第2話 笑う紅茶にはご用心
建物の中に入ると、真っ白な空間の中、目の前に巨大なエレベーターが現れた。横幅は3メートルを優に超えていると思う。
「でけぇ」
思わず、声が漏れてしまった。
前を歩いていた老人が、慣れた手つきで車椅子をターンさせた。
「そうだ。自己紹介がまだだったね。僕は長倉(ながくら)克己(かつゆき)、この孤児院の院長をしているんだ。この建物は“バニラ館”って名前でね、可愛い名前だろう?僕が名付けたんだ。元々、孤児院の運営は僕の趣味みたいなもので始めたから――」
「はぁ、なるほど」
院長の長い話を生返事で受け流す。お年寄りは、どうしてこうも皆、話が長いのだろうか。話を聞く身にもなってほしいものだ。特に何が辛いかって、車椅子の院長の顔を見て話を聞くのは、首と腰が痛い。右手で腰を抑えていると、院長は俺の苦労を察したのか、自分の話を躊躇なくきった。
「あぁ、ごめんごめん。僕はいつも話が長いって怒られるんだ。立ち話はこれくらいにしよう。あと、寮に行く前に、僕の部屋に来てくれないか。少しだけ君について知りたいんだ」
「あ、はい、分かりました」
俺はボストンバッグを背負いなおし、院長についていった。俺は肩と腰の痛みに、眉をしかめた。
院長の部屋は一階の東側部分全体を覆っていた。ちなみに、入ってきたところが建物の南、目の前にあったエレベーターが北部分だにあたる。
部屋に入ると、お年寄り独特の落ち着いた匂いのほかに、どこか懐かしい香りがする。肩と腰の痛みを忘れるほどに、俺は匂いに夢中になっていた。甘えたくなるような、そんな匂いだ。
「さぁ、すわって。」
院長の掛け声に意識を引き戻した。院長の優しい笑顔が目に映る。
言われた通り、赤い革のソファに腰を掛ける。院内は全て白で統一されていたため、この院長室の色彩感は俺に安心を与えてくれる。
「紅茶を用意したよ。君の舌に合うといいんだけれど。これはね、僕の大好きなブランドでね。この面白い香りが特徴なんだ」
院長の無駄に長い紅茶の説明に、思わず笑ってしまう。祖父や祖母に会ったことがないのだ。もし俺に祖父や祖母がいたら、こんな感じなのだろうか。
院長の入れてくれた紅茶を受け取る。
「あ、どうも。いただきます」
院長の言う通り、確かに紅茶は面白い匂いと味だったが、長旅で疲労していた俺ののどを潤すのには十分なものだった。
「どうだい、美味しいかい」
「ん、ちょっと僕にはまだ早かったみたいです」
俺は素直な感想を院長に告げた。
「はは、そうかそうか。おかわりはいるかい?」
「はい、いただきます」
俺はカップを手にもって、院長に差し出した。が、手からカップを落としてしまった。手に力が入らない。
院長が二人、三人と分身して見える。
とうとう、ソファにすら座れなくなり、俺は床に倒れ込んでしまった。
「おっと、どうしたんだい、幸紀君。お眠かな」
院長の薄ら笑いが、ぼやける視界を支配した。俺は、そのまま紅茶の螺旋におちていった。
バッッ
ここはどこだ―
俺は周りを見渡した。真っ白だ。ベッドも、テーブルも、本棚も。窓は、壁の高い位置に、配置されている。
状況把握のため、目を閉じ、深呼吸をする。
目を開け、もう一度、周りを見渡す。ここは広めの病室のような造りになっていることが分かった。ドアが三つある。一つはトイレのドアだと思う。ご丁寧にW.Cと書かれている。残りの二つのどちらかが脱出口につながる。ひとまず、ベッドから立ち上がろうとしたとき、残りのドアの一つから院長が入ってきた。
この状況はともあれ、紅茶の中に何か入れられことは間違いない。俺の院長への認識は、優しい老人から薄汚い笑みを浮かべる敵へと変わった。
「このくそ野郎っ!」
俺が院長に殴りかかろうとしたら、足がもつれて転んでしまった。院長が俺に気持ち悪い笑みで言った。
「おっと、君はベッドで安静にしていたほうがいいよ。薬がまだ効いているからね」
「何が目的だ。あいにく、金なら持ってねーぞ」
「そんなこと、知っているよ。君をこのバニラ館から出さないようにしたのさ。君に逃げられたら、僕にとって不都合だからね」
「どういうこと―」
俺は首に違和感を覚えた。首にチョーカーのようなものがつけられていた。チョーカーに手をかけ、はずそうとしたら、
「おぉっと、それは外さないでくれ。ここで君の首が飛ぶのは見たくない。」
俺は、一瞬でその意味を理解した。
「それはね、君をこの建物から逃げられなくするためのものだよ。もし君がこの建物からでたら、センサーが反応して、首と体がバイバイする仕組みだよ」
院長は得意げに説明をし始めた。老人の話は長い。院長は話を続ける。
「あ、あと僕への暴力も、この建物の違反行為として、センサーが反応するよ」
「チッ―」
俺は院長に聞こえるように舌打ちをした。
「そんな怒らないで。給料はキチンとあげるし、ここは君が住んでいた部屋より大きいだろ」
「……」
俺は相手を刺激させないよう、無駄な抵抗はやめた。経験上、ここで相手に反抗してもいいことはないってことを知っているからだ。
「それじゃあ、今から君にバニラ館での君の業務内容と禁止事項をいくつか説明するよ。君には明日から隣の部屋にいる子供の世話をしてもらう」
そういって院長は、もう一方のドアを指さした。
「これでもしっかりとした孤児院でね、親からも、社会からも見放された子供たちの養育を行っているんだよ。次に、ここでの禁止事項を説明するね。まず一つ目、このバニラ館から外に出てはいけない。まぁ、出られないんだけどね」
院長は海外のコメディ映画のみたいに肩をすくめた。正直、首がはじけ飛んでもいいから、殴ろうかと思った。
院長は一つ咳払いをして、説明を続けた。
「で、二つ目は、ほかの従業員と交流を図ってはいけない。他の従業員たちと手を組んで、暴動でも起こされたら、たまったもんじゃないからね。わかるだろ。僕だって一人の経営者なんだ。従業員が大量にいなくなると、正直大変困るんだ」
ふぅ、と院長は背伸びをして、俺に向けて言った。
「業務内容と禁止事項の説明はこんなところかな。何か質問はあるかな」
俺にとっては一から十まで説明してほしいぐらいの状況のなのだが、しょうがない。ここで反抗的な態度を示して、首がとぶのは嫌だ。
俺は少し時間を取って、状況を把握し、院長に短く質問をした。
「ご飯は」
院長はまさか素直な質問が来ると思っていなかったのだろう。滑稽な顔をみせた。がだ、それはすぐに不気味な笑みを変わった。
「それについては安心してくれ。12時と19時にそれぞれ僕の召使に君の食事を配膳させるよ。あ、もちろん、分かってはいると思うが、僕の召使への余計な介入もバニラ館の禁止事項だよ」
「わかった」
院長の丁寧な説明に、俺はそっけなく返した。
「ほかに質問はあるかい」
俺は少し考えた。
「ない」
そう、少しぶっきらぼうに答えた。
「……そうか。君の業務は明日からだ。まぁ、その前に君の担当の隣にいる子と話してもいいし、ここからの時間は君の自由に過ごしてもらって構わない。それじゃあ、時々様子を見に来るから、いい子にしてるんだよ」
そう言って、院長は出ていった。
このワンルームに、巨大な虚無感だけが残った。部屋には収まりきらないほどの。この先、どうすればいいのだろう。不安と恐怖が入り混じって、気持ち悪い。
俺は、ふらつきながらもベッドにたどり着いた。こんな突飛な状況でも変に冷静になれている自分がいる。過去の経験からだろうか。昔、母が言っていた。困った時は、笑うか、寝るかに限ると。どうしてこの状況で母のことを思い出しのかは、わからない。尊敬もしていない。ひどい母親だった。
そんなことを考えているうちに、俺は、ベッドに沈んだ。
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