あなたと私 74日目➁
工場の裏口には自販機が二台並んでいて、その横には小さなベンチが備え付けられている。
一応この会社の休憩所の一つなのだが、とって付けたかのような場所なので普段はここに寄り付く人はほとんどおらず、手入れも私と工場長が入れ替わりで行っていた。
掃除されなければすぐに寂れた場所になりそうなのだが、意外にもこの人気のなさが社内で相談事をするのにはちょうど良いものになっているらしい。
そこに人目を盗んでから揃って座るけれど、すぐに話は進まずしばらく気持ちを落ち着けるための沈黙が続いていた。
どう切り出そうかと考えているその隣で、後輩はそわそわしながら待っている。
その初々しい態度に少し気持ちが落ち着き、一度呼吸を整えてからゆっくりと鈴音との経緯を話し始めていた。
「私には、社会人になってから出来た友達がいて、今でもよく遊びに行ったり泊まりに来てくれたりしているんだ。向こうも一緒にいる時はよく笑ってくれていて、その顔が見たいがために悩みを聞いたり、困っていたら出来る範囲で手助けをしたりもしていたんだ」
こうして話してみると、この短い間に本当に色んなことが起きている。
落とした定期を拾ったことがきっかけでお互いに連絡を取るようになり、一緒に水族館や駅ビルに出かけたこともあれば、ブレーカーの故障から泊まりに来たこともあった。
それが落ち着いたかと思えば今度はお母さんと遭遇したりと、何かと立ち止まる暇がないぐらいに彼女との出来事が、私の記憶を埋め尽くしている。
それほどまでに、今の私には鈴音の存在が中心となっていた。
「そうして同じ時間を重ねていくうちに鈴音のことを……。いや、私に笑ってくれたあの瞬間から、ずっと彼女のことを特別な意味で好きになっていたんだ」
水族館に行ったあの日から芽生えた感情に今でも翻弄され、時々胸を刺すような棘に変わることだってある。
けれど、初めて人に興味を持って何をしてあげられるか考えるようになって——ようやく私は人らしくなれたような気がしていた。
「……その人は、先輩にとって大切な人なんですね」
ここまでの話を聞いて小松さんは一瞬驚いた顔をみせるが、それ以外の大きな変化はなくポツリとそれだけを呟く。
彼女なりの気遣いでそれ以上踏みこまないでいてくれるのだろうけれど、今はこの職場で出来た上下関係に有り難ささえ感じていた。
その優しさに深く頷きながら、いよいよ本題に移っていく。
「その彼女からこの間告白されて……向こうからキスもしてくれた。どこで好きになってくれたのかは分からないけれど、お互いに同じ気持ちでいてくれるのは正直嬉しかった。……けど」
その先で、言葉に詰まる。
胸の奥にある不安が、まだ私の身体を蝕んでいた。
それらを押し殺して、さらに言葉を繋いでいく。
「けど、彼女の気持ちに応えるには今の私じゃ何かが足りないような気がして。上手く言葉じゃ伝えられないんだけど……私じゃ鈴音と釣り合わないんじゃないかと想像してしまって、まだちゃんと返事が出来ていないんだ。このままではいけないことは頭では理解しているけれど、今の欠けたままでは彼女と向き合えないような気がして、自分でもどうしたらいいのか……分からないんだ」
全てを話し終えて、胸の内に溜まっていたものが吐き出して少しだけ気が楽になる。
その隣では、当然といえばそうだが小松さんは難しそうな顔をしていた。
やっぱり、迷惑だったかな。
勘違いを解くためとはいえ、こんな私的な悩みを何も知らない第三者に話したらその本人が困惑してしまうのも無理のないことだった。
それでも、私の後輩は必死に悩んでくれて、時折唸りながら私の悩みを真剣に答えようとしてくれている。
その間にも時間は刻一刻と進み、気づけば五分前を知らせるジングルが無慈悲にも私たちの声をかき消そうとしていた。
「そろそろ行かないとね」
これ以上は仕事に差し支えが出てしまうので、ここで引き上げようと先に立ちあがろうとする。
結局、誰かに話したところで答えなんてそうあるわけではないけれど、今は話を聞いてくれただけでも、十分に気持ちは落ちついていた。
「——先輩は! ……今の先輩は、その人とどうしたいんですか?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます