母と娘 56日目①
太陽が地平線から顔を出して数時間、今朝の天気予報では快晴になり気温も猛暑日になるといわれているにもかかわらず、街中の人通りは連休中なのも相まって今まで見てきた中で一番の賑わいをみせていた。
その華やかな表通りの脇から裏側へと続く道に入り、背筋を張って一人歩いていく。
そこから道なりに奥へ進めば、明かり一つで寂れた雰囲気のする奈緒のお店が扉を閉めて静かに眠っていた。
その様子を一瞥してから時刻を確認すると、昨日届いた約束の時間まであと十五分を切っている。
今までなかった母と一対一での場面に、ちゃんと話が出来るか身体が強ばっていく。
その緊張を一旦受け止めるように息を吸って、大きく吐いて落ち着かせる。
それからそっと瞳を閉じて、今もなお支えてくれる人のことをゆっくりと想い浮かべていた。
もし、あの時三咲が引き止めてくれなかったら、今頃また怒りに任せて逃げていたかもしれない。
感情的になるのが良くないって分かっているのに、母に言われてイラついているようでは未熟と言われても反論なんて出来るはずがなかった。
……ダメダメだよね、私。
結局、一人では何も出来ないことばかりで、本当の気持ちすら正直に言えない自分が情けなくなってしまう。
そんな私に、そっと誰かが肩に手を置く。
その感触に振り返るが、辺りには誰もいなかった。
ここには一人で来ているのだから、私の他に人影がないのは当然のことでしかない。
でも、その手には覚えがあった。
今までも何かあれば支えてくれて、昨夜だって親身になって引き止めてくれてこうして話し合う場を設けてくれるきっかけを作ってくれた人の温もりを思い出すだけで、じんわりと胸から全身に自然な温もりが包み込んでくれる。
そうして守ってくれているおかげで、今の私はこうして過去と向き合おうとすることが出来ている。
こんな私を支えてくれて、ありがとう。三咲。
信じてくれている友の期待を背に、先に来て待っている母の元へと歩んでいく。
ここから先は、どんな結果が来ても受け入れていくつもりだった。
* * *
連休も終盤に差し掛かり、明日で元居る街に帰る人たちが最後の思い出作りのためにいろんな場所でごった返していて、夕方になっても街中の賑やかさは一向に衰える気配をみせなかった。
そしてそれはここでも変わることはなく、市内で一番の規模を誇る巨大な中央公園では夏の暑さよりも激しい熱気に包まれた。
「相変わらずこの時期の公園は騒がしいわね」
「こういうのに来ることなんてほとんどないから耳が痛い……」
屋外ライブ会場の敷地外で、私と奈緒は自動販売機に備え付けのベンチに並んで座っている。
今日は一葉が本来の目的でやって来たライブの日であり、その場所が普段は静かなこの公園というわけだった。
このイベント自体は私がここに来る前から十年以上続いており、開催する度に県内外から多くのファンが毎年のように押し寄せてきているので、公園の近郊に住む奈緒は騒がしいと言いながらも迷惑そうな様子は一切みせていない。
対する私はというと、かなりの爆音とそれに負けないほどの歓声に日常生活ではおおよそ聞くことのない音に劈くような痛みがずっと耳を襲い続けていた。
「一葉はよく聞いていられるよね」
「あんたがこういったイベントに行かなさすぎるだけじゃないの」
既に慣れている奈緒は淡白にそれだけ言うと、カフェオレの空き缶を捨てようと立ち上がりすぐ横のゴミ箱へと放り投げる。
その些細な行動を眺める間も、耳にはずっとギターやドラムの音が大音量で響いてくるので、気を紛らわすためにスマホを取り出してその画面に集中していた。
しかし、ニュースサイトすらろくに登録していない私の画面は未だ静寂なままだった。
鈴音が母親と話始めてから、もう三時間以上は過ぎている。
ちゃんと自分の気持ちを、伝えられているのか。
母親の方は、静かに耳を傾けてくれているのか。
これ以上は介入が出来ないと分かっていても、この結果が気になりすぎてしまい、会場に着いてからは何度もスマホを開いたり閉じたりを繰り返していた。
「三咲、気にしすぎ」
私の落ち着かない行動を見兼ねた奈緒が、追加で買ってくれたお茶をこっちに差し出して画面を遮ってくる。それを小さく礼を告げてから受け取って、栓を開けてから少しだけ口にする。爽やかな喉ごしに香ばしい香りが、私の心配を少し和らげてくれていた。
「鈴音だって自分の意思で私の店に行ったんだから、信じて待っていなよ」
多くは語っていないけれど、芯の通った友達の一言が心の奥にまで響いてくる。
「……それもそうだよね」
彼女の言葉と鈴音のことを信じて深く頷き、お茶をもう一杯口に含む。
不安が渦巻いていた心は少し落ち着き、深呼吸をするように深く息を吐いていた、
そこへ、タイミングを見計らったかのように私のスマホが、外の演奏に張り合うぐらいの着信音を響かせる。
その相手は、もちろん鈴音だった。
通話の相手に奈緒も後押しするように首を縦に振ってから、電話の呼び出しのボタンを押す。
「もしもし」
「もしもし。待たせてごめんね。……今って、二人っきりで会えたりしないかな?」
いきなりの二人での発言に、思わずドキッとしてしまう。
決して嬉しい話が聞けるわけではないと分かっているのに、好きな人からの呼び出しにはどうしても心が揺れ動くものがあった。
すぐに応じたいけれど、今は奈緒もいるし一葉のライブもそろそろ終わりを迎えようとしているから、抜け出していくには少し負い目を感じてしまう。
動くかどうか迷うその背中を、誰かがそっと押し出してくれる。
その優しい衝撃に躓くように前へ進み、反射的に後ろを見ると顎で早く行けとしゃくっている奈緒がm、仁王立ちで送り出してくれていた。
ありがとう。
心の中で小さくお礼を伝えてから、再び鈴音の電話に応える。
「——うん、行けるよ。どこに向かえばいい?」
場所を聴いている時には既に駆けだしていて、彼女の元へと急いでいた。
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