姉と妹 48日目➂

「姉さんと私って年が七つ離れているから、物心がついて最初に感じたのは姉妹にしては何だか遠いなって思ってました。……でも、私が両親からの愛情を受けていくうちに、その原因が年齢じゃないって気づいたんです」


 滔々と話していた一葉ちゃんが、そこで一度大きく息を吸って気持ちを整えてから続けていく。


「姉さん、私の両親からずっと無視されていたんです」

「えっ……」


 三咲の妹さんが語る事実に思わず絶句してしまい、返す言葉も浮かばないくらいに頭の中が真っ白になる。

 そのことを伝えた一葉ちゃんは、私の反応を確認してから尚も話を続けていた。

 

「これは後から知ったことですけど、姉さんの顔や感情を表に出しにくい性格が亡くなったおばあちゃんにそっくりで、自分たちの結婚に最期まで反対していた人と似た子供が生まれてしまったことにひどく落胆してたみたいです」



 ……そんなの。



「そんなの、三咲には何も関係ないじゃない!」


 信じられない境遇を聞かされて、当事者でもないのに思わず声を荒げてしまう。

 つい感情的になってしまいやってしまったと焦るが、目の前の一葉ちゃんは何故か慈愛の眼差しで微笑んでみせていた。


「その背景があったから、親にとって私が生まれたことはさぞ嬉しかったでしょう。良い服も買ってもらえたし、おもちゃだってねだれば与えてくれました。……でも、それと引き換えに姉さんは必要最低限の物しか渡されず、何か言えば『お姉ちゃんだから』という理由で全てを抑えつけられてしまい、ただの買い物でさえ一緒に連れて行ってくれませんでした」


 予想を超えた事情に半端な好奇心は消えて行き、彼女自身の抱えてきた孤独が痛みを伴ってどんどん胸を苦しめていく。

 それは、親から相手にされなかった三咲と比べると、私なんてただ『仲が悪い』だけなのが可愛く思えてしまうほどだった。


「これには私も文句を言いましたし、児童相談所も何度か来たことがありました。でも、その度に両親は相談員を追い返してしまい、姉さんも仲の良い振りをして協力していました」

「どうして……?」


 今の三咲の性格を考えればある程度想像は着くけれど、それでも残ってしまう疑問に一葉ちゃんは姿勢を正してゆっくりと答えてくれる。


「私がいたからですよ。もし、相談員に全てを伝えたら家族が離れ離れになってしまい、そうなると今度は私が一人になると悟った姉さんはそれを防ぐためにわざとしたんです。あんな扱い、普通なら恨まれてもおかしくないのに……」


 そう語る一葉ちゃんは、悲しそうに眉を下げて姉に思いを馳せる。

 これだけ三咲のことを思っているのだから、自分ばかりが贔屓されている状況にどこかで負い目を感じていたのかもしれない。


「それから後も、姉さんは自分のことなんてお構いなしに私の面倒ばかり見てくれて、親に何を言われても抵抗せずに生きていました。そのせいで、元々苦手だった感情表現はますますやらなくなってしまい、周りはそんな姉を不気味がって高校生になっても友人と呼べるのは一人しかいなかったです」


 友人と言われて、真っ先に奈緒さんの顔が目に浮かぶ。

 彼女も、この境遇を知っているから大人になった今でもあんなに気に掛けてくれているのだろう。

 それでも、小さい頃に振り向いてほしかった人に無視された傷は今でも跡を残していて、そんな彼女に『一人じゃなくて良かったね』だなんてとてもじゃないけれど言えるはずがなかった。


「そんな姉さんも、心のどこかでは限界を感じていたのでしょう。高校の進路希望調査で真っ先に就職を選んだのを知った時は、何処かでほっとしていました。これでやっと解放されるって思ったから」



 そして、今の三咲へと繋がっていく。



 友達の半生を聞いて、背中にドロッとした汗が流れて服が貼り付く。

 けれど、その気持ち悪さよりも抱えてきた過去の重さに私の心が押し潰れてしまいそうな感覚に襲われていた。


「私がこうして会っているのも、本当は様子を見に来ているのが目的なんです。そうは言っても、基本的には甘えてばっかりですけどね。心配で顔を見に来ましたなんて言ってしまえば、お姉ぇ絶対しなくていいって答えるから」


 ここにきて、ようやく一葉ちゃんに笑顔が戻ってくる。

 しかし、それは取って付けたようなものでしかなく、愛想笑いに近いものだった。


「鈴音さん」


 名前を呼ばれて背筋を伸ばしている間に彼女は私の側にまで近づき、空いている左手を取りその上に自分の両手で重ねてしっかりと握る。


「今回みたいに泊まりに来なくてもいいです。どこかに出掛けなくても構いませんし、なんなら毎日会わなくてもいいです。時々で良いので、これからもお姉ぇと一緒にいてくれませんか。姉さんには、鈴音さんみたいな人が必要なんです」


 一点の曇りもなく姉の幸せを願う一葉ちゃんだけど、その言葉一つ一つに重みがあるのと縋るような姿勢にこっちが緊張してしまい、全身に熱を宿してしまっていた。



 でも、彼女の想いは確実に私の胸に響いていた。



「……そんなに必死にならなくても、私は三咲から簡単に離れたりはしないよ。むしろ、こっちがお世話になってるぐらいだから、感謝してもしきれないよ」


 祈る妹さんの手を包み返すように手を取り、優しく微笑みかけてみせる。

 


 これが一葉ちゃんを慰めるためかと聞かれると、少しはその気持ちもある。

 でも、三咲の過去を知ったからといって離れようと思っていないのも本当のことで、私にとって今の彼女は既に友達以上の大きな支えになってくれていた。


 そんな人に、何も出来ないままでいるのなんて嫌だし、なにより私自身が三咲と離れることを望んでなんかいなかった。



 私の答えに、今にも泣きそうだった一葉ちゃんに今度は本当の意味での笑顔が戻ってくる。


「……実は、今回来た時からずっと驚いてました。表情のなかったお姉ぇが、鈴音さん相手だとあれだけ色んな顔を見せていて、ようやく報われたような気がして嬉しかったです」


 

 ——私、何かした覚えがないけど、そんなにかな。


 

 姉の変化に喜んでいる一葉ちゃんをよそに自身の影響を考えてみる。

 けれど、再三話している通り私の方がして貰ってばかりで、こっちから三咲に何かを変えてあげるような出来事なんて記憶に残っていない。



 ……それとも、友達とは違う何かの『感情』が、三咲に芽生えたのだろうか。

 もしそうなら、その対象って——。



「長話、大変失礼しました。そろそろお姉ぇが心配すると思うので戻りましょう」


 一葉ちゃんの声に深くなりそうだった思考の溝から戻り、顔を合わせる。ついでに手に持っていた夕飯の材料も持ってくれて、また先を歩き始める。

 身軽になった私は、咄嗟に受かんだ仮定の考えが妙に頭から離れず悶々とするはめになってしまっていた。



 ………………まさか、ね。



 その仮の気持ちにまさかと思い直し、とことこ進む妹さんの後を追いかける。


 それこそ確証のない想いに余計な仮説をつけないように、今は考えることを止める為に一旦蓋をして片隅に置いておくことにした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る