嫉妬

 その頃から頻繁に結婚や出産の知らせが届くようになったことも私を焦らせた。今にして思えば結婚したいというより確かな言葉が欲しかっただけなのに、私は素直になれなかった。不機嫌な私を持て余す和夫の困り顔を見ては自己嫌悪を繰り返す、そんな不毛な迷路に私は迷い込んだ。

 そうなると生活時間帯がズレていることが好都合になった。いっそ同棲を解消することも考えたが、私から離れてしまったら二度と元に戻ることはないという確信があった。なんのことはない、私は和夫を愛しているのだと今更ながらに思い知らされ、更に気持ちは追い詰められた。


 年が明けると、和夫の身の上に変化が起こった。和夫の実家は名のある料亭で、そのために調理師専門学校を出て板前の修行を始めたのだが、音楽の道が諦めきれずアルバイト生活に身を投じたのだった。その実家の料理長である父親が体調を崩し、店に存続の危機が訪れたのだ。そうでなくても音楽は三十歳までという約束だったことをその時初めて知った。


 私はこの時とばかり和夫を説得した。和夫の料理の腕を持ってすれば、実家を受け継ぎ、更に盛り立てていけると心底思っていたから。もちろん音楽の道を諦めさせたい気持ちもあった。音楽を続けている限り、和夫が私にちゃんと向き合ってくれない気がしていたのだ。私は明らかに音楽に嫉妬していた。

 私は和夫の両親も味方につけて「もう少しだけ」と粘る和夫を根気強く説き伏せた。


 そしてとうとう和夫は折れたのだった。

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