上の上には上がいる

「ま、魔神憑き?」


 リンのオウム返しにアロイジウスが静かに頷く。


 誰もが耳慣れない言葉だった。

 博識なシャオを見たが申し訳なさそうな顔で首を振っている。リンは仕方無く、


「ごめん爺さん、恥ずかしながら……魔神憑きって何?」


 浮かした腰を静かに戻しながら素直に聞く。


「お前達は知らぬで当たり前じゃ。魔神憑きとは文字通り、魔界に住む高位の悪魔、即ち魔神じゃが、これに取り憑かれた者の事じゃ」

「待って。わからない事だらけだよ。まず魔界って、どうしてその住人が現界に来れるんだ?」


 途方に暮れた顔で尋ねるとアロイジウスが少し驚いた顔をした。


「おお。その質問が出るという事はそこそこ勉強しとるようだの。お前の言う通り、魔神に限らず普通は他のに顕現する事は出来ん」

「うん」

「だが特例がある。お前達も知っている方法だが」


 すると先程リンに首を振ったシャオがハッとした顔で大声を上げた。


「ひょ……っとして、召喚では」

「その通り。お前達もスキルによって精霊界や神霊界から住人を召喚し、その力を顕現させた事があろう。召喚という形を取れば彼らは現界に来る事が出来る」


 だがリンは納得いかないという顔で続けた。


「といってそれが誰かに取り憑いて存在し続けるなんて」

「そのように仕向ける『転界』という希少スキルがある。効果は異界の者を召喚し、何らかの受け皿へと入れ、定着させる。効果は永続。受け皿は術者でも良い。それを使ったのだろう」


 次々と飛び出す、思いもしなかった世界の話だった。さも当たり前の事の様に話すアロイジウスを見てその場にいた全員が「彼は『八極』なのだ」と改めて認識し直した。


「その魔神憑き、ってやつになるとどうなるの?」

「元々の自我は消えてなくなり、代わりに憑依した魔神が表に現れる。姿は元の人間のままじゃが粗暴な魔神であれば見抜くのは然程難しくはない。理由はわからんがとにかくあの子は其奴に呪われている」

「呪いを取り除く事は?」

「できる。が、よく考えるが良い。それをすると其奴はもっと直接的な行動にでるやもしれん」


 そこでリンは言葉に詰まる。


(爺さんの言う事が正しければ、確かにその魔神憑きは、今はラヴィリアが過労で倒れるように仕向けている。理由は分からないが)


 本当に魔神なのであればラヴィリア1人を消す事など容易い筈である。


 だがそうはしない。


 つまり力を使った事を知られたくない、死因に疑問を持たれたくないという事だ。だからその様な手の込んだ呪いをかけた。


(仮にその呪いが解除されたら、そいつはどうするだろうか)


 誰にも分からない筈の呪いを解いた者がいる、つまり自分の存在に気付かれたと思うのではないか。


 そうなった時、開き直って直接ラヴィリアを殺さないとは言い切れなかった。


 魔神憑きが誰かは現時点では分からないがそれが分かったとしてもラヴィリアが死んでしまってからでは意味が無い。


 リンが一つ一つ考えを整理していると、


「リン、その呪いってまさか……」


 突然ライラが会話に割り込んだ。


「徐々に衰弱させる様な、攻撃だとは分かりにくい呪いのスキル、そんなものがあるとしたら」


 そこまで言われてリンもハッとする。アロイジウスの顔を凝視し、


「爺さん、それひょっとしてラヴィリアの前の領主、彼女のお父さんも……」

「見ていないので分からんがその可能性は高い。父親の時は効果をもう少し強くしていたのではないか」


 そこでリュードがパンと手を打った。


「そうか。続けて2人も突然死させると疑われると思い、ラヴィリア様には弱目の効力でじわじわと衰弱させているんだ」


 これにもアロイジウスは頷き、


「領主業を引き継いで多忙の内に過労で死んだ、という筋書きを書いたのじゃろう。にしても」


 リンへと視線を戻し、


「父親の件も含めて今まで騒ぎになっていない事を考えると、其奴は完全に人間になりきっておるな。これほど巧妙に現界に溶け込む魔神憑きは初めて見た。うまく見つけたとして……かなり手強い相手であろう」


『流浪の大賢者』アロイジウスが『手強い』と言うのだから相当なものだろうと容易に想像出来る。

 そもそも魔神憑きなどどう戦ってよいものか、自分達の攻撃が通じるのか、彼らにはさっぱり見当もつかない。


「その……魔神憑きって普通に倒せるものなの?」

「倒せないな。魔神憑き、と言ってはいるが、それと戦うという事は『魔神に取り憑かれた人間と戦う』のではない。『人間の形をした魔神と戦う』のだ。違いはわかるな?」

「う……つまりほぼ魔神を相手するのと同じ、と」

「左様」


 ぐうの音も出ない、とはこの事だろうか。

 そう言われると確かに戦うなどは不可能の様に思えた。


「いくつか魔界の住人に効果の高いスキルがある。いずれもかなり希少なものだが、『破魔』、『魔を滅ぼす雷撃』、『神の怒り』、『神の盾』、まだ他にもあるが……お前が持つ『八鎖』も実は効果が高い」

「ほ、本当かい!?」


 アロイジウスは目を細めてコクリと頷いた。


「あのスキルは世界的に見てもかなり優秀な部類に入る。まあまだ練度はいまいちのようだが?」

「いやぁ面目無い。結構使ってはいるんだけどね……」

「まあ希少で複雑な程、練度も上がりにくいからな。最初ロンを見た時に惹かれたのと同時にお前にも惹かれたのは固有スキルの優秀さに驚いたからだ。無論今はお前の人柄も好いてはおるがな」


『八極』のひとりにそこまで言われてはリンが喜ぶのも無理はないだろう。鼻を膨らませ、目と口元が緩む。


「おい。なっさけねえ顔になってんぜ?」


 ニヤリと笑うローズがリンを横目で見ながら頬を指で突く。


「え? あ、ん、コホン」

「流石リン様! うちの主人が優秀ですみません、ほんと」


 カウンターにいたレイジットがそんな事を言った。何も知らないアロイジウスは驚いた顔をして、


「おや。お前、あの娘と?」

「んな訳ねーだろ」


 リンの頬を親指と人差し指で摘みながらローズが返答した。

 ローズになされるがままのリンだったがいつまでも喜んでいた訳ではなかった。


「でも『八鎖』では敵を倒せないからなあ」

「そうだな。結局魔神憑きほどの相手になると何かひとつだけではダメだ。しっかりと効くデバフ、効果の高いバフと攻撃、そして強力な魔属性攻撃を凌ぎきれる防御、これら全てが高い練度で必要だ」

「なるほど、そりゃそうだよねえ」


 肩を落とすリンにアロイジウスはワッハッハと笑って背中をポンと軽く叩く。


「あの子を助けたいなら魔神憑きを見つけ出し、倒すのは必須。だがまだ時間はある。精進するがよい」

「ラヴィリア……」


 呟いたリンだったがやがて微笑みを浮かべ、アロイジウスに大きく頷いた。


 その時アロイジウスに酒を注ぎに来たレイジットが何気なく話し掛けた。


「なあお爺ちゃん。『八極』さんらは魔神憑きより強いんか?」

「ハッハッハ」


 笑ったまま注がれる酒を見て、そしてラヴィリアにした様にじっくりとレイジットを見る。


「いやん、ちょ……お爺ちゃん、目付きやらしいわ。ウチにはリン様が」


 レイジットが戯けてリンに抱き付く。

 だがそんなレイジットへのアロイジウスの視線がみるみる驚きのそれに変わる。


「お、お前……」

「ん? なになに?」

「いや、これは驚いた」

「……」


 途中まで緩んでいたレイジットの顔付きがサッと真剣なものに変わる。その変化をリンとローズは見逃さない。


「ジジイ」

「ごめん爺さん、その……」

「ん。わかっとる。言わん言わん。その子は誰にも言うとらんのじゃろ」

「……ありがと」


 リンにかローズにかアロイジウスにか、それとも3人全員へ言ったのか、ポツリとレイジットが呟いた。


「それはそれとして……お前さん、素晴らしい固有スキルを持っとるな。まだ発現はしとらんようじゃが、上手く発現し、使いこなせれば……これはワシでも対処に苦労するかもしれん」


 これにはその場にいた全員が驚いた。レイジットは目を大きく見開いて、


「ええええ! なになに? 教えて!」

「ダメじゃ。これに関してはお前が自分でそれに気付き、発現させなければならん」


 にべもなく断るアロイジウスの膝にしがみつき、え~~なんでや~~けち~~お願いやぁぁと食い下がるレイジットだったが全く相手にされなかった。


「しかしここはとても興味深い。この子にしてもローズにしても他の奴らにしても……これ程面白い面子が集うのはロンとユウリ、そしてリンの人柄かもしれんな。2年前ワシが導かれる様にここに来たのも当然だったか。ほほ」


 ひとりで納得してレイジットが注いだ酒を愉しそうに飲み干した。


 だがどうしても黙っていられない男がいた。自称天才、職業は全職を高いレベルでこなすアクセル・ストラーダだった。


「アロイジウスさん。俺ぁ自分で天才だと思ってるがよ。上には上がいる事は理解している。が、さっきラヴィリア様に描いていた魔法陣、あれを見た時に上を超えた先にもまだまだゴロゴロいるんだと思い知ったよ」

「ほっほ。だが初見で理解したじゃろ? お前も相当なものだ」

「世辞はいらねえ。答えたくねえってんなら仕方無えが、さっきレイジットが言った『八極』は魔神憑きより強いのか、の答え、教えてくれよ」

「……」


 ジロリと目玉だけを動かしてアクセルを睨む。だがアクセルは怯まなかった。


「フン。聞いても詮ない事じゃが……そこまで言うなら。まず、一言で魔神憑きと言ってもその強さには強弱がある。わかるか?」

「……憑いてる魔神自体の強さによるって事か?」

「その通り。高位の悪魔、魔神達は明確に序列を持っている。基本的には序列が高い程強い。まずこれを理解せよ。次に魔神憑きは人智を超えた強さを持つが……これを更に超えるものがある」


 真剣に聞き入るアクセルの握り締めた拳の中に汗がたまる。彼はハッとした顔を浮かべ、小さな声で呟く様に言った。


「それが『八極』、か」

「いや違う。余りにもレアケースである故一般的には知られておらず従って明確な呼び方も無いが、ワシらの間では『魔人』と呼んでいる」

「魔人……魔界の人ってこと?」


 興味深く聞き入っていたリンが聞き返す。


「ホッホッホ。魔界に人はおらん。魔人とは魔神を超えた者。つまり魔神をその身に召喚し、魔神憑きにならずに自我を保った者」

「そんな事が可能なのか」


 アクセルが更に身を乗り出す。


「普通は無理だ。この場合の普通とは、ワシら『八極』と呼ばれている者達を除く、この世界の住民全て、位に考えればよい」


 つまり八極ほどの力を持っていなければ無理、という事だ。最初に「聞いても詮ない」とアロイジウスが言ったのは余りにも隔たりがある世界だからという意味があったとその場にいた全員が納得した。


 だがそれでもアクセルは食い下がる。


「成る程。到底違う次元の世界の話という事は理解したぜ。で、その魔人の上に君臨するのが『八極』って訳か」

「ホホ。まあ今のうちはそう思ってて良い。実際にはそんな単純な問題ではないが……さ、こんな話はこれで終わり! 楽しく飲もうぞ。そこな娘、こっち来て酒注ぎんしゃい」


 勝手に話をしめてレイジットを手招きするアロイジウスであった。


 アクセルはリンと暫く見つめ合い、そしてどちらからともなく笑い出した。


「爺さん、したくもない話を沢山してくれて有難う。でも俺達にとってはとても有意義な話だった。そして改めて歓迎するよ。『愛と平和』ギルドへようこそ!」


 リンの言葉にアロイジウスは大きく頷き、ワッハッハと声を上げて笑った。

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