流浪の大賢者と接触せよ(3)

 ジャマ森林。


 ニツィエ領の南方、ヴルタニア渓谷よりも更に南に広がる鬱蒼とした広い森。


 ラヴィリアに体を厭う様に言い、ニツィエに引き返してきたリン、ライラ、ローズの3人は、まずアロイジウスと戦う羽目になったらしいミランという剣士に話を聞きに行った。


 ―――

「気付かれない内に『昏睡』スキルを仕掛けようと思ったんだ。『昏睡』は発動確率は低いが発動すれば効果は100%だからな。発動に失敗しても気付かれないし。で、4回目で発動したんだが……何も起こらなかった。奴は何事も無かったかの様に本を読んだままだし、俺達があれ?ってなってると突然笑いながら目の前に現れたんだ。え? ああそうだ。突然現れたんだ。意味わかんねえよ。俺達が呆気に取られた次の瞬間、全員雷に打たれたような衝撃を受けて気付いたら森の入口にゴミみてーに捨てられてたんだ。リンには悪いが俺ぁもう絶対『八極』には関わらねえ」

 ―――



 ライラと別れ、『愛と平和』ギルドに戻り、仲間達にローズと2人でジャマ森林に向かう事を告げる。

 再び激しく制止されるが、とにかく様子を見るだけだからと説得し、ミランに教えられた場所まで向かった。


 時折出現する魔物を倒しつつ古道を通り、地図の通りに進む。


「確かにこの先に凄えのがいるなぁ。とんでもねーバケモンの気配を感じるぜ。こりゃあだ」


 慎重に荒れた道を踏み分けながらローズが独り言のように言う。その額からは暑さのせいか、それとも得体の知れない圧力のせいか、汗が噴き出していた。


 無論リンも敏感にそれを感じ取っている。

 今まで感じた事の無い、強烈な圧。無言の『そこでクルッと回ってとっとと帰れ』という警告だ。


 額からどころか全身から噴き出す汗、日差しは強く照り付けているが、それでいてどんどん肌寒くなる一方という訳の分からない状況だった。


 木々の濃さは増し、川の流れる音が聞こえてくる。ミランが出会ったという場所からアロイジウスが動いていなければもう目と鼻の先の筈だった。


「ん?」


 前を歩くローズが立ち止まり、前方を凝視したまま小さく言った。


「あれじゃ……ねえ?」


 ローズの視線の先にはこのような原始の森には似つかわしくない、ポッカリと開かれた広場のような場所があった。


 その中央にベンチが置いてあり、その上で仰向けに寝転んで本を読んでいる老人が見える。


 その姿を見つけたと同時に更に止めどなく噴き出してくる汗。


 不意に老人のいる場所がはっきりと見えなくなる。老人付近でノイズの様な線が邪魔をして視点が定まらなくなる。目の辺りをゴシゴシと袖で拭いたリンは、


「きっと、あれだね」

「どうすんだ?」


 腰を落とし肩で息をするローズを守る様にリンが前に出る。


「普通に……声を掛ける!」


 一瞬目を丸くし、ポカンと口を開けたローズだったが、すぐにニヤリと笑い返す。


「フ、フ。いい度胸だ。ハッハ」


 次の瞬間。


 老人は寝転んだままパタンと本を閉じた。と同時にノイズが消え、元通りの風景が視界に入る。


「ん? ……うっ!」


 突然リンの視界が灰色で覆われた。


「懲りんのう、お前達」


 頭上から老人のしゃがれ声が聞こえて来る。


「2度もワシの読書の時間を邪魔したのだから……覚悟は出来ているな?」


 その言葉の、特に後半部分には途轍もない殺気が込められている事を敏感に感じとる。


 同時に金縛りにでもあったように体の自由が効かなくなった。


「う、う……」


 動かなければ。

 話をしに来ただけだと言わなければ。


 そう焦るほどに2人の体を支える腰や足がガクガクと震え出す。


 首筋に集中し声のする方へと必死に顔を上げると、そこにはフワフワと浮びながら2人を見下ろす老人がいた。

 何か武器を持って威嚇している訳ではない。

 殺気を込めた目で睨んでいる訳でもない。


 白い髪と顎髭は長く、灰色のローブを纏っている老人。それがただそこにいて静かに見下ろしているだけ。それだけでリンとローズが死を覚悟するのに十分だった。


 だが2人を見下ろす老人の表情が不意に驚きのそれに変わる。


「ん?」


 驚きと喜びが入り混じった様な、この場に似つかわしく無い奇妙な表情。


「おお! お前達!」

「……あ! てめえ!」

「は? うーん……あ!」


 顔を合わせた3人は皆、何かを思い出した様に驚きの声を出した。その中で老人が真っ先に喜色満面になり声を上げた。


「あの時の坊や……リンじゃないか。それに嬢ちゃん、確かローズといったか」


 続いてリンとローズがほぼ同時に叫ぶ。


「ホッジじゃないか!」

「あん時のじじい!」


 リンとローズは顔を見合わせ、そして3人で顔を見合わせ、老人が高らかに笑うのに合わせて笑い合った。



 ―

 先程までアロイジウスが寝転んでいたベンチ。そこにローズとリンが座っている。


 既に脱水症状寸前だった彼らはアロイジウスから貰ったお茶を何杯も飲み干し、緊張も解れていた。


 アロイジウスはというと胡座をかいてリン達と目線の高さを合わせる位置で座っていた。


「そうか。お前達が出会ったのか。そうか。うんうん」

「ん?」

「よいよい。人の縁というのも計り知れんと思っただけじゃ」


 何を考えているのかアロイジウスは何度も頷き、感心したような顔をしながらまた2人に視線を戻す。


「しかし嬢ちゃん、懐かしいな。立派になった。リンに会ったのはまだ2年前じゃが嬢ちゃんはかなり前じゃな。ふむ。7年と56日程前、場所はフーリンのスラム街か」


 久しぶりの孫に会った祖父のように相好を崩しながらアロイジウスが言った。


「マジかジジイ。そこまでしっかり覚えてんのかよ? キッモ」

「ローズ。ジジイはないよジジイは。キッモもダメだ」


 慌てて取り繕うリンだったがアロイジウスは表情を崩さず、


「ほっほっほ。まあ構わんて。元気そうで何よりじゃ」


 またウンウンと嬉しそうに頷く。


「あのゴミ溜めの様な町でお前に惹かれて声を掛けたが……そうかそうか。リンと出会うたか。よかったな。幸せそうな顔付きをしておるわ」

「ななな、何言ってんだ!」


 すぐに顔が赤くなるローズが憤慨してベンチから立とうとするのを抑え、リンが話し掛けた。


「爺さん、2年前にうちのギルドに来たよね? そん時はホッジと名乗ってたような気がするんだけど」

「騙すつもりはなかったんだがアロイジウスと名乗ったとて面倒しか増えんじゃろ」

「まあ、それはそうだね」

「現にワシがここに居るから前の若造達やお前らも来たんじゃろう」

「まったく仰る通り」

「で、ワシに何か用か?」


 うーん、と腕組みして少し考えたリンは、


「爺さん、よかったら今からうちのギルドに遊びに来ないか?」

「ん? いいとも。暇だしな。たまにはよかろう。お前の親父にも会いたいしのう」

「いやーーそれがさ……実は父さんも母さんも行方不明なんだ」

「なに?」


 思いもしなかった事を言われ、アロイジウスが目を丸くする。


「ジジイでもわかんねえ事あるんだな」

「そりゃワシとて万能ではないからのう。でどういう事じゃ? 行方不明とな」

「うん。前に爺さんと会ってからほんのすぐだったんじゃないかな。あれからもう2年探してるんだけど足取りは全くだね」

「ほう……」


 アロイジウスが目を閉じ、低く何かを呟いた。すると体の輪郭が一瞬輝き、また元に戻る。

 目を開けたアロイジウスは開口一番、


「成る程。こりゃお前らには見つけられんわ」

「え! な、何か分かったのかい!?」


 リンからすれば今まで全く足取りが掴めなかった両親の初めての情報だった。前のめりになって問い正した。

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