第168話 【番外編】越後侍女Aの日誌2
雪村が来てから随分たちます。そろそろひと休みしても良い頃合いでしょうか。
私は侍女頭に確認を取りました。
「そろそろお茶を持っていって良いでしょうか?」
「そうね」
ひとつ咳払いをした侍女頭が、ちらりと振り向きます。
「では雪村の茶菓子は私が持って行きましょう。兼継様の分は貴女が持ってきて頂戴」
奥御殿から呼び寄せた侍女に声を掛け、私達は陣太鼓に送られて、物々しく厨を出発しました。
二組の茶と茶菓子に侍女が六人。
配分がおかしいですが、それを指摘できるほど私は命知らずではありません。
忍び対策として張られた鴬張りの廊下。
足音を忍ばせようとすればするほど音が鳴るというその床を、足音もたてずに侍女衆は進んでいきます。
萌えは時に、忍びの技すら凌駕するようです。
「お茶をお持……もが」
兼継様の部屋に着いた私は、中に声をかけようとして侍女頭に口を塞がれました。
驚いて目だけで振り返ると、侍女頭の目は鷹のように鋭く眇められています。
そしてそれは周囲の侍女衆も同じ。
鷹に捕まったひよこ気分で目だけをきょろきょろさせていると、やがて部屋の中から雪村の苦しげな声が漏れ聞こえてきました。
「兼継殿……私はもう無理です。少し休ませて下さい」
「済まない、つい夢中になってしまった。無理をさせたようだな」
口を塞いでいた私を放り出し、襖に殺到した侍女衆が一斉に耳をくっつけました。
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少しでも声を盗み聞こうと、諸先輩方は押し合いへし合いしながら襖に取り付いています。
突然、悲鳴が響き渡り、皆さまは更にぐいと耳を襖に押し付けました。
「痛い……! 兼継殿、痛いです! もう少し優しくして下さい……っ」
「少し我慢しろ。慣れれば楽になる」
「申し訳ありません。私はこのような事に慣れていなくて……」
襖に耳をつけなくても、声はばっちり聞こえてきます。……私、兼継様に人払いの指示は受けてませんよね……? いや、どうでしたっけ??
「急ぎの用件以外は取り次ぐな」「雪村が疲れているだろうから茶菓子をつけろ」としか……
ああそうですか。この台詞で侍女頭は、奥御殿から侍女衆を召喚したのですか。
私は全然気づきませんでした。
他の侍女衆の皆さまは『写本製作』という使命がありますし良いのでしょう。
しかし私は『写本』をしている訳ではありません。ここでこのまま盗み聞きをしていて良いのでしょうか。
……何だか良くない気がします
私はそろそろと後退り、足音を忍ばせてその場を後にしようとしました。
しかし廊下は鴬張り、慎重にも慎重を期さねばなりません。
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「どうだ。少しは楽になったか?」
中での『行為』はまだ続いているらしく、兼継様の笑いを含んだ声が聞こえます。
ここはもうちょっと、意地悪な言い方でも良いのでは……
そのように気を散らせたせいでしょうか。
「はい、気持ちいいです」
雪村の明るい声と、私が足を滑らせて、襖に取り付く皆様の上に倒れ込むのが同時でした。
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襖を押し倒して中に雪崩れ込んだ私達が見たものは、紙と本が散乱した部屋。
そして右肩を回してぽかんとしている雪村と、その肩をほぐしていたらしき兼継様でした。
ええ、どこからどう見ても肩もみですね、わかります。
これだけ紙だらけでしたらお茶はいらない訳です。零しでもしたら大惨事ですもの。
しかし歴戦の勇者たる諸先輩方は、それで怯むような方々ではありません。
至極優雅に襖と体勢を立て直して撤退した後に、雪村に向けて注文を出しました。
「雪村、最後の「気持ちいいです」は少し違うわ。もっと情感を込めて言って頂戴」
確かに最後のその台詞は、場違いに元気で色気がありませんでした。
もっとこう……切なげな感じで言い直して欲しいです。
「気持ちいいです……?」
素直な雪村は、素直に言い直してくれました。
こんな素直な雪村に「もっといかがわしい感じで!」と再注文を付けるのは可哀相でしょう。
たぶんあの子は、自分が何をやらされているかも解っていない筈です。
「求めるものとは少し違いますが、まあ良いでしょう。戸惑った言い方も悪くないわ」
「雪村、「兼継殿」を冒頭に入れてもう一度」
相手の素直さに付け込み、先輩侍女の一人が更に斬り込んだその瞬間。
その場に居た全員のこめかみあたりに キン と殺気が奔り抜け、私達は蜘蛛の子を散らすように散開しました。
敵から逃げ切る極意は固まらないこと。
私は初めての実戦でそれを体得したのです。
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「これで貴女も立派な越後の侍女ね。しっかり励みなさい」
奥御殿の老女の前で、私は床に額をつけて平伏しました。
「ご老女、お栄は既に『鴬返し』を体得しております。将来有望かと」
「まあ!」
察するに『鴬返し』とは、鴬張りの廊下を音をたてずに歩く技術の事みたいですね。
私は顔を上げ、老女と侍女頭を交互に見て微笑みました。
「私は兼継様のご実家の与板に縁があります。どうぞよしなに」
「期待していますよ、お栄」
私達は顔を見合わせて おほほと高笑いしました。
やがて私は著名な兼継×雪村の書き手となりますが、それはまた別の話。
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