第183話 恋愛イベント下準備3


 桜井くんには偉そうに言ったけど、よく考えたら私も『孫子』しか読んでいない。

 雪村の記憶を辿ってみても、雪村は書籍を読むのがあまり好きじゃなかったのか、信濃に戻ってからは勉強している形跡があまり無い。


 ん? 

 記憶検索で雪村の父上が「書物で戦が出来るか! いいか雪村。父の背を見て戦を覚えろ。そして父を超えてゆけ!」と演説ぶちかましている映像がヒットしましたよ?


 信濃に戻ってからの雪村は、父上に「戦は実戦で覚えろ!」的な育てられ方をしたらしいです。

 そうか。私も桜井くんに兵法を教えるなら、他の兵法書を勉強しなければならないって事か。兼継設問は『孫子』からだけ出題される訳じゃない。


 じゃあどうしよう? 私、孫子以外の兵法書なんて持ってない。

 これは……

 兼継殿をぎゃふんといわせる為にこっそり勉強するのに、兼継殿から兵法書を借りなければならないって流れですか……?



 ***************                ***************


 桜姫が兵法の勉強をするのは、兼継殿に隠さなければならない。

 しかし私が書籍を借りる分には問題ない。


「兼継殿、こちらに滞在している間に調べたい事があるので、書籍を貸していただけないでしょうか?」


 御殿での仕事終わりを待ち構えてそう切り出すと、兼継殿は快く承諾してくれた。でもちょっとだけ難しそうな顔になる。


「それは構わないのだが。あいにく明日は外せない用事がある。話は通しておく故、部屋の書籍は自由に見ていてくれ」


 おお、むしろその方が都合がいいじゃありませんか。

 勘が鋭い兼継殿の事だ。桜姫への問答に、私が借りた兵法書からの出題を避けるかもしれない。

 そこはちょっと心配していたから。



 ***************                ***************


 翌日、私は朝も早くから兼継殿のお邸を訪れた。

 用事が終わったら兼継殿が戻って来てしまう。それまでになるべくたくさん兵法書を読んでしまおう。

 何だか試験前の一夜漬けみたいだな。


 兵法書はいろいろな本がある。武将が当たり前に読むのは孫子の他には呉子・三略・六韜……あたりかな?

 読書家な兼継殿のお部屋には、ちょっとした図書館並の書籍が揃っていて、きちんとジャンルごとに積まれている。何の本を借りたかなんて、すぐにバレるよこれ。

 とりあえずその中から有名どころの呉子を抜き出し、私は精神集中して頁を繰った。



 兵法書、読みはすれどもつまらぬと 言いたくもあり 言いたくも無し

 (詠み人しらず)


 兵法書、戦に役立つのならちゃんと読みたい。でも面白いかといわれると微妙。

 そんな乙女ゴコロを……いや、乙女関係ないか。

 そんな感じで黙々と読んでいたら、だんだん眠くなってきた……。眠いと全然頭に入って来ない。


 ちょっと気分を変えよう。

 気分転換に別の書籍を数冊手に取り、私は縁側に移動した。



 陽の光とそよぐ風が心地いい。季節はいつの間にか春になっていて、早咲きの桜がぽつぽつと咲き始めている。

 ちょっとだけ眠気が覚めて、私はお邸の侍女が出してくれていたお茶に口をつけた。すっかり冷めているけれど、カフェインは眠気を覚ます筈だ。


 膝の上に書籍を置いたまま空を見上げると、根を詰めて字を見つめ過ぎたせいか 綺麗な青が目に染みて。


 私はちょっとだけ目を閉じた。



 ***************                ***************


 ふと気が付くと、兼継殿が隣に座って書籍を読んでいた。……ちょっとだけ目を閉じたつもりだったのに、眠っていたみたいだ。

 それだけならまだいい。

 寝こけた私は思いっきり兼継殿に寄りかかっていて、ここからどう体勢を立て直すべきか、かなり長いこと逡巡している。


 結局私は、兼継殿が一冊読み終わって本を閉じたタイミングで、そろそろと体勢を立て直した。途端に顔を逸らして肩が震え出したから、寄りかかっている間は笑うのを我慢していたんだろう。


「いつ、お帰りだったのですか? ……起こして下さればいいのに」


 自分のミスを棚に上げて、私はもそもそと抗議した。


「済まん。あまりに気持ちよさそうな寝顔だったものでな」

「そ、そういうのを勝手に見るのはいけないと思います。やはりここは武士の礼儀として起こすべきで……」

「涎を垂らしていたぞ」

「!!!?」


 ごしごしと口を拭い、私は膝上の書籍をガン見した。

 よだれ、本に落としてたらどうしよう!? いやそれより私、兼継殿の前でよだれたらした寝顔を晒したってこと!?? ちょ、待っ……! ゲームなら即座に電源を落とすレベルの失態ですよこれは!! しかしこの世界はオートセーブ!!


 思いっきりパニック起こしている私を見て、兼継殿が顔を伏せて肩を震わせている。もうどうしていいか解らない。


「この本、お借りします!」


 帰って落ち着いてからよだれの跡を確かめる!

 私は半べそで、兼継殿のお邸から逃げ出した。

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