後悔と躊躇い 93日目(season2)
十月も下旬を迎え、昼間の温もりさえも薄くなって冷たい空気だけがこの小さい街に漂うようになっている。
吐く息はまだ白くはないが、これだけ冷えた時間が続くともうじき冬が始まろうとしているのを身をもって感じさせられていた。
「だいぶ冷え込んできたね」
人通りの多い場所を避けるように歩く隣で、鈴音が空を一度見上げてからそう呟く。
最近になってタンスから出したロングコートは彼女の背丈では少し長いようで、袖の端からは細い指が何本か顔を出していた。
「寒いと乾燥して指先が切れやすくなるから、あまり得意じゃないかな」
今まで四季なんて暑いか寒いかぐらいでしか感じたことがなく、気にすることがあるとしたら仕事で使う手を痛めやすくなることぐらいだった。
それを聞いていた鈴音は、今まで何度も触れてきた私の手首を掴んで掲げる。
今更珍しいものでもない右手を興味津々に観察してから、優しく包み込むように指を絡めてしっかりと握っていた。
「……三咲の手って、私のと比べると少し固いとこもあるけど、温かいから私は好きだよ」
温かい声でそう伝えると、離れないように身を寄せてきて、けれど歩きにくくならないように距離を保って並んでくれていた。
細かい作業が多いとどうしても手を痛めやすく、切ってしまうほどに固くなっていく指の皮を自分で触る度に、彼女の女性らしいしなやかさとは程遠いと実感してしまう。
けれど、鈴音はこの手を好きと言ってくれて、付き合い始めてからも躊躇いなく何度も触れてきてくれる。
指が擦れる度にくすぐったくは感じるけれど、手に残る温もりは今までの人生で体験したことがないくらいに心地よく、凍える朝の時間にある小さな幸福を噛み締めていた。
* * *
鈴音と別れてからは一直線に職場へ向かい、荷物を置きに更衣室へと向かう。
入社してすぐは私の名前ぐらいしかロッカーにはなかったが、最近は他の人の名前も並ぶようになっていた。
「おはようございます、先輩」
「おはよう」
通勤中に着ていたパーカーを脱いで閉まっていると、数少ない女性社員にして私の部下にあたる小松さんと鉢合わせになる。
軽く挨拶を交わしてから彼女は隣に来て、一緒に仕事の準備を始めていた。
以前鈴音のことで悩んでいたことがあったが、その時に相談に乗ってくれたのをきっかけに最近は彼女とも話すようになっている。
……そうは言っても、その八割近くは仕事のことばかりで、残りは私の近況報告という構成になっていた。
改めて考えてみると、小松さんからはプライベートの話などは聞いたことがない。
私自身があまり人と接することに慣れていないのもあるけれど、他の人相手にもそういったことを喋っている様子もない。
最近は個人のことは切り離している人も多いから無闇に踏み込むつもりはないが、鈴音との一件もあるから何かしらの形でちゃんとお礼をしておきたいな。
「今日も仲良さそうですね」
並んでいる小松さんを横目にそんなことを考えていると、突然小松さんからそんなことを言われる。
彼女が指差す先には、別れる間際に渡された手作りの弁当箱がぶら下がっていた。
「…………まぁ、それなりには」
いつかの泊まりに行った日に自分の食事事情を話すことがあり、あまりの食べなさにその翌日から鈴音に持たせてくれるものになる。
仲良くしている証拠といえばそうなのだが、それを人に言われるとはなんだか顔が熱くなってしまっていた。
「それはなによりです。では、今日も一日頑張りましょう」
「そうね……。今日もよろしく」
上司の反応を見て満足したのか、小松さんは始業時間に間に合わせるために足早に更衣室を出て行く。
取り残された私は、やり場のない気持ちを抑えながら後を追うように部屋を飛び出した。
彼女が私の下についてから数ヶ月、性格も含め、未だにわからない事の方が多かった。
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