エピソード1:エデンの煙-4

 頬の痛みと共に客足も落ち着き始めた深夜4時頃、少し早い締め作業が始まった。これも沙良がまとめてやってくれているので、俺は最後のダブルチェックをするだけ。近所に住む他の子はタクシーで帰らせ、店内は静寂に包まれていた。ゴリラ退治の礼としてタダにしてもらったレモンサワーと一服を楽しみながらぼんやりと座っていると、手際よく伝票整理をしながら沙良が話始めた。


 「そうだ、今日ね、早い時間に川越さんが来たのよ」


 「ああ、この店始めた時からの常連さんか。今は菜々の客だったか?」


 「そうそう。それでね、ちょっと頼まれちゃったのよ、伝言とおみやげ」

伝票整理は終わったようで、今度は洗ったグラスを拭きながら話始めた。

 

そして、一通り聞き終えると、件の煙草を1本渡される。

 「吸っちゃダメよ?」


 「間違えねえよ、俺のとは銘柄が違う」

 とは言え、本当に一見するとただのマルボロだ。気になるとこは…


 「匂いが違うな」

 「匂い?」


 「ああ、本物を混ぜているのか少しカムフラージュしてあるが、確実に混ざりものがあるな」


 覚せい剤や大麻、マリファナの類とはまた違う、不思議な香り。新手の代物か。いずれにせよ普通の品物ではなさそうだ。


 「それで、コレをどうすれば良いんだ」


 「川越さんからは『調べてほしい』って事と、『辞めさせる方法を知りたい』って言われているけど……」


 捜査だのなんだの、昔の話だ。一般人の出る幕ではない。

 

 「俺はもう、しがないただの自営業だ。こんなのは警察に届けるしかないだろ」


 「そうかもしれないけど……自分のご両親、しかもご高齢の方よ。もしコレが何か悪い物だったとして、不確定な事実で警察沙汰にしちゃうのは可哀そうじゃない」

 「お願い、何とかしてあげて欲しいの」

 

 沙良は少し潤んだ瞳で見つめてくる。明らかにわざと作った表情だが、俺はこの顔にめっぽう弱い。

 

 川越さんは、元々沙良が連れてきた客だった。前の店でも常連客だったそうだ。沙良に好意を寄せているなんて事は無いが、Kuに移ってからも足繫く通ってくれている大切なお客さんの一人。今は菜々を気に入っている様子だが。

困っているなら助けてあげたい、そんな気持ちもわかるが、もし薬物関連であれば所持しているだけでも犯罪。それに使用もしている。初犯であれば執行猶予もつくはずだ。しかし晩年を汚す事にはなってしまうだろう。気の毒だが事実を認めざるを得ない場面もある。


いや、待てよ。


「……一つだけ、可能性はあるか」


「可能性?」


「まだわからん。何が事実なのか、確かめてからの話だ」


「じゃあ、調べてくれるの?」


「その前に、他に似た話をしていた客が居なかったか?煙草関連で、変わった事ならなんでも良い。そうだな、ここ2~3カ月くらいで」


沙良は眉間に皺を寄せほんの数秒考えると、


「丁度3カ月前の土曜日、23時半から入った新規客2人組の話にも出ていたかな。30代くらいの男性、名前は聞いてない。たしか『禁煙していた父親が突如ヘビースモーカーになった』っていう話だった。あと2か月前、こっちは火曜日の20時、オープンと共に来てくれた鶴瀬さん、これは本人ね。今まで吸ったこともなかったのに、最近煙草を始めたって。それと……あ、2週間前の日曜、閉店間際に来た富士見さんもおばあちゃんが入院した原因が煙草だったかな」


「了解。ホント、相変わらずの記憶力だな」


「えへへ、まあね!」

得意気な顔をしている沙良は、コップを並べ終えると次は床掃除を始めた。

メモやメッセージのやり取りを見ているわけでは無い、沙良は客の名前や特徴は勿論、来店日時や会話内容の詳細まで全て記憶しているのだ。俺の要らない所まで覚えているのは難点だが、こういう時は頼りになる。


「ちなみに、鶴瀬さんが吸い始めた煙草の銘柄わかるか?」


「川越さんが持ってきたのと同じ、マルボロだったよ。箱が赤いやつ」


「そうか。となると鶴瀬さんの話を聞いておきたところだ。来店予約は?」


「まだないと思うけど、藍ちゃんに連絡取ってもらうね」

 鶴瀬さんはうちの看板、藍の虜だった。


「頼んだ、あとこの煙草借りていくぞ」


店にあった紙ナプキンでソレを包み、上着のポケットにしまう。明日にでも高柴に頼んでおくか。


「あっ!」


「なによ、どうしたの?」


「そういえばアイツ、あの店に置いてきちまった……」

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