第184話 恋愛イベント下準備 ~side K~
「兼継殿、こちらに滞在している間に少し勉強をしたいので、何か書籍を貸していただけないでしょうか?」
仕事を終えて御殿から出てくるのを待ち構えていたかのように、雪村が駆け寄ってきた。
いつも書籍が目当てだな、少しは私に会いたいと思ってくれれば良いものを。
そう思っても 口には出せない。
何が目当てであろうと、邸を訪ってくれようとしているのだからまあ良いか。そう思い直して、兼継は微笑んだ。
「それは構わないのだが。あいにく明日は外せない用事がある。話は通しておく故、部屋の書籍は自由に見ていてくれ」
「はい」
にこやかに笑っている雪村は、兼継が居ない事を残念がっていないように見える。それが面白くなくて、兼継は雪村の頭をぐしゃぐしゃと撫でまわした。
*************** ***************
近江から引き抜いた鉄砲職人達が 熱心に作業に従事しており、越後の鍛冶職人達も、技術を習得しようと真剣にその手元を見つめている。
同じような真剣さで作業を見つめている兼継に、泉水が苦笑して肩に手を置いた。
「順調そうだな。さて、そろそろ戻ろう。お前が鉄砲を作る訳じゃないんだからさ」
我に返った兼継は 苦笑して頷いた。
「急に鉄砲を増産するなんて言いだして、どうしたんだ? 兼継」
鉄砲鍛冶の視察を終えた道すがら、泉水が肩を回しながら兼継を振り返った。
あっさりとした性格の泉水にとって、気難しい職人頭との面談は少々気鬱なようだ。
苦笑しながら歩を進め、兼継は泉水に並んで口を開いた。
「急に思い立った訳ではないのです。霊獣を従えている越後には元々、鉄砲の絶対数が少ない。鉄砲の伝来より五十年が過ぎ、その間、改良も進みました。そろそろ数を揃えて良い頃合いかと」
「そうかぁ? もう、大掛かりな戦は無いんじゃないか? 徳山殿と富豊家も内心では反目し合っているとはいえ、惣無事令は守られているだろう」
「そうだと良いのですがね」
『惣無事令』とは富豊秀好が制定した、大名同士の私闘を禁じた法令だ。秀好亡き後もそれは守られ続け、武隈滅亡前後で違反した大名はほぼ無い。
兼継としても、今後大きな戦があるとは考えづらいと思っている。
それでもそうしたのは『雪村が言ったから』。それだけの理由だ。
「武器を揃えるのでしたら、目立たぬように少しずつ、時間をかけて準備すべきではないでしょうか? 何事も急激にしてしまっては、在らぬ疑いを掛けられかねません」
何時だったか雪村が兼継の邸を訪っていた折に、少し緊張した面持ちでそう言った事がある。
これが他の者であれば「余所の事に口出しするな」と一蹴するのだが、そんな兼継の性格など承知しているであろう雪村が、言葉を選びながら伝えているのだ。
言下に拒絶するのは憚られた。
それに桜姫……いや、『雪と同じ異世界から来た』という桜井の言によると、雪の方がこの世界に似ているという『異世界の歴史』には詳しいらしい。
「目立たぬように武器を揃えろ」というからには、何らかの意図があるのだろう。
しかし泉水に「雪村がそのように言ったからだ」とそのまま伝えてしまえば、妙な誤解をされかねない。甘言蜜語にしては物騒な内容ではあるが。
気を取り直して、兼継は泉水に向き直った。
「では私はここで。邸に雪村を待たせています」
「おっ 逢引きかぁ。そりゃ早く戻らんとな!」
「そんなものではありませんよ。あれは私の書籍に用があるだけです。沼田統治の参考にでもしたいのでしょう」
苦笑する兼継に、泉水も「変わんないね、お前たち」と苦笑を返す。
やがて少し改まった顔つきの泉水が、気遣わしげな声を出した。
「それで。雪村には首藤のことを話したのか?」
「私から話す前に桜姫から聞いたようですよ。泉水殿にもお手数をかけてしまいました」
「ちゃんと伝わってた? 桜姫、ちょっと侍女衆に染まりかけてるようなとこがあるからさぁ」
「どうでしょうね。雪村の態度をみるに微妙なところです」
女性陣が、何故そんなに衆道に浪漫を感じるのかは良く解らないが、奥御殿に燦然と君臨する老女に逆らえる訳もない。
兼継たちが幼い頃から『剣神公の懐』と呼ばれていた最強の侍女頭なのだ。
余計な面倒事はさらりと流す事にして、改めて泉水が兼継を見遣った。
「雪村は首藤と殆ど面識が無い。知らなきゃ自衛も出来ない。今は五年前に戻ったような外見なんだからな。それでなくとも相模に出入りし始めたんだ、手遅れになる前に動けよ」
「解っていますよ」
だとしても、雪村の存在を知った今、首藤はどう動くだろう。元をただせばあれは単なる嫌がらせだ。
そして今、影様と陰虎は 跡目を争う敵同士では無い。雪村もあの時のような人質ではない。沼田城の城代だ。
実際のところ首藤がどう思っていたにしろ、まさか今更、そんなことを蒸し返せるとも思えない。
いや。『蒸し返して欲しくない』と目を背けている、と言った方が正しい。
おそらくは無意識に、雪村を手放した過去の再来を恐れているのだから。
そういえば。兼継は桜井の言葉を思い出した。
兼継が雪村と再会した時にはもう、雪村の中に『雪』も居たと桜井は言っていた。兼継はそれに気付かなかった。
ならば雪村を男に戻せば、『雪』をその中に見つけるのは容易くないという事だ。
手放すも同然だ。
まだ『ふたつの人格をふたつの身体に分ける方法』を見つけていない。
……今少し、時が欲しい。
*************** ***************
邸に戻ると垣根越しに、縁側に出て書籍を読んでいる雪の姿が目に入った。
随分と待たせてしまったが、読書に没頭しているあの様子だと、さほど気にしていないかもしれない。
いや、もともと残念がってもいなかったか。
「雪」
邸内に入らず そのまま中庭へ足を向けると、いつもなら元気に返事をして駆け寄ってくる雪が、黙ったまま俯いている。
不思議に思って近付いてみると、雪は座った態勢のまま、すやすやと眠っていた。
器用な寝方をしているな。
傍らに置かれていた書籍を避けて そこに腰を下ろし、兼継は起きる様子のない雪の寝顔を眺めた。
男の家に来ているのだ。もう少し緊張感を持っても良いのではないか?
心を許してくれている状態は貴重なのだろうが、いま少し意識して欲しいものだ。
今の雪は『兼継は、雪村への友情ゆえに協力している』と思っているのだろう。
だが、兼継が『雪を手に入れる為に画策している』と知れたら、どう思うだろう。もうこのように、気を許してくれる事も無くなるかも知れない。
風が吹いて樹々がざわめき、桜の花びらがひとひら 小さな顔のその頬に落ちる。
手を伸ばしてそっと頬に触れ、兼継は薄紅色のそれを摘まみ取った。
「ん……」
「起こしたか?」
小さく囁いた兼継には答えず、雪は僅かに身動ぐと、兼継にこてんと凭れかかる。そして再び、すうすうと寝息をたて始めた。
その寝顔を見下ろしたまま、兼継は静かに嘆息する。
触れられても気付かないなど 不用心に過ぎる。
ましてやこのように、寄り添ったまま眠ってしまうなど 言語道断だ。
風で乱れた髪を梳き、顔を覗き込む。
油断はするなとあれほど言っただろう。
……これは何かされたとしても 注意が足りない お前が悪い。
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