母と娘 52日目➁

「じゃあ、まず実家のことから話すね。私の家には昭和から代々経営している会社があって、あと数年で開業百五十年になるほどの長い歴史を持っているの。……『森野電子工業』って言えば、すぐに分かるよね」


 彼女が口にした会社は、日本の中でも五本の指に入るほどに有名な大企業の名前で、電気製品にまつわるあらゆる商品の製造から販売までを一手に担っていて、今では国内の半分は森野電子とも呼ばれるほどに大きい存在になっている。

 生きていたら一度は確実に耳にする会社の家系にいると聞かされて、私と一葉は流石に唖然として驚きを隠せずにいた。

 そこに、今度は一枚の写真と二つ折りのパンフレットを机に広げはじめる。

 一つは家族の集合写真のようだが全員ドレスやスーツで綺麗に整えていて、中心にいる老齢の男性を囲むように並び、右下には小さい鈴音とこの間見た母親も混ざっていた。

 その写真の隣にあるパンフレットは森野電子工業の会社案内で、あらかじめ開いてあるページには大きく『社長挨拶』と書かれた見出しとあの老齢の男性が大きく掲載されている。

 この二つから、写真にいるのは森野電子工業の社長であり、そこにいる鈴音はまぎれもなく彼の親族であることを示していた。


「苗字が同じだから淡い期待レベルでそうかなって思ったこともあったけど、本当に社長令嬢だったんですね……」

「令嬢って言っても、実際の跡取りは一番上の兄さんだけどね。あと、そんなに気負わなくて大丈夫だよ」


 まさかの正体に接し方に困る一葉に、八の字に下がった眉で愛想笑いを浮かべている。

 ここまでの話でも十分に情報が多いのだが、それ以上に波瀾な人生が、鈴音の口から語られていた。


「私はその家の次女として生まれたのだけれど、昔から家の教育は厳しくて進学する学校や通う塾はもちろん、会話をする先生や友達すら口を挟んできて勝手に人を選んでいたから、進学校に通いながら他の子が仲良く遊んでいる姿を羨ましそうに眺めることが何度もあった」


 大きな家に生まれたからこそ、一族の一人として正しく育てようとしていたのだろう。

 しかし、行き過ぎた想いは鈴音の意思すら塞いでしまい、思い出すだけでも辛そうになる表情からそれはとても窮屈な生活だったことが窺えていた。


「それでも、唯一味方だったおばあちゃんが何度も慰めてくれたから、大学生になってもその環境の中でなんとか一緒に暮らしてはいたわ」


 そこから先の言葉が出るのに少し時間が空き、呼吸を落ち着かせる仕草を何度もしながら、次の話を続けていく。


「でも、私が大学三年生になって周りがそろそろ就活を意識し始めた頃、親は急に結婚の話を出すようになって、その相手も勝手に決めてしまった」

「そんな身勝手——!」


 両親の行動に怒りをみせる一葉だったが、言うより先に口に手を当てて、黙って座らせる。


 言いたい気持ちは分からなくはない。

 けれど、それに口を出していいのは鈴音しかいない。

 

 妹が怒ってくれたことに、鈴音は静かに礼を述べて話を続ける。


「この時ばかりは流石に私もそのやり方に怒って、人生を一緒に生きてくれる人すら選ばせてくれないことに堪忍袋の緒が切れて母との口論の末、私は家を出ていった」


 その怒りは相当なものだったようで、こうして話している彼女自身も眉間にしわが寄り始めている。

 家の方針に我慢し続けた結果が、友達を失くし進路も奪われ一生の伴侶ですら決めさせてもらえないとなると、あの言い争いに発展してしまうのも無理はなかった。


「それからは一人で仕事も引っ越し先のアパートも決めて、今の生活を送れるようになったの。失敗することもあったし落ち込むことだってあったけど、望んでいた人生にようやく近づけてそれなりに楽しく過ごせるようになったわ」


 ここまでの生き様を話し終えて、鈴音は安堵の息を吐く。

 何もない空間に目を向けて考えることは、今までの辛い記憶か、それとも自由を手に入れた後の思い出か、それは本人しか分からない。

 それでも、全てを話した彼女は少し晴れやかな顔をしていた。



 この判断を、一般的な人が聞いたら『逃げている』と言う人がいるかもしれない。

 皆嫌なことに耐えているんだからあなたもそうするべきと説く人もいれば、そんな衝動的に逃げ出すようなことをして、これから先どうするんだと言う人も現れるだろう。

 けれど、親の保護下でしか生きられなかった時の決断を、簡単に『良い』や『悪い』の一言で済ませてしまうのが、私には鈴音の意思を踏みにじるような気がして、そんなこと言えるはずがなかった。



 ——ただ、一つ気になることがあるとすれば。



「ねぇ、鈴音」


 私は名前を呼んで、彼女が顔を向けるのを待つ。



「鈴音は、その選択をして後悔はしていない?」



 話している時に言葉を選ぶような間があったり、時折現実から目を背けるように逸らすような仕草もあって、私には何か心残りがあるように映っていた。


「…………鋭いなぁ、三咲は」


 私の問いに鈴音は目を丸くしていたが、観念して隠していた気持ちを紡ぎはじめる。


「本当は、ただ知ってほしかっただけなんだ。選ばれた道じゃなくて、自分で見つけた未来を生きてみたい。たったそれだけのことなのについ感情的になって、話す機会すら失くしてしまって……。家のことを想いだしていると、本当にこれでよかったのかなってかんがえてしまうことがあるんだ」


 その後悔を隠すように、鈴音は苦笑を浮かべる。

 


 私には親子と呼べるほどの思い出もなければ、それを感じられるほどの繋がりも感じたことはないから、鈴音の気持ちに対して『理解できる』とまでは言いだすことが出来ない。

 けれど、彼女の話す知ってほしいという想いが小学生の頃わずかに抱いていた感情に似ているのなら、少しは近づけるのかな。



「……大変、だったね」


 鈴音にかける言葉が上手く見つからず、沈黙を破ろうとしてありきたりな慰めが出てきてしまう。

 けれど、鈴音はそれを喜んで受けて止めてくれて、知り合ってから何度もみせてくれた笑顔に自然となっていった。


「ありがとう、三咲」



 彼女の過去に対して、生きてきた環境も考え方だって違うから共感も出来なければ理解だって示してあげられない。

 今出来るのは、抱えてきた苦しみに寄り添って少しでも和らげることしかなかった。

 けれど、今の鈴音はそれだけでも十分に嬉しそうだった。

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