第155話 五年前の経緯5
普段は無表情な影勝が、鎮痛な表情を浮かべていた。
まだこの事は兼継自身にも伏せられているが、兼継を越後の名門『直枝』家に養子に入れる話が内々に進んでいる。
影勝
ゆくゆくは影勝が この越後を治める事になる。
右腕となる重臣にはそれなりの家格が求められるが、兼継の生家『樋内』家は、上森譜代の家臣ではない。
男子直系がおらず、このままではお家が断絶する直枝家と、将来的に兼継を重臣に取り立てたい影勝。
兼継を直枝の養子に入れる事は、両者にとって好都合だった。
しかしここに来てこの騒ぎだ。
跡取りが居ないからと迎えた養子に男色の疑惑あり、など笑い話にしても笑えない。お家の断絶は死活問題だ。
「雪村が、将来は影勝様にお仕えしたいと申しておりました。あれは頭も良いし武芸にも秀でています。必ずや影勝様のお役に立てる武士になるでしょう」
我がことのように喜んでいた兼継を思い出すと、影勝の気は塞いだ。
兼継がそのような嗜好を持っていない事など、影勝の小姓衆なら誰でも知っている。もう何年も一緒に過ごしてきたのだ。もしもそうなら、疾うの昔にそのような関係になっているだろう。
しかし真実など どうでも良い。
直枝家の懸念を払拭する為にも、雪村とは引き離さなければならない。
*************** ***************
数日後、泉水と共に鍛錬中だった兼継のもとに、影勝がやってきた。
俺は外しますか? と目で聞いた泉水を留めたまま、影勝が口を開く。
「雪村を 甲斐に戻す。お前には先に伝えておく」
「お待ち下さい影勝様。雪村は上森に仕官を希望しております。影勝様もその御積もりだったのではありませんか?」
「そうだが、戻す」
あのような噂を影勝様が真に受けるとは思えないが。
泉水は思ったが、それは兼継も同じだろう。
落ち着いた声音で、さらに兼継は言い募った。
「雪村は将来有望です。槍を扱わせれば無双の腕前ですし、霊力も高い。手放すには惜しいかと」
「いくらあ奴が武辺者であろうと。引き立てれば周りの者は皆、お前との仲ゆえそうなったと思うだろう。『たかが噂』と侮らぬ方が良い」
「……!」
影勝の言葉に衝撃を受けたような表情になり、兼継が押し黙る。普段寡黙な影勝が、声に苦渋を滲ませて口を開いた。
「……済まない、兼継。俺の我儘だ。赦せ」
影勝も兼継も、そして泉水も、言葉もなく黙り込んだ。
それから間もなく、雪村は甲斐へと戻され、兼継は直枝家の養子となる。
その後、御館の乱を経て兼継は越後の執政に抜擢され、雪村と別れてから五年の後、桜姫の件を介して再会する事になる。
*************** ***************
「……とまあ、そんな経緯です。だから俺らは雪村を、相模にやりたくないんですよ。首藤が居ますから」
話し疲れたのか内容が内容だからか。泉水は大きな溜め息をついて、置かれた茶に手を伸ばした。
しかし今度は、それを聞く羽目になった桜姫がしょっぱい顔をして泉水を見上げる。
「それをわたくしから雪村に話せというの? いささか意地悪ではなくて?」
「あはは。でも兼継から話させるのは酷だ、って言い分は解るでしょ?」
「泉水殿から話せば良いじゃないの……」
桜姫も聞き疲れたのか、眉間の辺りを指で押さえて ふゥ、と息をつく。
「ようするに。五年前に雪村が甲斐に戻されたのは『男色野郎同士の恋の鞘当て』が原因で、今の見た目じゃ男色野郎同士がまた鍔迫り合いを押っ始めそうだから注意してね、と言えば良いのよね……?」
「全然違う」
「うふふ。冗談よ?」
「間違えて侍女衆に話したかと思いましたよ。ホントに冗談だって、信じていいんですよね?」
胡乱な目つきで桜姫を見ていた泉水は、若干遠い目線になった。
「雪村は雪村で、相模で調べたい事があるんでしょう。それを邪魔する権利は俺たちにはありません。でもだからこそ、何とかしたい。お願いしますよ。だってせっかく毘沙門天の差配で奇跡が起こったのに、首藤にかっ攫われちゃあ兼継が可哀想でしょ」
「兼継殿はどうでもいいけれど、雪村が困るのなら放ってはおけないわ」
泉水と桜姫が同時に深い溜息をつき、お互いに顔を見合わせた。
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