金魚と灯籠 69日目
気づけば、私の一言で三咲を引き留めてしまっている。
何か急ぎの用事や深刻な話があるわけでもなく、なんでもない一日の終わりに急いで伝えることも表立ってあるわけではなかった。
ただ、こうして偶然会えた時間を少しでも引き伸ばしたくて、自身の想う心が咄嗟に扉を開ける手を妨げていた。
——何やってるんだろう、私。
行動そのものが帰るのをぐずる子供のようになってしまい、いい大人のすることとしては少し幼稚に見えたかもと思ってしまうと、途端に恥ずかしさがこみ上げてくる。
それでも、三咲は何も言わずに動きを止めてくれる。
もしかしたら、彼女も同じことを考えてくれていたのかも。
なんて淡い期待を抱きながら、立ちっぱなしなのも良くはないので二人きりになれる場所を探して適当に彷徨っていく。
ちぐはぐなリズムを奏でる足音はどれだけ人気を離れても続いて、何でもない音なのに今は後ろにいてくれるという安心感を与えてくれていた。
* * *
宛てもなく歩き続けること数十分、目的地のない私たちが辿り着いたのは駅ビルの屋上だった。
昔はイベントやビアガーデンの会場として使われていたらしいけれど、今となっては自動販売機と簡素なベンチあるだけで、後は緑色に塗られたコンクリートが広がっているだけの一見すると寂しい場所だった。
「……私、屋上って初めて来たかも」
隣にいる鈴音は遠くに見える夜の街の明かりに見惚れながら、そんなことを呟く。
「私も初めて」
お互いに人生で来たことがなかったのだろうか、常に騒がしい街中でここだけ切り取られたかのような独特な空間に不思議な高揚感とそれを鈴音と共有していることへの嬉しさに顔の筋肉が少し緩んでしまう。
それを悟られないように隠しながら落ち着かせて、適当に置かれたベンチに並んで腰を降ろしていた。
しかし、いきなり呼ばれて来たので当然ながら何の話をするかなんて決まっておらず、しばらく沈黙の時間が続いてしまっていた。
すぐに話題が出てこないのを察するに鈴音も特に何か用意していたわけではなく、ここへ来たのも突発的なものらしく、今もそわそわしている。
彼女にしては珍しいけれど、理由は何であれこうして一緒にいられる時間が出来るのは嬉しい限りだった。
けれど、いつまでもだんまりのままではこのむずがゆい空気が長引くばかりなので、この前の指導役のことを話していく。
「…………そういえば、この間話した指導役のことなんだけど、会社とも話し合って引き受けることにしたんだ」
* * *
三咲から、この間の話の結果を告げられる。
「そう、なんだ」
あの時にその答えを聞いていたら、まだ素直に祝福が出来たかもしれない。
けれど、自分の気持ちを受け入れた今では心からは喜びきれず、またあの不安が押し寄せてくるばかりで、今も胸の奥がざわつき始めている。
「相談に乗ってくれてありがとう。また何かあったら、話したりするかもしれないから」
そんな心境なんて知り得るはずのない三咲は、この間のお礼も合わせてにこやかに笑って話してくれる。
まだこうして私を頼りにしているから今はその顔を向けてくれるので、取り残されるような心配はいらなかった。
でも、それが他の人に向かないという保証はやはり何処にもなかった。
本当は祝ってあげないといけないのに、これからも変わらずにいてくれる確かな繋がりを無意識に求めてしまっている。
彼女が遠くなっていくと知る度に、絶対的なものを欲してしまう自分がいる。
その高鳴りすぎた想いは私の理性すら抑えてしまい、その奥にある想いが口を滑らせていた。
「………………これからも、こうして会ってくれる?」
当然ながら、三咲はなんのことか分からずに困惑をしている。
「まぁ、時間の都合がつくかは分からないけど、休みの日とかなら合わせられると思うよ」
自分の環境が変わろうとする中でも、三咲は私に会おうとしてくれていた。
——でも、それは聞きたかった答えとは少し違っていて。
「……もっと一緒にいたい。って、言ったら?」
喉の奥から零れた本音はますます三咲を混乱させてしまっているようで、彼女は言葉に詰まってしまっているのかなかなか返事がこない。
それを分かっていてこんなことを訊ねる私も、随分と意地が悪かった。
だからこそ、離れてしまわないように身体を近づける。
何もかもがすぐに触れてしまいそうな位置に、彼女は焦り始め一体何事かと慌てはじめていた。
そんな姿すら、今は愛おしくて。
意識する間もなく、本能に流されるがままに自分の唇を三咲のものと重ね合わせていた。
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