あなたと私 74日目①

「三ヶ島さん、作業終わりました」


 新しく入ってきた小松さんの報告を耳にしたので、作業を一旦止めて頼んでいた部品の研磨の出来を確認するために彼女の元へ向かう。


「……大丈夫そうですね、有難うございます。それでは、次の作業ですけれど——」


 教えた通りの出来上がりになっていることに一安心し、次の業務を順に彼女へ説明し始める。その間、小松さんはずっと喰いつくような勢いでこちらに身体を向け、必死にメモを取り続けていた。



 昨日の内に工場の案内と大まかな仕事の流れは説明したので、今日から本格的に小松さんを加えて一緒に仕事をすることになった。

 入りたてなので簡単なことしかさせていないが、物覚えがいいのか一度言っただけで大体のことを理解してしまい、多少の修正で二回目以降はきちんと出来るようになっている。

 今でこれだけ覚えられているのだから、後は継続してその形が保てれば問題はなさそうなので、後輩が戦力として活躍してくれるのも案外早くなりそうだった。



 これだけ優秀な人なので指導に割く時間も短く済んでしまい、自分の仕事に専念していられる。

 それが有難い反面、時間に余白が出来ればすぐに鈴音のことを考えてしまい、答えを急かす気持ちだけが強くなっていた。

 しかし、どれだけ深く悩んだとしても依然として胸の奥にある不快感は消えず、このまま答えのないことに焦りだけが先走っていた。



 もし、このまま何も言えずに終わってしまったら、また今までの関係に戻っていくのだろうか。


 ——いや、以前までの関係に戻るだけならまだいい。

 もし、また名前も知らないただの他人にまでなってしまったら、私は……。


 先走る不安は次第に悪寒へと変わり、その冷たさだけが全身を駆け巡っていた。





「……さん。……三ヶ島さん?」


 その寒さと晴れ間の視えない心に支配されていたところに、小松さんの呼び声に現実に引き戻され彼女の方へ向くと、彼女が何かを聞きたそうに様子を窺っている。


「ここなのですけれど」


 聞かれたことは最初の頃に私も間違えたことのある個所だから、全容を知らなくても大体言いたいことが分かってしまうので、先に彼女の話に答える。


「えっと、そこのところはこうやって——」


 それでも、昨日といい今日といい仕事中に他事を考えてしまうのは自分でも感心できるようなものではなく、何事もなかったかのように接するので精一杯だった。



* * *



 お昼休憩のチャイムもが鳴り小松さんたちは各々外や食堂で昼食を取り始めている。

 その片隅で私はといえば、食欲があまりないのでご飯は取らずに休憩室の隅で一人椅子に座ってぼんやりとしていた。

 することがなくてこんな時間を過ごすことはあるけれど、考え事でこういった時を過ごすのは初めてなので、ただ座っているだけでも何処か落ち着かずそわそわとしていた。

 しかし、それだけで何か解決への糸口が見えてくるわけではなく、無常にも時計の針が音をたてて進むだけなので、気分転換も兼ねて席を立つ。


 どうにも気分が乗らず、ただ宛てもなくトボトボと歩いていると、通路の奥で誰かと電話をする小松さんの姿を見かけた。

 私の位置からは遠くにいるので会話の内容までは聞き取れないけれど、通話している間楽しそうに相槌を打ったり声が少し上ずったりしているので、それだけでも相手が彼女にとって『特別な人』であることは容易に伝わってきていた。



 その向かいにいるのが鈴音だったらと、不意にそんな想像が脳裏をよぎる。

 それを意識する度に、やっぱり彼女のことが好きなのだと思い知らされてしまう。



 私は、どう答えるのが『正解』なのだろう。



「……先輩?」


 少し悩みを考えていたところに、話を終えた小松さんが私に気づき、駆け寄りながら声をかけてくれる。


「どうかしました?」


 先ほどの浮かない顔を見られたのだろう、私の表情を窺いながら訊ねてくる。


「小松さんが気にすることじゃないから、大丈夫だよ」


 その気づかいに首を振り、口角を無理に上げて気丈に振る舞って大丈夫と答えてみせる。それでも、彼女の疑心が晴れることはなく、まだ私に不審な眼差しを向けていた。


「…………あの、先輩。私、何か至らないところでもあるのでしょうか?」


 その視線はやがて不安を現すものに変わり、彼女の唐突な一言に場が急激に静まり返っていく。


「……昨日から何だか難しい顔をしていたし時々ため息も聞こえていたので、もしかしたら何か粗相をしてしまったのでしょうか」


 私が鈴音のことで頭を抱えていた姿が、小松さんには自分のせいのように映ってしまったようで、大人しい彼女は話す度にどんどん覇気をなくしていき、顔も怒られる前の子供のように委縮させてしまっていた。


「そうじゃない」


 流石にそれは勘違いなので、強めの口調で彼女の心配を否定してあげた——つもりなのだけれど、それは返って恐怖心を与えてしまったみたいで余計に肩身を狭くさせてしまうだけでしかなかった。



 ……どうしよう。

 このままだと、小松さんは私の不機嫌が自分のせいだと思い込んでしまう。

 かといって、個人的な悩みをまだ素性もよく知らない第三者に話すのは、流石に気が引けてしまっていた。


 


 けれど、このまま硬直していても解決策がないのは事実だった。




ずっと独りでこの気持ちを抱えていても同じ状況が続くのは目に見えていて、このことを奈緒や一葉には言えず、ましてや普通の家庭を持つ工場長に相談には出来る気がしなかった。


 それならいっそのこと、何も知らずに率直に答えてくれる人の意見の方がいいのかな。



 妙に張り付いた空気の中、怯える彼女を一瞥して、落ち着くために深く呼吸をする。

 そして、少しだけ笑うように意識して、後輩に向き直る。


「……ちょっと、個人的なことで悩んでいてね。……良かったら、少し相談に乗ってくれない?」


 私が向けた笑顔に、今度は目を丸くして何がなんだか分からず様子を窺っている。

 それでも、先程までの緊張は解けてくれたのかおずおずと顔を覗かせてくれて、そのまま小さく頷いてくれた。



 こんな弱々しい姿の先輩なんて尊敬するに値なんてしないかもしれないし、私は何も知らない彼女を気持ちのはけ口に使いたいだけかもしれない。

 でも、一度喉を通った言葉に続くように私の想いは止まることを知らず、次へ次へ出ようと口から溢れそうなほどにいっぱいになっていた。



 その反応を確認してから、人気の少ない工場の裏口の方に小松さんを連れて歩いていく。


 全ては、彼女の誤解を解くためと、私自身のこの複雑な気持ちに整理をつけるために。

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