姉と妹 49日目

 朝の食事もそこそこに済ませたところで、一葉ちゃんが持ってきたゲームをやろうと言いだし三人でボードゲームを嗜みながらゆったりとした時間が流れていく。

 昨日のこともあって一葉ちゃんの方を時々窺うけれど、そこには最初にあった元気溌剌な女子校生の姿しかなく、昨夜のあれは幻ではないかと疑うほどに印象がかけ離れていた。

 その横で、一葉ちゃんが取るはずだったカードを奪って二番の順位を勝ち取り大きな抗議の声を受け流している三咲は、妹を諫めている。

どこにでもあるような姉妹のやり取りが、私には微笑ましかった。



 こうして一葉ちゃんがやって来るのも、もしかしたら三咲に甘えたかったのかな。



 聞かされた過去を鑑みれば、両親の手によって接触すらまともにさせてもらえなかった可能性がないとは言い切れない。

 だからこそ、こうやって部屋にやってきては姉を振り回しているのも、彼女なりの愛情表現の一つという風に取れなくもなかった。

 そんな二人のやり取りを優しく見守っているところに、私のスマホが急に鳴りだす。

 手早く取り出して見てみると、大家さんからの着信が来ていたので席を外して自分の部屋に戻り、急いで電話に出る。


「ごめんね、連絡遅くなっちゃって。ブレーカー、今日の夕方には直りそうよ」

「本当ですか?!」


 これでようやく部屋に戻れる。

 ずっと待っていた修理の連絡に喜びの気持ちが昂り、思わず声が上ずってしまう。



 ——それと一緒に、名残惜しさも押し寄せていた。



 急なお願いで泊めてもらった上に一週間も同じ場所で生活を共にしてきたから、いつまでも居ていいわけではない。

 けれど、仮で作ってくれたこのスペースも少し殺風景な部屋にも少し愛着が湧いてしまい、今日出ていくと思うと二の足を踏んでしまいそうだった。

 しかし、いつまでも残り続けるわけにもいかないので、大家さんとの電話を早々に切り上げて再びリビングに戻っていく。


「さっきの電話、ブレーカーの件?」


 席を外したことを気にしていた三咲は、姿を見ると真っ先に内容を聞かれたので、素直に頷いて答える。


「……うん。今日の夕方には直るって」

「そっか。良かったね」


 屈託のない表情で生活が元通りになったことを喜んでくれていることは見てすぐに分かる。

 でも、さっとその言葉が出てきたことに、さっきまで出ることを惜しんでいた自分との温度差に少し釈然として何処か納得が出来かねていた。



 ……なんだか、名残惜しく思ってないのかな。



 予想していなかった気持ちに気づいて、急いで頭の中で消しゴムを走らせる。

 元々修理が終わるまでの約束なのだから出ていくのは当然のことで、彼女だって追い出すように言っている訳じゃないのだからこんなことを考えること自体間違っている。

 それを理解しているのに、どうしてこんなことを思ってしまったの。



 これじゃ、一緒にいられなくなって私が勝手に拗ねているみたいだ。



* * *



 それからの時間は今までにないほどにあっという間で、アパートに帰る道のりを歩く間も、三人でお昼ご飯を食べに出かけたり皆で荷造りを手伝ってくれたことが走馬灯のように浮かんでは消えてを繰り返していた。


「なんだか、最後までつき合わせちゃってごめんね」

「気にしないでよ。このぐらい、いつも仕事でやってるから」


 隣では、泊まりに行く初日と同じように三咲が荷物を半分持ってついて来てくれている。

 最初は断っていたのだが、『送り届けるまでが役目だから』と言って荷物を持ってくれて、その優しさにまた甘えることになったのだ。

 ちなみに一葉ちゃんはこの場にはいなくて、部屋で自らお留守番をしている。

 曰く、水を差すのは流石に申し訳ない、とのこと。

 どういう意味かは分からなかったけど、気を使ってくれたのだけはニュアンスで伝わっていた。


「明日からまた仕事だね」


 さっきまで頭上にすら到達していないと思っていた太陽も、今じゃすっかり西に傾き哀愁漂う日差しを沈む瞬間まで放ち続けている。

 その中で、三咲がぽつりと独り言のように呟く。


「そうだね……。でも、二日行ったらお盆だよ」

「お盆かぁ」


 それに小さく答えると三咲は私の言葉を繰り返して、しばらく考える素振りをしてから顔をこちらに向ける。


「もしよかったら、お盆の間一緒に出掛けませんか。遊園地でも映画でも。……一葉もいるので、ちょっと騒がしいと思いますけど」


 夕焼けで染まった顔で頬を掻きながら誘ってくれる姿に、昨日の一葉ちゃんの姿が合わさってあの時の言葉が蘇ってくる。

 

 

 姉さんには、鈴音さんみたいな人が必要なんです。



 その想いに、今の私がどこまで応えられるかなんて分からない。

 でも、こうして必要とされていることに不愉快も嫌悪もなく、むしろこうして私を呼んでくれることに今は安心さえ覚えているのもまた事実だった。


「そうだね。また一緒にお出かけしようか」


 私の返事に心配を隠し切れなかった顔は晴れていき、足取りもさっきまでより軽くなっていく。


 今はただ彼女に置いていかれないように、その後をしっかりと追いかけていた。



* * *



 目に映す夕暮れの景色も次第に見慣れたものに変わっていき、ようやく帰ってきた今の我が家も薄らとだが遠くに見えてきていた。

 近づくにつれて、玄関先で大家さんが待ってくれているのが窺えたので、無事を報告したくて足取りを早めていく。


「森野さん!」


 こちらに気づいた彼女も私に向けて大きく手を振ってくれて、その姿もどんどん大きくなっていた。



 そこに、大家さんの隣にもう一人女性らしき人物が立つのが見える。

 誰かなと思って首を傾げてみたが、影になって素顔が分からないのもあってあまり気にせずに駆け寄っていく。



「——こんなところにいたのね。鈴音」



 瞬間、大家さんでも三咲でもない人の声がする。

 それは過去に何度も聞いたことのある人物のもので、今は一番聞きたくないものでもあった。

 それが聴こえてから、日没間近の暗闇でももう一人の姿が誰か分かってしまい足を止めてしまう。


「……鈴音?」


 後ろに回っていた三咲から呼ばれるが、背筋の凍る思いに振り替えることすら出来なかった。


「…………なんで。なんで、あんたがここにいるのよ!」

「自社の廃盤商品を回収しに来ただけよ。それと、実の親に向かってそんな口の利き方を教えた覚えはないわ」


 和やかな雰囲気から一変して、一触即発の張り詰めた空気が流れていく。

 変らない鋭い目つきが昔から苦手で、睨まれた時の恐怖から一気に跳ね上がる心臓に息がまともに出来ずに切れ切れなものになっていく。

 それでも足掻こうとして、つい声を上げてしまう。



 この場の流れに一番慌てふためいている大家さんの横には、実の母親森野 静江が堂々と立ち塞がっていた。

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