レイジット・ボルドーの願い

『愛と平和』ギルドの酒場。


 久々に依頼が立て込み、皆、数日中には帰ってくる筈だが、今日はリンとローズの2人だけが残って店番をしている。



 ここには流れのパーティはいない。


 ここにいるのはギルド創設者でありギルド長でもあるロン・ウィーを筆頭に、彼が信頼する正ギルド員とも言うべき、全12人の戦士達だけだ。


 その中で当のロンと、その妻ユウリ、つまりリンの両親は既に2年間行方知れずとなっている。


 徐々に2人を思い出す時間が減っている事を知ってか知らずか、昨年2代目ギルド長となったリンが両親の事をふと思い出していたその時 ―――


 バタンッ!


 勢いよく扉が開く。


「リン様ぁぁぁ!!」

「レイジット!」


 満面の笑みで駆け込んで来たのは『赤のリーニー』に囚われていた所をリンに救われたレイジットだった。


「リン様ぁ! お久しぶりぃぃ!」


 リンの首に両手を巻き付けて抱き着いた。


「おおおお久しぶり、だね。そっちはもう大丈夫なの?」


 巨大肉食生物ズールに一旦は飲み込まれたレイジットは危うい所をリンに助けられた。


 そのズールについて全員が後から知った事、それは『ズールの粘液、体液は死ぬ程臭い』という事実だった。口はあるが歯がない為の強酸性であり、尚且つその匂いだけで獲物を失神させる猛臭を放つ。


 幸いに、と言うべきか飲み込まれてすぐに粘液で鼻が塞がっていたレイジットは最初それに気付かなかったが、救出された後リンと2人で失神してしまった。


 その後数週間体から匂いが取れず、2人とも暫く引き篭りとなっていた。


「多分……まだ、匂い、する?」


 急にテンションが下がり、節目がちになる。リンが確認の為に少しレイジットに近付き、匂ってみる。


「うん。なくなったみたいだ。よかったね」

「よかった! でもまだあの匂いがする気がするんや……鼻おかしぃなってもうたんかな」

「わかるわかる。俺もだよ」

「頬っぺたの匂いが特に取れへんかってん。ちょっと嗅いでみてくれへん?」

「頬っぺた?」


 レイジットが差し出す右の頬を特に何の警戒もせずに嗅ごうとする。

 そのリンの顔が近付いた瞬間、レイジットはクルッと顔を回し唇を尖らせた。


 それと同時にリンの口は後ろからニュッと出て来た小さな手で覆われ、グイッと体ごと引き寄せられた。


「ったく油断も隙もねえな。何しに来たんだお前」


 背後のローズの胸に抱かれてリンがようやく状況を悟る。同時にレイジットの方も背の高い金髪の女性から頭を鷲掴みにされていた。


「何やってんの貴女。大切なお願いがあったんでしょう?」


 今日は赤い縁の細い眼鏡を掛けているその女性はライラだった。『湖の畔』ギルド長であり、レイジットの救出をリンに依頼した人物だ。


「いたたたたっ! ごめんごめん、ライラさん、ごめん! つ、潰れる!」

「まったく……」


 ため息をついてレイジットを解放する。


「ライラさん、ご機嫌よう。お二人共改めて、『愛と平和』ギルドへようこそ!」

「暫くぶりねリン。貴方が引き篭もってしまったから会えなかったけどこの子の件とクリッドの件、感謝してるわ。貴方の所にお願いしてよかった」

「いやいや。何かあればまた言ってね」

「これはほんの気持ちよ。レイジット」


 そう言ってレイジットを突く。


「ああ、せやせや。リン様にお土産お持ちしたんやで……はい、どうぞ」


 言いながら自分のシャツに手を突っ込み、胸の辺りから金貨袋を2つ取り出してリンの手に握らせた。


「どこに入れてたんだおめ――」

「へっへっへ。美少女の人肌の温度やでリン様」

「道理で妙に胸がデカいと思ったわ」


 ローズのキツい突っ込みにたじろぐ様子も無く、首を傾げてニコニコと微笑む。


「これは?」


 不思議そうにそれを見つめてライラに聞き返す。


「クリッドのクエストを手伝ってくれたお礼よ」

「あれはドワーフ達を助けただけだよ。そこにたまたまクリッド達がいただけで」

「ウフフ。そう言うと思ったわ。でもそれは受け取って頂戴。私が自腹で出してる訳でもないし、正当な報酬よ? ドワーフ達から感謝状も届いてたし、クリッドのお願いでもあるわ」

「クリッドの?」

「ええ。貴方達がいなければ危なかったって」


 リンの背後からローズが嘲笑とも取れる笑いと共に、だが優しい顔付きで口を挟んだ。


「ハッ。馬鹿正直な野郎」

「そうよローズ。クリッドはいい奴でしょ?」

「まぁな」


 ジッとその巾着袋を見ていたリンだったが、


「分かったよ。クリッドがそうして欲しいと言うなら」

「ええ、受け取っておいて。そうそう、シュドリオがリオの範囲魔法を一度凌いだ理由がわかったわ」

「ああ、言われてみれば……生身であれは有り得ないね」

「『サウスラロフィーユの指輪』というのを知ってる?」

「さうすらろふぃ……ん、知らない」

「その指輪をつけた者に放たれた致死の攻撃を一度だけ身代わりしてくれる国宝級の超希少アイテムらしいわ。リーアに貰ったんだって。それを付けていたらしいわ」

「そりゃ凄いアイテムだ。そんなものがこの世にあるんだね」


 そこでふと気付いたように顔を上げ、


「リーアと言えば『赤のリーニー』の大幹部だ。ニツィエ領のリーダーだね。てかあいつ、よくそんな事ペラペラ喋ったね。拷問か何かしたの?」


 ライラはそれに首を振り、


「ギルドの女性職員であいつの体を洗ったの。臭すぎて堪らなかったのでね。硬いゾル毛のブラシで洗ってたんだけど女性職員に聞かれた事はリーアの事以外は喜んで答えてくれたわよ」

「やっぱりアホやな、あいつ。キッモ」


 シュドリオに捕まっていた事を思い出したのか、レイジットは眉を寄せて嫌そうな顔をして言った。


「用事はそれだけかい?」

「いえ、あとひとつあるわ」


 ライラのその言葉にレイジットが驚いて振り返った。


「ライラさんあとひとつって、それウチのお願いやろな?」

「あ、忘れてたわ。ごめんリン、一応あと2つよ」

「全く……さっき大切なお願いが――って言ってくれてたやんわざとらしいなあ。ほんで一応ってなんなん」


 口を尖らせてブツブツと呟きながらリンに向き直る。


「リン様、一生のお願いがあんねん」

「一生の?」

「ウチをお嫁さんにして」

「いやそれは」


 リンが困っているとライラが厳しい目付きと口調をレイジットに浴びせた。


「レイジット?」

「ウッ……まあそれはおいおい考えといてや、リン様。で、今日のお願いなんやけどな」


 ローズはカウンターに頬杖をついて完全に話に興味を無くしていた。


「ウチをこのギルドに入れて!」

「ごめん、ダメだ」

「早ない!?」

「はい、じゃあ貴女の話は終わりね。どきなさい」

「ちょ、ちょちょ、ちょいちょい!」

「何よ」


 レイジットを後ろにやり、リンの前に座ろうとするライラにしがみ付く。


「貴女の話は終わったでしょ? 次は私」

「なぁぁんんんでぇぇなぁぁぁん! リン様ぁぁ!」


 そっぽを向いていたローズだったが、顔をくしゃくしゃにして泣くレイジットが少し気の毒に思えて来た。


「お前、なんでうちに入りたいんだ? リンとくっつきたいだけなら別にギルドまで入らなくてもいいだろ」

「そらずっとリン様と一緒に居たいってのはあるんやけど。そうやなくて……ウチ、なんも出来ひんねん。やから誰もパーティなんか組んでくれへんし、たまに声掛けてきた思たら宿で押し倒してくるし……」

「それでひとりでこなせる依頼を受けてたんだね」

「お前なりに苦労してるんだな」


 相変わらず頬杖を突きっ放しではあるが、ローズがようやく視線をレイジットに向けた。


「ウチは強くなりたいねん。強くならなあかん」

「どうして?」


 ローズが不思議そうに言う。


「お前ほど可愛けりゃ冒険者なんてヤクザな商売しなくてもいくらでも食っていけるだろ」

「可愛いやなんてそんな。ローズちゃんも可愛いで!」

「あたしの事はどうでもいいから」

「あかんねんそれやと。ウチは強くならなあかんねん。それが……おっとっと。あかんあかんうてまうとこやった」

「言えよ」

「その理由が聞けなかったらダメって言ったら?」


 静かに聞いていたリンが鋭い眼差しでレイジットを睨む。


「う……せやったら……うう……うううう~~……分かった。残念やけど、諦める」

「ほう?」


 ローズが意表を突かれたように驚きの声を上げた。

 俯いて震えていたレイジットだったが、


「けど……」


 その目に涙を滲ませて顔を上げる。リンはその目に吸い込まれるような気がして目が離せなかった。


(何か理由があるみたいだ)


 何となくそれは理解した。


 レイジットはポロポロと涙を溢しながら、大きな声で言った。


「けど……嫁にしてくれる件は考えといてや!」


 と。

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