あなたと私 72日目

 カーテンの隙間から差し込む朝日が、私の身体を眠りからゆっくりと覚ましていく。

 毎日繰り返していることのはずなのに、今はこの時間が訪れること億劫に感じてしまい、時の流れに抵抗するかのように全ての動きが緩慢になっていた。

 出来ることならずっと止まっていたいけれどそうするわけにもいかず、ベッドから身体を離して顔を洗うために洗面所に向かう。

 鏡の前に立ち向こう側にいる自分と対面するのだが、髪は今までにないほどにあちこち跳ねていて、元々愛想の悪い顔つきも更に酷くなりここ数年でもみたことのないほどの目覚めの悪さを披露していた。


「月曜日、かぁ……」


 そんなだらしない自分の姿を前に、大きく息を吸って吐く。

 頭の中は常に鈴音のことでいっぱいで、それでもその気持ちに向き合うには何かが欠けているような気持ずっとつきまとっていた。



 何が足りないんだろう。



 お互いに同じ気持ちだって分かっているはずなのに、今のままでは応えられないんじゃないかと、もう一人の私が先に行くのを踏み留めている。

 その理由も原因も分からないまま、根拠のない不安だけがこの短い間に次々と現れては心に這い寄ろうとしていた。



 私だと、彼女と釣り合わないんじゃないかな。

 女性同士なのに、こんな感情を持ってしまうことを周りから変に思われたりしないだろうか。



 ——私は、鈴音のことを本当に幸せに出来るのだろうか。



 浮かび上がる暗い感情をかき消すように頭を振り、何事もないようにいつもの顔つきへと切り替える。

 こういう時に無愛想な顔つきは胸の内を読まれにくいことが多いのである意味では得ではあるが、この表情に助けられていると思うとどうにも釈然とはできなかった。

 その気持ちを変えようと視線を鏡からスマホの画面へ移せば、そろそろ準備をして会社へ向かわないといけない時間が近づいている。

 時刻の確認をしてからもう一度大きく息を吐き、洗面台で軽く顔を洗ってから足早に出勤の準備を進める。



 今日という一日が始まる瞬間が、無常にも私たちに少しずつ近づいていた。



* * *



 通勤ラッシュの始まる少し前の車内はまだ人との間に隙間があって、そこから移り変わっていく景色を眺める。

 普段ならありきたり過ぎて何も感じなかったこの光景も、今はもう少しだけ引き延ばしてくれないかと心の隅にいる後ろ向きな私が思ってしまう。

 それは鈴音に会いたくないとか今の現実から離れたいとかそういう話ではなく、単純に私の問題を整理する時間が欲しいだけだった。

 しかし、その想いも虚しく車内では彼女が乗ってくる駅名を読み上げ、少しの余裕だけを持たせてから自動扉が大きな音と共に両側に開く。

 その奥からは、あの時と同じスーツに袖を通していた彼女が現れていた。


「……おはよう」

「おはよう、三咲……」



 今まで何の気なしに交わしてきた挨拶も、今は何処かぎこちない。

 それでも、鈴音は私の隣に並んで立ってくれていた。



 そのまま電車は走り始め、しばらくは静かな朝の時間が全車両に流れ始めていく。

本来なら爽やかな空気のはずなのに、今の私たちには何処か重く、冷たくのしかかっていた。



 流石にこのまま何も言わないのは、雰囲気的にも少し辛い。



 まだ心を決めたわけではないが、このまま凍り付いたような緊張感のままでいるよりかはマシだと思い、勢いよく口を開いて話題を振ろうとする。


「ところで、鈴音——」

「この間の話なんだけど……返事はすぐじゃなくていいよ。——でも、待ってるから」



 それよりも先に、彼女からそう伝えられる。

 逃げるわけではないのだがその一言で退路は塞がれ、隣から横目で私の意思を待ちわびる眼差しを向けていた。



「…………ありがとう」


 定まりきらない私の気持ちを待ってくれる優しさに感謝すると共に、このことに早く答えを出さなければという焦りが生まれてくる。



 それは私の思考を余計に曇らせていき、彼女の気持ちに応えるために必要な足りないものを更に遠ざけてしまっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る