキョロとしながらやって来る、見るからに柄の悪そうなならず者達が数人いた。

 共通しているのは皆、二の腕に赤い布を巻いているたいう事だった。


「あれは……『赤のリーニー』!」

「やんな? やばいで。あたしらの居場所、分かったって事やろか」


 数は5人。

 何かを喋りながら緩やかな坂道を上がってくる。無論、向こうも気付いている筈だった。


(俺達を探しているのかそれとも……)


 倒すのは容易いと思われた。しかしそれは同時に、ここに向かった彼らの兵隊が帰って来なかったという事実を残す事になる。そうなればこの辺りを集中的に探す事になり、時間の問題で『愛と平和』ギルドは襲撃をされるだろう。

 一国の軍隊にも匹敵すると言われる物量と家族知人友人などを探し出し、皆殺しにするしぶとさと残虐さで有名な『赤のリーニー』だった。


(それはまずい。こいつらに居場所を知られるのは仲間全員を危険に晒す事になる)


 特に、と考えた。


 依頼が増えると彼らのギルドを留守番するのはレイジットだけという事も増えてきた。そんな時に奴らが襲って来たら。そう考えるだけで身震いしてくる。


「やり過ごそう。悪いけど今だけバルチア訛りをなくしてね。俺とは夫婦の体で」


 早口でレイジットに言う。彼女は素直にウンウンと頷き返し、


「分かりましたわ。あ、な、た、ウフッ」


 と笑いながら言った。だがそのジョークもリンの耳に届いてはいない。


(大丈夫。あの時、討ち漏らしはなかった筈だ)


 あの時の生き残りはシュドリオただひとり。そのシュドリオは王都ニケに移送されており、今頃は拷問のひとつでも受けている筈だった。


(俺達の姿格好を知っている者はいない、はず)


 リンは知らぬ風を装ってこのまま坂道を下る事にした。万が一、彼らがギルドにたどり着いた時はリンがあえてやり合わなかったという事をシャオが気付き、アルフォンスが上手く誤魔化してくれるだろうと考えた。


 徐々に狭まる距離。

 相手はジロジロと自分達を見ている。


(考え過ぎだ。あれはゴロツキがよくやるガン飛ばしって奴だ。あの時、ドワーフ達を守った連中の1人、とわかる筈は無い)


 そう自分に言い聞かせ、気にせず、そして彼らに少し道を譲った体にして距離を空けた。


 坂道の途中でついに顔付きまでわかる距離までその差が縮まる。チラリと相手の顔を覗き見てすぐに目を逸らす。


(待て……どうしてだ? 俺はあいつの顔を知っているぞ……)


 相手も穴が開く様にリンとレイジットを見ていた。脳をフル稼働して必死にどこで見かけたかを思い出し……


(しまった! まだ生き残りがいたか……)


 それはリンが真っ逆さまに谷に落ちた後の事。ローズとハンネと3人で話していた時にその横を通った連中の顔だった。


 とはいえリン達の顔は知られていない筈……と考えてドキリとした。


(待てよ、ひょっとして)


 あの時の男達の会話を思い出す。


 ―――

「ちょっと子供だけどよ、あんないい女滅多にいねえわ」

「そういやあの娘、シュドリオ様のテントに連れて行かれる時、ヌールがどうとか言ってたが……」

「ヌール? 何だそりゃ。頭イカれてんのか? あの見てくれで勿体ねえ」

「手柄立てたらあの女くれたりしねえかな」

 ―――


(しまった、クソッ……レイジットの面が割れていた……)


 もうちょっと早く思い出していればどうとでも逃げられた。レイジットの方は奴らを知るまいが、向こうはレイジットを知っている。むしろ仕返しをしようと手始めに顔がわかっているレイジットを探しているのかもしれない。


 痛恨のミス……そう思った時、遂に男の1人が声を掛けてきた。


「おい見ろ、あの女」


(ダメか ―――)


 リンが観念した、その時だった。

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