金魚と灯籠 70日目

 昨日の夜起きたことが今でも信じられず、あれは夢かなにじゃないかと自分の記憶を疑ってしまう。

 けれど、あの時のことを忘れないように唇に残る感触が熱を帯びていき、その情景が鮮明に蘇ってくる。

 その度に、鈴音のキスが嘘じゃないことを思い知らされていた。



* * *



 唇から伝わってくる熱と柔らかい感触が、脳を少しずつ蕩けさせて周りの時間を静止させる。

 それから程なくして顔が離れたけれど、私には十分以上の時間が経っているように感じられていた。

 

「…………鈴音?」


 突然のことに頭が真っ白になってしまい、精一杯振り絞った声で名前を呼ぶ。

 けれど、返事もなければ相槌もなく、熱っぽい視線を向けるだけで何も発することはないのでどうしたらいいのか分からず、ただ気まずい雰囲気が誰もいない屋上で漂っていた。

 やがて、時間が無常に過ぎていく中で鈴音の意識が戻り始めて、大きく息を吸って沈黙を打ち破る。



「……私、三咲のことが好き」



 突然告げられる鈴音の気持ちに、心臓が大きく高鳴る。

 その言葉を受けた私の頭の中は、両想いだったことに対する嬉しさよりも自分のことを恋愛の対象として見てくれていたことへの驚きの方が大きく、あの行為の後に出てくる『好き』の意味が友達以上のことを指していることには気づかざるを得なかった。


「……き、今日は先に帰るね……。…………ごめんね」


 想いを伝えた本人は、ようやく纏っていた熱が収まって冷静になってきたのか自分の言葉の大きさに耐え切れず、逃げるようにしてそそくさと屋上を離れていく。

 


 その間際に見えた顔は、嬉しさや恥ずかしさよりも何処か暗い表情をしていた。



* * *



 それから半日以上が過ぎたけれど、彼女からは一向に連絡もないまま一日が終わろうとしている。

 かくいう私も、受けた告白のことを考えると今の鈴音にはメッセージや電話をかけづらく、お互いにまだ昨日の出来事が頭から離れず気まずい雰囲気が続いたままだった。



 それでも、鈴音と私が同じ気持ちでいてくれたことは嬉しくて、まだその余韻が強く心に響き渡っている。


 何時から、好きになってくれたのだろう。

 どんなところを、気に入ってくれたのかな。

 今まで一緒にいた時間も、何処かで楽しいと感じてくれていたのかな。


 ずっと自分のことを不愛想な人間だと思っていたから、特別な人ができるなんて考えたことなくて、その相手がまさか自分と同じ気持ちを抱いてくれていたことに今でも口角が上がってしまう。

 


 その一方で、去り際に見せた表情が私の胸の中でつっかえていた。

 それに、急に告白をしてきたのにも何か焦りがあるようにみえて、それも私には気がかりだった。

 


 色んな事が心の中を渦巻いていき、考えがまとまらなくなっていく。

 


 ——私は、鈴音の向けてくれる気持ちになんて応えてあげたらいいんだろう。




 秋がそろそろ訪れようとしているのか、先週まで五月蠅く鳴いていた蝉の声が一切聞こえなくなり、静かな夜と共に冷たくなってきた風が部屋に吹き込んでくる。

 それを肌に感じながら、もう一度あの時の熱が蘇って再度現実を突きつけられる。

 変わりゆく季節の中で、冷やかしでもいいからあの騒がしさが何処かでしてくれないかと、そんな淡い期待を抱きながら星空を見上げていた。

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