第209話 お告げと嘘と個別ルート1 ~side K~


「……そんな事が あったか?」


 気まずそうな主君を前に、兼継は然もありなん、と吐息を呑み込んだ。

 大国の大名として日々業務に追われる主君が、五年前に鯉をやったなどというささやかな出来事を覚えているだろうか。そう思ってはいたが、案の定だった。


「お許しを得られたとなれば、雪村も喜ぶでしょう。影勝様が気に病むような事ではありません」


 爽やかに微笑み 兼継は腰を上げた。日々の業務に追われるのは執政も同じだ。

 しかし今日は少々用事がある、仕事を早めに切り上げたい。


「……しばし良いか。兼継」


 影勝に引き止められ、兼継は再度腰を下ろした。


 寡黙な主君は、逡巡すると ますます口が重くなる。

 このような時は急かさず待つのが肝要だが、そもそもそのように逡巡させるような事柄が、執政である自分を介さず主君の耳に入ったのは問題だ。

 いったい何事か。


 顔には出さず憂惧した兼継に、重々しくも若干の躊躇いを滲ませた声がかかる。


「お前の 縁組についてだが」


 ああ、その事か。兼継は苦笑しながら口を開いた。

「その話ならば、とうにお断りしています。今はその様な事にまで 手が回りません」


 与板に居る兼継の養父からは、幾度もそのような話を持ち込まれている。

 あちらにしてみれば、跡取りとして迎えた養子がいつまでも身を固めないのだから、気も急くだろう。


「『執政の正室』の座は、それなりに高く売れるでしょう。空けておくに越した事はありませんよ」


 冗談めかして笑いかけたが、影勝の表情は変わらない。

 変わらないまま、訥々と口を開いた。


「最近、桜姫と親しくしているとも聞いた。嫁がせても良い」

「ご冗談を。それこそお断りさせて頂きます」


 突然、真顔なって拒絶する兼継に、影勝の方が面喰う。

 暫く黙った後、やはり無表情のまま影勝は口を開いた。本題はここからだ。


「……毘沙門天は、雪村については触れなかったのか。越後では、雪村の病は毘沙門天の差配だと、もっぱらの噂だが」

「毘沙門天? ああ、そうですね。特には」


 無口な主君が、他人事にここまで口を出すのは珍しい。兼継は内心 苦笑する。


 毘沙門天が夢枕に立った事など無い。あれは桜姫を人知れず屠った時の偽装工作だ。意外と本気にされているのだな、と思いながら兼継は、影勝に微笑みかけた。


「養父の言などお気になさいますな。私は現状に満足しております。影勝様にお仕え出来る事は、私にとって何よりの喜びです」


 それでは、と部屋を辞しかけた兼継は、言い忘れていた事を思い出したかのような何気なさで「時に影勝様」と向き直った。


「念の為にお聞きしたいのですが。鯉の件以外で、雪村とは何かありましたか」


 直球だな。影勝は首を振りながら吐息をつく。


「……心配せずとも雪村には、ひとりで俺の部屋を訪うな、と伝えてある」

「そうですか」


 感情の読めない微笑みを浮かべたまま、 兼継は慇懃に部屋を辞した。



「……」


 病ならばいずれ治る、あまり雪村に入れ込むな。

 そう伝えるつもりが言いそびれた。しかしあれでは、言った所で如何ともし難いだろう。


 兼継が出て行った襖を見遣り、影勝はもう一度吐息をついた。



 ***************                ***************


 仕事を早めに切り上げた兼継は、そのまま奥御殿を訪い、桜姫を庭の散策へと誘い出した。

 雪村と桜姫は今日、沼田へ発つと聞いている。その前に済ませなければならない。


「何よ? 雪村が殿様の部屋から戻ったら出立するんだ。あんまり時間はねーぞ」


 協力を仰いでおいて その言い草は何だ。そもそも『雪村の運命を変えるため』と言いつつ、単に雪を謀っているだけではないか。

 

 がさつな物言いをする桜姫に、兼継も少々尖った口調になる。


「先日、直枝の養父から縁談話が来た。受けるつもりは無いが、私はもう、お前のくだらぬ芝居に付き合うつもりも無い」



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