後悔と躊躇い 95日目(season2)
太陽が西の空に沈むのが早くなると、不思議と一日の時間もあっという間に感じてしまう。
今日の業務もほどほどに終わり、先輩と二人で帰り支度をしながら今晩は何を食べようかとのんびり考えていた。
「二人とも、お疲れ様」
そこへ、恰幅の良いおじさんがやってくる。
彼はこの会社の工場長にあたる方で、私たちの直属の上司でもあった。
普段はデスクワークで事務所にいることが多く、現場に顔を出すことは少ないからこうしてお会いするのは片手で収まる回数しかない。
そんな人が急に来るものだから、何か良からぬ通達でもされるんじゃないかと変に身構えてしまう。
その点先輩はもう慣れているのか、取り乱したりすることはなく久々に会った上司と平常心をもって挨拶を返していた。
「お疲れ様です。どうかなさいましたか?」
「大したことではないんだけれど、ちょっと先の予定を確認したくてね」
そう言うと、工場長は一度咳払いをして話を続ける。
「そろそろ年末の忘年会の予定をしようと思ってね。十二月の上旬頃にできたらと思うんだが、どうだろうか」
一瞬でも身構えてしまったのが馬鹿らしくなるほど、本当に大した用事ではなかった。
内心ほっと胸を撫で下ろしている隣で表情一つ変えることなく、三ヶ島さんはその話について考え始めている。
「工程にもよりますけど、忙しくなる手前なら問題はないかと」
「じゃあ、あとは各個人の予定だね」
「確認はしてみますけど、私はおそらく大丈夫だと思います」
次第に二人だけのやり取りが続いたので、相変わらず先輩の顔は絵になるなぁと思いながら私は少し遠くから彼女を眺めていた。
この会社を受けた時は正直出会いなんて求めてはいなかったけれど、こうも綺麗な人がいるとそれだけでここに入った価値は十分にある。
おかげで、毎日飽きずに会社に来られているのだから。
我ながら、なんとも不純な動機だった。
「……どうかしました?」
そんなことを考えながら観察していると、不意に先輩が訊ねてくる。
自分に聞かれているみたいで一瞬意識が現実に戻るが、その相手は私ではなく向い合っていたおじさんの方だった。
「いや、最近なんだか楽しそうだなと思ってね」
彼はあまり現場に出ては来ない。だからといって、私たちのことを蔑ろにしているわけではない。
どちらかといえば気配りの出来る方で、会う度に現場で足りないものはないか確認したり、従業員の心身の状態を聴いてきたりしてより快適に出来るよう努めてくれている。
そのことを知っているし、入社してすぐに私も不安なことはないかなど色々聞かれたので、上司として良い人ではあった。
「…………えぇ、まぁ。それなりには」
対する先輩は、ぼかした表現をしているがその気持ちに関しては否定しなかった。
事情を知っているから、簡単に恋人が出来たと言い辛いのはあるのだろう。
それでも、今の関係を受け入れた彼女は優しい表情を浮かべていた。
──私には、その顔が苦手だった。
祝いたくないという訳ではないし、その気持ちがなければあの時背中を押したりはしない。
けれど、『彼女』がいるという事実が、かつての自分と重なって胸を締めつけていた。
「…………あの」
ざわつく胸を抑えて、二人の会話を遮る。
「私、そろそろ用事あるんで帰りますね」
「えっ? あぁ……。お疲れ様」
別れだけを告げると、私はその場で踵を返して更衣室へ向かう。
いきなり割って入って強い口調で伝えたものだから揃って困惑していたけれど、特に引き止められたりすることもなくそのまま話を進めていた。
その様子を確認することもなく、そそくさと会社を後にして夜空の下で大きく息を吐く。
以前の私も、先輩みたいな顔をする時があった。
でも、それはもう昔のことだ。
「……いい加減、忘れないとね」
口でそう割り切っていても、心に残る思い出にとらわれた身体は気怠くさせる。
今でも当時のことを引きずっていることを、嫌でも実感させらてしまっていた。
なんだか落ち着かない……。
今日は寄り道しよう。
帰路に着いていた足は反転して、商店街の裏路地をめざす。
あれから大人になった私はお酒の力を借りることを覚えてしまい、沈んだ気持ちを落ち着かせる術を悪い方法で身に付けていた。
「マスターさんの所にでも行こうかな」
そう呟いてから、わざとらしく地面を踏み締めてから最近行きつけのお店へと歩き始めていた。
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