三井「新左衛門」季成
1275年6月27日(健治元年六月三日)。
五郎は鎌倉へ立つ。
その見送りに親族は誰も来なかった。
ただでさえ合戦に兵を出さず上に目をつけられているのに、これ以上の厄介ごとを恐れたからだ。
連れは二人だけ。
ムツの弟である又二郎そして――。
「本当に一緒に行くのか?」
「何を言っておる、お主だけじゃ旅費の工面はできんじゃろう? それから妾は弥次郎、この又二郎の兄――ということにするのじゃ」
女人の旅は危険がつきもの。ということでムツは男装をして弥次郎と名乗った。
三人分の旅費は馬と鞍そして武具を売って何とか工面した。
籐源太は野中翁の看病が必要になり竹崎に残ることになった。
「又二郎は故郷を離れても問題ないのか」
「大丈夫ですよ。博多での商いは失敗したんで、東国で再起を図るつもりです」
「九州では稼ぎにくいのでご一緒させてもらえれば嬉しいです」と又二郎がいう。
「妾たちの借金は返済が年単位じゃからな。お主についていって新しい土地で成功すればそれで何とか挽回できるのじゃ」
「そうか、それじゃあ共に鎌倉まで行こう」
こうして三人は鎌倉を目指して旅立つ。
途中までは博多と同じ道を進んだが、途中から長門国の
五郎は途中で高名な僧が住んでいる寺院に伺いに行こうかと思案した。
「お主、高名な僧侶に身の上話をして施しをもらうつもりなのかぃ?」
「……餞別をもらえるかもしれないが、お布施を出してこそ祈りに意味があるのだからやめておこう」
「でしたら私が御祈祷をお願いしに行ってきましょうか?」と又二郎がいう。
「行ってきてくれるのか!」
「ええ、すぐに追いつくので二人は先に行ってください」
こうして五郎は又二郎と別れて先に進むことにした。
そして関所に着いた。
この地は古くから交通の要衝となっている。
日に何千もの船が人や物資を運び続けている。
<帝国>の脅威が訪れる前は宋船から荷揚げされた珍しい陶器類が日本海側からここを通り、瀬戸内海を経由して各地へと運ばれていた。
今は軍事物資を一時的に集積する巨大な兵站基地に近い形になっている。
しかしそれとは別に人々にとってここは印象的な場所だった。
「ここが平家終焉の地か」
関門海峡の下関側を壇ノ浦と呼び、そここそが一つの時代が終わった場所になる。
「おおーい!」
五郎は感慨深げにしていると見知った声がした。
三井「三郎」資長が馬に乗ってやってきた。
「義兄上、お久しぶりです」
五郎は竹崎郷を出る前に三井「三郎」資長に文を出していた。
どうやらちゃんと届いていたようだ。
「ああ、二人とも元気そうだな。話はすでに守護代の季成様に通してある。あの方も五郎に会いたがっていたぞ」
「本当ですか!」
「ああ、すでに船の手配はしてある。季成邸に参るぞ」
五郎は三郎と合流して長門国の季成邸へと向かった。
「おお、五郎かたしか十五年ぶりになるな。あの時の子供が立派になったものだ」
出迎えてくれたのは下関の守護で三井「新左衛門」季成だった。
彼は五郎の烏帽子親であり、親子同然の間柄になる。
「本当にお久しぶりです。季成様」
「よいよい、ワシとは
「親しき中にも礼儀あり、これは父上の教育の賜物ですのでご容赦ください」
「ははは、昔を思い出すわい。お主は元服前から武芸と教養どちらも優れていた。だからお主は父の後を継いで次期当主になれると誰もが思ったものだ……」
「もう過ぎたことです。それに今回の<帝国>とそれに対する菊池家の対応であの一門に愛想が尽きました。かの地に対して未練はございません」
「そうかそうか。うむ、まずは食事にしよう。話は酒の席でうんと訊こうではないか。実は――遊女たちを呼んであるから楽しみにするがいい」
そう最後の方を小声でいう季成。
「まさか宴をしてくれるとは思ってもみませんでした!」
「なに<帝国>を跳ね除けた勇者に対して無下にできまいて、はっはっはっはっ!」
こうして五郎は長門に着いて早々に三井家の面々と宴会となった。
その宴会の席で五郎は自らの先懸の功の時の話を聞かせた。
「それは確かに先懸の功だ!」
「そうだ! そうだ! そうだ!」
「でうので! 鎌倉まで勲功をいいににくんです!! このさい恩賞とか所領ではなく! きゅうばのみちを武士のめーよなために行くのです!!」
「よっ九州一のいい男ぉ!!」
「わっはっはっはっはっは!!」
宴会には三井一門の男衆のほとんどが参加していた。
実は<帝国>の襲撃によって長門国の物流もまた止まっていた。
その混乱は凄まじく、対応に御家人が総出であたっていた。
そのせいもあって久しぶりの宴会は三井一門総出の大宴会となった。
「のう五郎よ。お主さえよければワシの家来として生きていくこともできるぞ」
「…………私は、一旗揚げたいと考えています。此度の戦は上手くいきませんでしたが、恐れ入りますが誰かの下につくつもりはありません」
「そうか……惜しい! 実に惜しいぞ! お主ならなら地頭――いやいやもっと上の地位にも成れんもものを~~」
「この身には――過大な役職は分不相応というもののですん」と呂律が回らない五郎。
その後も二人の呂律の怪しい会話が続く。
一方その頃のムツはというと。
「フミ殿久しぶりなのじゃ!」
「ムッちゃんも久しぶり!」
女子は女子同士の再会を果たしていた。
「ところでこちらの方はどなたなのじゃ?」
「こちらは三井季成様の奥方様です」
「こ!? このたびは御初にお目におかれまして!」
「ふふ、そんなに畏まらなくて良いのですよ」
「はひぃ」
「それより男衆たちが妻を置いて遊女を呼んで宴を開いたそうです」と怒りの滲んだ声で言う。
「奥方様、先ほどきた遊女たちには銭を渡して返しました」
「ええ、ありがとう。つきましては遊女に代わり私たちが男たちにお酒を注いであげましょう」
私たち?
ムツがそう思った瞬間、三井一門女衆が集まってきた。
「え? え? え!?」困惑するムツ。
「では、西国の宴の作法を教えてあげましょう」
奥方がそう言うと皆が「はい」と答えて宴会場へと向かう。
その後、騒がしい宴会場はお通夜のように静けさとなり、京仕込みの雅な宴に変貌した。
五郎と三井一門はこの日の出来事をできるだけ忘れたいと思った。
――翌日。
三井季成が旅費と馬を用意してくれた。
「その馬は餞別に持っていくがいい。道中何かあったら馬を売って路銀にして構わんぞ」
この時代の貨幣は宋銭になる。
しかし鎌倉に辿りつくまでに大量の宋銭が必要になってしまう。
言ってしまえば質量がそのまま金額を意味していた。
一刻も早く鎌倉へ行きたい五郎の意を汲んで、荷運びができて途中で売り払える馬を与えてくれたのだった。
「この御恩は決して忘れません」
「五郎! 必ずや将軍様に武功を伝えるのだぞ!」と三郎がいう。
「はい! それでは行ってきます」
五郎たちは三井一門との別れをすませて鎌倉へと出発した。
――二カ月後。
1275年9月1日(健治元年八月十二日)。
三人は鎌倉に着いた。
――――――――――
この辺は約二か月の期間があるので諸国漫遊記よろしく、いくらでも話を膨らませることができます。
ただし詞には二、三の寺院へのお布施やお参りをした話が書かれているぐらいですね。
ですので本小説ではここまでの道のりはバッサリカットして一気に鎌倉まで進めます。
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