金魚と灯籠 58日目

 八月も半分が終わり、ネットや街中に貼りだされる広告は既に秋を彷彿させるワードやイラストで埋め尽くされていて、新しい季節を待ちわびている。

 けれど、肌を焼くような日差しはまだ衰えることなく降りそそぎ、今日も残暑の厳しい一日になりそうだった。


「おはようございます」


 連休明けの初日から身体が怠けないように、大きめの声で挨拶をしてから自分の席に座って休み前の仕事の確認をしている。早めに来たのもあって、社内にはまだ片手で数えられるほどの人数しかいなかった。

 お盆休みとはいえ一週間も空いてはいないのだが、久々に目にする支店のオフィスがどこか懐かしく感じて、入社してから仕事に打ち込んできた日々のことがぼんやりと蘇ってくる。


 ずっと親に反抗するためにこの仕事を続けてきたけれど、今は純粋にやりがいがあってようやく自分なりの生き方が出来ているような気がしている。

 そう思うと、今日からまた頑張ろうと気合も十分にこみ上げていた。


「森野さん、おはようございます」


 一人意気込んでいるところに、先輩の野中さんが出勤して声をかけてくれる。

 朝の和やかな雰囲気の中、元気に返そうと彼女に振り向くと——夏を思う存分楽しんできたようで、その肌をこんがりと焼いていた。


「おはようございます。すごく焼けてますね」

「お盆の間ずっと従妹と海に行ってたから、日焼け止めしても太陽には勝てなかったよ」


 少し恥ずかしそうに先輩は話していたけれど、全身からこの連休を満喫していたことを十分に現わしていた。


「おはようございます」

「おはようございます、課長」


 そこへ今度は課長が出社し、挨拶をしながら会話に入ってきたので二人揃って会釈をする。


「野中さんは連休を楽しんできたみたいですね」

「はい。おかげさまで……」

「良いことですよ。私も、久々に旦那と登山に出掛けたりしてましたから」


 二人揃って連休を謳歌してきたみたいで、夏の楽しそうな思い出は次第に華を咲かせるように盛り上がっていき、和気藹々と雑談を繰り広げていた。



 そんな中、今年のお盆休みは母親のことで頭がいっぱいだった私には季節感のある思い出はなく、さすがに輪に入りにくくなってしまい、遠くで眺めるように耳だけを傾けていた。



「森野さんは連休中どうでした?」


 大人しくしていたところに、二人で盛り上がっていたのを気にした課長がこっちにも話を振ってくる。

 しかし、今年は行事と言えるようなところには参加できず、海やプールにも行く余裕すらなかったので、内心どうしようかと考えながら振ってくれたことに失礼のないようにそれらしい答えを探してみる。

 けれど、残念なことに出てくるのは母と喧嘩したことと三咲に助けてもらったということぐらいだった。


「わ、私は……友達と遊びに出かけてました」


 流石にそんな家族間のトラブルを朝から言うわけにはいかないので、拡大解釈のできる言い回しをしてその場をなんとかしてやり過ごす。



 嘘は、言ってないものね……。



 この連休中にろくな思い出のない私は、二人の会話に混ざりながら少しずつ聞き役になっていく。

 耳を傾けていれればどれも楽しそうな内容ばかりで、二人とも今年も暑いと言いながらも爽やかなこの季節を十分に堪能しているようだった。



 ——私も、夏っぽいことしてみたかったな。



 母が急にやって来てはひと騒動起きて、その前はアパートで停電にみまわれたのでそんな暇があるはずがなく、今から行くにしても近くに海や山があるわけではないから行くのにも何かと用意が必要だった。 

 身内のことで色々バタついてしまったとはいえ、せめて季節感のあるようなことをしたかったと悔やみながら、始業まで楽しそうに話す二人を羨ましそうに見つめていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る