第167話 【番外編】越後侍女Aの日誌1
「これから少し立て込む予定だ。御殿から使いが来ても、緊急以外は取り次がないでくれ」
とある朝の直枝邸。
兼継様がそうおっしゃったので、私ははい、とお返事しました。
私の名は栄。
父が兼継様のご実家である与板城の大殿様にお仕えしておりまして、私はそのご縁で兼継様のお邸にお勤めしております。
今日は雪村がこちらに来る予定ですが、何か厄介な事でもあったのでしょうか。
そういえば兼継様が登城しないなど、珍しいことです。
「お茶はいつ頃にお持ちしたら宜しいですか?」
立て込むにしろ、お茶を飲む時間くらいはあるのでしょうか。
念の為に確認すると、少し考えた兼継様は「しばらく後にしてくれ。多分その頃には雪村が疲れているだろうから、茶菓子も頼む」と仰って、襖を閉めました。
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「兼継様は、これから少し立て込むそうです」
ついでに茶菓子の件も侍女頭に伝えると、周囲の侍女衆の目がきらりと輝きました。
「いよいよ来たわね……!」
「伝達では臨場感が伝わりません。至急奥御殿に使いを!」
何が何やら解りませんが、こちらも立て込んでいるようです。
そんな私に、侍女頭が笑って教えてくれました。
「お栄はこちらにきて初めての冬ですものね。そうね、大事な事だから教えておくわ。奥御殿の侍女衆が冬の内職に『写本』を卸しているのは話したわよね? 私達の任務はその『後方支援』。これも大事なお仕事よ?」
「いつもの年は『冬之祭典』だけ卸していたのですけど、この冬は雪村本の売れ行きがとても良くて。急遽『春之祭典』に再販本を卸す事になったの」
「ここで燃料投下が叶えば、短期間での新刊発行も夢ではありませんわ!」
侍女仲間たちがきゃああと、手に手を取って盛り上がります。内職ごときで随分と大仰ではないでしょうか。
しかし興奮に頬を紅潮させた侍女衆が奥御殿から派遣され、私は大変な事態に巻き込まれつつある事を実感せざるを得ませんでした。
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毎年師走に上方で開催される『冬之祭典』。
越後の侍女衆はそれにむけて『写本』を卸しているのだそうです。
写本……私の知識が確かならば、それは『伊勢物語』や『源氏物語』などを書き写した物を指すはずです。
しかしここで言う『写本』とは、紫式部よろしく『己で紡いだ恋愛物語』を大量に『写本』する事を意味します。
奥御殿では毎年『冬之祭典』に、様々な趣向の恋物語を綴って卸していました。
しかし迸る妄想力にも限りがあると申しましょうか。代わり映えのしない劇中人物ですと どうしても食傷気味になってしまい、それが売上にも響いて奥御殿では危機感を募らせておりました。
そこに爆弾を落としたのが『男どもを手玉に取った挙句、故郷に帰った今かぐや姫』雪村が、五年ぶりに戻ってきたこと。
おまけに『女子になる病』に罹ってしまうという、毘沙門天の悪戯としか思えない事態が発生した事です。
現実が妄想を超えた事態に、越後の侍女衆は沸きに沸きました。
闊達で社交的なのに、案外女性には淡白な兼継様が、女子になった雪村を昔以上に可愛がっている(らしい)のも、侍女衆の妄想に拍車を掛けます。
『らしい』というのは、その頃の私は与板に居たので、『五年前』に関しては伝達でしか知らないからです。いえ、むしろその頃の与板では『雪村』の名は禁句でした。
それはともかく。
雪村が戻ってから侍女衆の筆は、炎の中から蘇った不死鳥の如く、熱く萌え上がりました。
しかし人とは強欲なもの。
更なる萌えを求めて、奥御殿では桜姫の囲い込みを始めたようです。
桜姫を守護する役割を負った雪村は、桜姫が居なければ越後には来ないので。
剣神公の御息女で、神子姫である桜姫ですら『萌え』の前では単なる餌。
以来、兼継様と雪村の居るところには、壁に耳あり障子に目あり。
可能ならばくノ一を使って天井裏をも張り込みたいところでしょうが、流石とそれは叶っていません。
そして迎えた今年の『冬之祭典』。
女子になった雪村を見本にして書かれた『雪村本』が歴代最高額を叩き出し、手に入れそびれた姫君たちから再販要請が殺到したのも初めての事でした。
今の奥御殿では再販の写本、そして今年初めて卸すことになった『春之祭典』に向けて、今紫式部たちが絢爛たる恋物語を新たに綴っている最中なのです。
今、燃料投下が叶うならば、『春之祭典』に相応しい、百花繚乱たる写本の数々が花開くでしょう。
すべては越後の副収入の為。そう言われれば兼継様も、黙るしかない筈です。
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