第4話 命の再生産~鮭を通じて

 イチゴとの強烈な出会いから二週間が経った。

 イチゴはその可愛らしい顔とは裏腹に黒い過去を背負っていたことが分かった。母子家庭であること、その母親から育児放棄を受けていたこと、男娼として自分の生活費を稼いでいたこと、そのどれもが現実では想像の出来ないものだった。出会った初日の俺とのキスも、生き抜くために編み出された、イチゴなりの処世術なのだろう。


 「コーキ!」イチゴが手招きで俺を呼ぶ。「みてみて、このオモチャ、エロくない!?」

 院長は手紙の中で、プレイルームには子どもたちに合わせたおもちゃが置いていると言っていた。イチゴのプレイルームに置いてあったおもちゃは、俗にいう“大人のオモチャ”だった。

 俺は、置かれた現状とイチゴのオモチャへの好奇心とのギャップに呆れ、一つため息をした。

 「ねぇ、コーキ、きいてる?」イチゴは、新しくプレイルームに届いたオモチャのバイブレーションを切り、口をへの字にした。

 「あぁ、聞いてるよ」俺は一つ返事で答えた。

 俺はいつの間にか一人息子をもった気分になっていた。この心地よい関係がいつまでも続くような気がした。


 ふと時計をみると、針が18時30分を示していた。

 「わるい、イチゴ。そろそろ戻るわ!」

 「えぇ、もう?もうちょっといてよー」イチゴは自前のネコ目でこちらを見て、えさのおねだりのように俺の服の裾を引っ張った。ご飯前のこのやり取りは、もはやルーティーンと化している。

 「めし食ったら、また来るからさ、な」

 俺は言うと同時に歩き出し、重い扉を引いて、自分の部屋に戻った。といっても、部屋の構造はほとんど同じのため、自分の部屋に戻った、という感覚はない。部屋が静かになった、のほうがしっくりくる。

 数日前に院長からスピーカーを通して言われたことだが、部屋の一つ一つが完全防音の造りとなっているらしい。確かに、自分の部屋にいるときに、イチゴの甘い声が聞こえないことも納得だ。また、昼食・夕食時は、俺の部屋とイチゴの部屋をつないでいる扉が自動で鍵がかかり、行き来が出来ないようにされている。院長にも、食事の際は各自の部屋で済ますように、と釘をさされたぐらいだ。

 さらに、前イチゴが俺に部屋に行けないと、嘆いたことがある。イチゴ曰く、こっちに来ると、チョーカーが爆破する仕組みになっているらしい。

こんな逃げることの出来ない状況に追いやった院長を許すことは出来ないが、二週間も顔を見ていないやつを憎もうとするのも難しい。

 思い更けている間に時計を見ると、長針が40分を指していた。

 時間がないと思い、俺は日課の食事前の筋トレを始めた。毎日室内にいると、体がなまってしょうがない。

 19時―。俺の部屋に夕食が運ばれてくる。

 配給係は、毎回メイド服を着たきれいな女性だ。特にこれ以上の言いようはない。

 今日のメニューは、白米とわかめの味噌汁、それと塩鮭と和え物。小さい頃は、母親がご飯を作ってくれた試しがないため、こういう平和の象徴のような品目に、一種の感動を覚えている。

 「いただきます」

 今日も生きていることの感謝を込めて、手を合わせる。冗談のない、生存への感謝だ。

 イチゴは何を思い、どういう姿勢で夕食を食べているのだろう。そんなことを考えながら、鮭の小骨を白い皿の端に寄せ集める。

 鮭を一口分ほおばり、白米を掻っ込む。塩味と甘みが喉を通る。

 生きている実感が、胃にもたらされる。

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誰かのワンダールーム 藤田 芭月 / Padu Hujita @huj1_yokka

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