第213話 破談


「兄上、着替え、ここに置きますね」

「ありがとう。いやあやっぱり、ゆったり浸かれる温泉はいいね」


 兄上が頭に手拭いを乗せて、ふう と息をついた。

 気持ちがいいのは解るけれど、顔が赤くなってきているから、ちょっとのぼせ気味なんじゃないかな。


 城の南に療養所、関所近くに足湯テーマパークを作ったので、今度は一般領民用の温泉を作ろうと森月の予定を聞いたら、「まずは領主の邸に作りましょうよ。それじゃないと領民だって、落ち着いて入れないでしょう」と先に作ってくれたのです。


 それなら一番風呂は領主の兄上でしょ、って事で、兄上が沼田に来ています。


 畳んだ浴衣と手拭いを竹籠に入れながら、私はちょっと目を逸らした。

 うっかり兄弟の気安さで入ってきちゃったけれど、今、兄上に上がってこられたら困るな。絶対に海パンなんて履いてないぞこれ。


「あのさ雪村」


 浴場から出ようとした私を呼び止めて、兄上がお風呂の縁からこっちに振り返った。


「この温泉、ほむらが作ったんだよね?」

「はい。ほむらは火山の熱溜まりを、地上近くまで引き寄せられる能力があったのです。それで地下水がありそうなところに熱溜まりを引き寄せて貰えば、ある程度は狙った場所に温泉が湧きます」

「そうか……」

「? どうかしましたか、兄上」

「うん。僕さ、前に話した徳山殿からの縁談、お断りしたんだ」

「えっ?」


 どういうこと? 

 兄上は桜姫とルートに入ったら家靖の養女と結婚するけど、ルートに入らなければ結婚話自体が出ない。だからルートに入っていない今、縁談が持ち上がった事も予想外だけれど、『破談』になる展開なんて、それこそゲーム中ではない。


 断れない雰囲気をがんがん出されていたのに、一体どうしたんだろう。


「何かあったのですか?」

「うん……」


 ぱしゃりと水音を立てて、兄上が湯に沈む。

 言いづらい話なのか口元まで湯に浸かっていて、私は湯あたりを心配しながらも、黙って兄上の言葉を待った。


 やがて兄上が ぽつりぽつりと話し始める。


「徳山殿の縁談を受ける条件として、霊獣の封印を提示されたんだ」

「ほむらの?」

「うん。徳山殿は大の霊獣嫌いでね。『ひとの世はひとの手で』が信条で、神や霊獣の神力は、ひとの世を治める為に利用すべきじゃないって主張をされているんだよ。だから昔から『霊獣・白猿』を使って天下統一をした太閤殿下には批判的だった」

「そうでしたね」


 兄上が、ちょっと黙ってから 言葉を続ける。


「若い頃、徳山殿は霊獣を使役つかった武隈と上森の戦を間近で見たことがあるんだって。この世のものとは思えない地獄絵図だった、って。あのような神力はひとが手にして良いものではない、何か良からぬ思考を持つものが手にした場合、世が滅びる。あれは崇め奉るべきものだって、それはそれは恐れていて。いずれはすべての霊獣を封じて、ひとの力のみで世を治めたい。その為に力を貸して欲しい、って事だった」

「それで手始めに、ほむらを封じて欲しいって事ですか」

「うん。……徳山殿の言いたい事も解らないではないんだ。でもそれを強要する為に天下を手に入れたいと望んでいる。その為に、まだ幼い秀夜様を廃そうと内々で画策しているって噂は、昔から囁かれている。僕はそれには同調出来ない」


 この世界での関ヶ原合戦は、大本の理由がこれだ。

 徳山に「上森が無断で軍事増強を進めていると訴えがあった。桜姫を擁する上森は、神力を使って富豊の世を覆そうとしているのではないか。謀反の疑いがある」と滅茶苦茶な言い掛かりをつけられたのが切っ掛けだけど、実際は『桜姫を上森から切り離して 徳山家に取り込む事』と『三柱の神龍を使役する上森を取り潰して、神龍を封印する』のが目的だった。


 茂上はもともと秀好に、娘姫を処刑された恨みがあった。親戚になる正宗にとっても、その姫は従兄妹だ。

 そこで上森の背後に領地を持つ茂上・館を東軍に引き入れて、上森との戦で共倒れを狙いつつ、その他の霊獣を使役する大名は西軍として、一気に取り潰しを図った。



 霊獣の消滅は、『富豊秀好が目指した世』の終焉を意味する。


 関ヶ原では美成殿が「真の狙いは富豊です」と進言して兵を起こすけれど、表向きは桜姫が戦の理由だったから、富豊家はどちらにも与しなかった。


 そしてここで富豊を滅ぼす事が出来なかったから、大阪夏の陣が発生する。そして美成殿の遺志を継いだ雪村が 大阪城に入る。

 ここの世界の戦国末期は、そういった流れだ。


 私が黙ったままだから気にしたんだろう。兄上がふわふわとした声を出した。


「大丈夫。そんな事はさせないよ。ほむらは桜姫守護の任と一緒に信厳公からお預かりした、大切な霊獣だ。それにこんなに力を貸してくれているじゃないか。神の力は恐ろしいばかりじゃない、それを徳山殿も解ってくれるといいんだけど……」

「そうですね……」


 ほむらもそうだけれど、正宗も独眼竜はもっぱら乗り物扱いだ。

 上森家は神龍は土地の守りにあてている。

 家靖は違うようだけれど、私は借りられる神力なら借りてもいいと思っている。

 それで皆が幸せになるなら良いことじゃないのかな?


 それに。おそらくそう遠くない将来、霊獣を使役出来る大名は居なくなる。

 今、戦を起こしてまで霊獣を排除する必要は無い。


「兄上、私も徳山殿の考えには賛同できません。むしろ神力が日ノ本全部に行き渡るように、皆が恩恵を受けて幸せになれるような方策を模索すべきでは、と思います」


 私は、富豊の目指す世に賛同したい。おそらく雪村もそう思ったから、大阪夏の陣では富豊方についたんじゃないかな。


 私に何が出来る訳じゃないけれど、そうなるといいな、と思いながら伝えたけれど、兄上からの返事はない。……やっぱり兄上の考えは違うのかな。大阪夏の陣では、兄上は徳山方についたしなぁ。


「兄上……」


 そっと振り向いて、私はぎょっとして立ち上がった。湯からぽこぽこと泡を出して、兄上が沈んでいる。

 まずい! のぼせてる!! いや溺れてる!?


「ろ、六郎! 小介! ちょっと来てぇぇ!!」


 私はお湯に手を突っ込んで、兄上を引っ張り上げながら悲鳴を上げた。

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