いざ鎌倉へ

 ――四カ月後。


「はぁ~~」と五郎がため息をつく。


 彼は文永の役が終わって竹崎郷に戻ってきた。


 怪我の治療をしながら土地の開発を続けていた。


 しかし、ここにきて菊池家との軋轢という問題が再燃した。


 発端は叔父が率いる菊池川の川下の一派が川中や川上、つまり菊池一門と一気に険悪になったのだ。


 直接的な原因は派兵を渋った叔父の判断にある。


 ところが彼らは唯一参戦した五郎がありもしない事、讒言ざんげんして陥れようとしたのではないかと疑った。


 その結果、川下の菊池家の中では肩身の狭い状態となってしまった。


 また日々の鍛錬をしようにも弓矢は尽き、馬は怪我で動かせず、刀に至っては刀身が折れ曲がり捨ててしまった。


 つまり鍛錬すらできない状態だった。



「はぁ~~」とムツがため息を吐く。


 彼女は五郎よりも深刻だった。


 彼女は商人として最も正しい行動、つまり戦火の中で金稼ぎに翻弄していた。


 しかし、そんな彼女をあざ笑うかのように戦いはたった一日で終った。


 さらに筥崎宮の火災により所持品が全て燃え尽きてしまった。


 あまりにも不運な彼女には膨大な借金だけが残ってしまった。


 進退窮まった所を五郎に保護され、細々と借金の返済をしていた。


 今は竹崎郷の会計担当、そして住人達の知恵袋をしながら暮らしている。


 商人生命は終わったも同然なので先月には起請文について双方の合意のもと破棄していた。



「はぁ~~」となぜか二人と混じってため息が漏れる籐源太。


 彼と野中翁も菊池家とは険悪な状態となった。


 野中翁は当時から五郎の父とは仲が良く、御房とは良好とは言えなかった。


 それが<帝国>への対応から一気に関係が悪くなった。


 結果として五郎がいる竹崎郷に移り住んだ。


 しかしここも菊池の土地。


 いつまで居られるかわからない。



 こうして三者三様ではあるが将来に暗い影が横たわっているのであった。


「はぁ~~」「はぁ~~」「はぁ~~」


「まったくお主らはそろいもそろって辛気臭いのぅ」と野中翁がいう。


 そして手に持っていた一通の書状を五郎に渡す。


「これは何でしょうか?」


「うむ、さきほど五郎宛てに少弐様から書状が届いたのよ」


 それを聞いて五郎は書状の内容を確認する。


 書状には重要な部分だけを抜き取ると以下のことが書かれていた。




 筑前国御家人少弐景資言上、

 去十月、鳥飼潟合戦刻、手負、竹崎五郎季長矢傷、中間籐源太矢傷、

 右、立会人、江田又太郎秀家、白石六郎通泰、菊池次郎武房

 文永十二年五月 日

 承 了(花押)




 それは五郎たちの勲功について認められた内容が記載されていた。


 より正確にはこの記載内容が鎌倉幕府に送られるということだ。


「うへぇ~~漢字だらけでオイラにゃわからん」


「拙者と籐源太の名前しか載っていないな」そう言いながら名の部分を指さす。


「三井殿は長門国へ戻られたからな、仕方ない」と野中翁がいう。


 菊池家と険悪になったのは三井三郎も同じだった。


 特に長門国守護代である三井季成が川下の菊池家の対応に不信感を抱いた。


 そう言った経緯もあり二カ月前に三井一派は長門国へと行ってしまった。


「フミ殿も向こうで元気にしておるかのう。今頃は勲功が少ないと怒鳴って…………どうしたんじゃ五郎よ」とムツが真剣な面持ちの五郎に気が付いた。


 五郎は勲功の内容を三度確認していた。


 無い!


 無いのだ!


 あの「先懸の功」が勲功から漏れている。


 弓馬の道の名誉ともいえる「先懸の功」が認められていない!



「納得がいかん! 先懸の功を認めてもらえないなら――これでは何のために武芸に身を捧げたというのか!」


 五郎は所領を得るために戦ったがそれほど活躍していないのは自身でもわかっている。


 だが、いやだからこそ武士の誉れを認めてもらえないことに納得ができなかった。


「その勲功というのはそんなに重要なのかのぅ?」とムツが訊く。


「ああ、重要だ。武士というのはその生涯を武芸を極めるために、そして鎌倉に居る将軍への奉公のために生きている。所領を得られるほどの活躍をしたかと問われればそうでもないが、だがこれでは――これでは将軍のために戦ったという事実すらお耳に入らないということだ。それが我慢ならないんだ!」


「お主の言うとおりじゃ、ワシらが武芸を極めているのは何も土地が欲しいからではない、武士の名誉のためでもある。今から少弐の若造を説き伏せても遅いじゃろうからここは鎌倉まで向かい直接自らの武功を訴えるべきじゃ」


 これが武士の考え方である。


 所領を得るというのはあくまで結果であって、その行動原理は御家人として与えられた領地の収益で武芸を磨き続けて、合戦になった時にその武を認めてもらうことにある。


 「御恩と奉公」とは所領を与えられる「御恩」がまずあり、それに対する「奉公」である。


 その逆の奉公という名の活躍があってから御恩が得られるのではない。


 そうでなければ馬、弓、鎧をそろえて戦場に立つことができないからだ。


「確かに野中殿の言うとおりだ。さっそく叔父上に鎌倉へ出ることを伝えてくる」


 そう言って五郎は急ぎ菊池邸へと向かった。


 突然、水を得た魚のように元気になる五郎をみてふとムツは思ったことがある。


「野中殿、ひとつお尋ねしたいことがあるのじゃが、よろしいかのぅ」


「なんじゃ、ワシでよければ何でも答えるぞ」


「うむ、先懸の功について教えていただきたいのじゃ」


「先懸の功か……あれはワシのじい様からの口伝の内容になるがいいかの」


 口伝、この時代の武士たちは武芸の神髄やその本質を口伝で伝える風習があった。


 親から子へ、子から孫へ。


 その口伝の内容の一つに勲功がある。


「そもそも先懸の功を含めた四つの勲功というのはすべて意味がある。じゃが最近の若者はそう言うことを忘れてしまっている――」


 四つの勲功とは手負いの功、分捕りの功、討死の功、先懸の功である。


 手負いの功は敵に矢を使わせるための楯持ちの功になる。


 分捕りの功は本来は敵将の首だけを意味し、敵の指揮系統を潰すための功になる。


 討死の功は騎馬突撃という戦局を左右すると同時にもっとも討死しやすい武士たちのための功になる。


 そして先懸の功はその騎兵たちに先駆けて敵を陣地から釣る、まさに命懸けの先鋒たちへの功になる。


「じゃがそれはじい様たちの代の話じゃ、その後は奉公は当たり前なのだから恩賞の偏りによる不満が問題となっていった」


 戦いで勝つための手段――奉公の内容がそもそもの勲功の原点になる。


 しかし時代が進むにつれてそれは形骸化していく。


 つまり御恩と奉公はいつの間にか「奉公と御恩」へとなっていった。


 手負いは、矢傷以外の手負いが勲功にならないのはおかしいという話になる。


 分捕りは、大将首以外は勲功にならない、所持品を分捕ってはいけないのはおかしいという話になる。


 討死は、騎兵以外の弱小御家人の討死は勲功にならないのはおかしいという話になる。


 そして先懸は、一番槍やその過程での討死が勲功にならないのはおかしいという話になる。


 これら不満からいつしか勲功の事前申請が原則となり、抜け駆けは一切認めなくなった。


 また御恩についても敵対勢力の土地を切り取って給与となった。


「なるほどのぅ。そうなると一番槍と勘違いして死者が増え続ける先懸の功はそもそも恩賞から外して、原則禁止となった訳じゃな」


「そう言うことになる。じゃがあの五郎はほぼ正しい形の先懸の功を成功させたのは確かじゃ」


「――つまり先懸の功を知っている人物と謁見できれば勲功を認めてもらえる可能性が高いと」とムツがいった。


「そうとも限らん、この戦は恩賞となる土地がないに等しい。じゃから将軍様のために戦った武士がいると伝えるのが精いっぱいじゃろうな」


「はぁ、それじゃあ所領を得るのは無理そうっすね」と籐源太がいう。


「ついでに五郎のような嘘偽り謀を嫌って、正直かつ剛毅な者を好む権力者に会わねばただの猪侍にしか見えんじゃろうて」


 野中翁の指摘を聞いて二人は「確かに」と納得した。




 それから数時間後に五郎が血相を変えて帰って来た。


「まったく話にならん!!」


「ど、どうしたのじゃ」とムツが心配そうに言う。


「どうしたもこうしたも叔父上の御房が、ただでさえ目をつけられているのに、鎌倉へ上訴してさらに不審に思われたら大変だ、だから行くな。と言ってきた」


「それでどうしたんですか」と籐源太も心配になる。


「こうなったら菊池家を出て拙者一人でも鎌倉に行って直訴してくるつもりだ」


「待て待て待つのじゃ五郎」


「かっかっかっ、それでこそ菊池の男よ! よーしワシも一緒に……ゴホッゴホッ……ゴホッ!」


「野中様も歳なんですから、オイラたちは鎌倉までは行けないっすよ」


「ゴホッ……く~無念じゃ」


「とにかく落ち着くのじゃ。まず五郎よ、お主は別に所領が欲しくて鎌倉まで行くわけじゃないのじゃな?」


「違う! ちゃんと戦ったと、務めを果たしたと将軍様にお伝えしたいだけだ! これを聞き入れれくれないのならば鎌倉で出家して当分は九州に戻らないつもりだ!」


「だっはっはっは、武士が戦での勲功が認められないなら、そりゃあ坊主にでもなったほうがマシじゃ! だっはっは……ゴホッ」


「あわわ、大丈夫ですか野中様!」


「ですので拙者はもしかしたらもうここに戻らないかもしれません」


「ワシは構わんから鎌倉まで行ってこい……そこで竹崎五郎季長という武士が戦ったと将軍様に伝えてくるのじゃ」


「はい!」


「はぁ~~、しょうがないのぅ。五郎よ街道を通るのにも銭がいる。まずは銭を集めからじゃ」


「むむむ、仕方がないな」


 何とか即日出発するのを思いとどまらせ、旅費の工面をしてから出発することになった。


 目指すのは鎌倉。


 理由はただ一つ勲功を認めてもらうため。



 ――――――――――

 ここから蒙古襲来絵詞の詞五の内容になります。

 とはいえドンドン飛ばして安達泰盛との面会にすぐになる予定です。


 御恩と奉公って結構謎な概念ですね。

 通説では特に矛盾はありません。

 しかし本小説の設定だと重装弓騎兵の突撃という洗礼された戦術のための仕組みとなります。

 すると鶏が先か卵が先かという問題が目の前に現れました。

 仕方がないので初期は御恩が先にで奉公は後にしました。

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