金魚と灯籠 68日目
ひと月前は一日中鳴き続けていたセミも気つけばその姿を消していて、今では鈴虫の声がどこからともなく聞こえ始め、夏の夜に秋を先取るように奏でられていた。
その聞き心地の良い街道を、一人駅に向かって進んでいく。
今日も大きな仕事はなく、来月の新人を迎える準備も着々と進み、社内全体で次に進む雰囲気が立ち込めだしていた。
「今頃、鈴音は何してるんだろうな……」
静かな夜に想いを馳せる言葉が、無意識にぽつりと出てくる。
お互いに連絡先を交換したあの時から毎日のように会っているけど、別れてからの時間が長いから時々こうして相手のことを考えてしまう。
それが脳裏をよぎる度に、私は彼女のことをずっと前から意識してしまっているのだと、改めて認めざるを得なかった。
しかし、その気持ちを表面に出して伝えたいかと聞かれると、私の口は固く閉ざしていつも通りを装ってしまう。
仮にこの先想いを告げたとしても、その先がどうなるかなんて分からないからせめて今だけはとこの関係に縋りつきたい私がいるのは事実だった。
でも、今の気持ちのままで鈴音に大切な人が出来た時、素直に祝ってあげられるのか。
今の関係のままで、本当にこの先後悔しないのか。
結局のところ、内に秘めているこの想いをどうしたらいいのか分からず、答えが出せないだけでしかなかった。
もう少し、人と話して自分を表現する術を身に着けていたら。
私が、過去に一度でも誰かを好きになっていたら。
——この気持ちの向き合い方も、分かるようになるのかな。
未だ出しきれない気持ちに頭を抱えながら、薄暗くなった道を歩いていく。
今は少しでも明るい場所に出たくて、足が駅前に着くのを急がせていた。
* * *
遠くに見えていた街の灯りも徐々に近づき、それに合わせて人も増え始め、徐々に賑わいが辺りを彩っている。何もなければ大抵の人は仕事を終えて帰える時間なので、それぞれの目的地に向けて一斉に動きだしてしまい、どこも人であふれるような状況になっていた。
「…………流石に多いなぁ」
その多さに迂回ルートを探して抜け道を通ろうとするが、駅周辺はそもそもの人通りが他所より多いので何処に行っても同じ光景になりそうだったので、渋々その流れを上手く掻き分けて更に奥へと足を進めていく。
時折人にぶつかって謝りながらもようやく駅ビルの扉が現れ、窮屈な空間から逃れるように前のめりになりながら手を伸ばしていた。
その指が、取手に触れるよりも先に横から別の手が伸びてきて、お互いの指先が触れてしまう。
「すみませ——」
咄嗟の出来事に反射に謝ろうとして、隣の方を振り向く。
「……鈴音?」
「……三咲?」
こういう時に限って遭遇するのは偶然なのか、それとも運命だったのか。
隣には、仕事帰りの鈴音が立っていた。
「珍しいね、こんな時間に会うなんて」
「最近は朝しか会えてなかったからね」
この状況で会っても話す言葉に困ってしまい、何て言おうか考えていたところに鈴音から普段の何気ない口調が返ってくる。
ここ二週間近くは帰りの時間が絶妙に嚙み合わない日が続き、灯籠流しの日以外ではお互いに一人で帰る方が多くなっていた。
そんな状況だったので、今は緊張や不安よりもこの時間に会えた安心感の方が強く久々に落ち着いていられた。
「それじゃあ、帰ろうか」
驚いて手を放してしまったけれど、ここでずっと話し込むわけにはいかないので再び扉に伸ばして改札口へ行こうと促す。
しかし、鈴音は私の問いかけに口を塞ぎ、そこから動こうとはしなかった。
「あの、三咲……。少し広いところでゆっくり話さない?」
唐突な誘いに、耳を疑う。
それを云ってきた彼女は、何かを伝えたそうにじっとこちらを見つめていた。
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