第150話 安芸返信2

「姫さま、大人しくお団子を食べていて下さいませ!」

「ちょっと覗くだけじゃないの。大袈裟ね?」


 うふふと可愛らしく笑っているが、瞳の鋭さは猛禽類のそれだ。

 老女が席を外して間もない姫の部屋では、老女の部屋へ盗み聞きに行こうとする桜姫と止める侍女衆との攻防が繰り広げられていた。


「これがバレては我々一同、身の破滅にございます!」


 悲鳴のような制止に、桜姫もふと我に返る。

 兼継にバレただけでも十分に身の危険を感じる案件だが、これに加えて老女の神鳴のようなお小言が追加されるとなれば、なかなかに気が重い。これはあえて危険を冒すべきではない。


「仕方がないわね。貸しひとつよ?」

「ありがとうございます姫さま!」


 冷静に考えれば貸しでも何でもないのだが。桜姫はありもしない恩を擦り付けて、侍女衆の言葉に従った。



 ***************                *************** 


「桜姫」

 大人しく団子を頬張った後、暇に任せて庭園を散策していた桜姫を呼び止めたのは泉水だった。御殿と奥御殿を隔てる垣根越しに、ちょいちょいと手招きする。


「兼継、こっちに来てる?」

「ええ、老女のところに居ると思うわ。何かご用?」

「いや、兼継に用がある訳じゃないんだ。俺としてはどっちかって言うと『姫に用事』かな」


 苦笑いで顎を掻く泉水を、桜姫は不思議そうに見つめた。このような事を泉水に言われたのは初めてだ。


「わたくしに?」

「はい。五年前に雪村が甲斐に戻された経緯についてですから。老女はそうは考えていないみたいだけど、兼継から話させるのは酷だ。出来たら、幼馴染で親しい桜姫の方から伝えて欲しいんですよ」


 ふと目を伏せた桜姫が、緩みかけた口元をそっと隠す。泉水の眉がぴくりと跳ねた。


「……それはわたくしに、『兼継殿の弱味』を教えて下さるってこと……?」

「すいません。今の話はナシで」

「冗談、冗談よ? わたくし、ここはひとつ私怨を乗り越えて泉水殿の信頼に応えるわ? 男に二言はなくてよ??」

「姫は女性ですよね?」


 垣根越しに何時までも馬鹿話をしている場合でもない。

 気持ちを切り替えて、桜姫は控えていた侍女に目配せし、泉水を部屋へと誘った。



 ***************                *************** 


「安芸から、これが届きました」


 済ました顔で、老女が兼継に一通の文を手渡した。


 整理をしていた荷物の中から、老女から借りていた簪が出てきた事。そして長い間返し忘れていた無作法を詫びる文言に続き、最後に「兼継にも宜しく伝えてくれ」と締められた文。

 それは当たり障りのない内容にしか見えなかった。


『雪村が一度、相模に行っている』という前提がなければ、ではあるが。


「何かあれば『越後の雪』宛てに連絡を」

 そのように取り決めたと聞いている。今更この内容は、どう見ても不自然だろう。


「それとこれを。言うまでもありませんが、私は安芸に簪など貸してはおりません」


 簪を包んでいた藤色の布地を、老女は丁寧に解いた。

 銀細工の平打簪(ひらうちかんざし)で、薄く平たい円形の装飾面には、百日草の意匠が彫られている。よくみると、飾りと棒の境目には糸が括り付けられていた。


「藤色の布、簪の首に括られた糸、そして百日草の簪。何か思い当たりませんか?」


 じっと見返す老女を見返し、兼継は小さく息を呑んだ。一連の意味に察しがついて、やっと雪村宛てでない事に合点がいく。

「「首藤に注意せよ」との連絡ですね。もう見つかりましたか」


 百日草の花言葉は『不在の友を思う』そして『注意を怠るな』。その簪の『首』に括られた糸と包まれた『藤』色の布地。一見そうと悟られないよう、首藤を表したのだろう。


「そうね。こんなに早々と見つかるなんて。私の見通しが甘くて、貴方には申し訳ないことをしたわね」


 そっと目を伏せた老女を、兼継は若干の警戒を持って見返した。

 剣神公亡き後の奥御殿を仕切る老女が このように慎ましく反省するなど、何か裏があるのではなかろうか。

 やがて反省の真似事に飽いたらしい老女は、きりりと目線を上げて兼継を見返した。


「こうなっては仕方がありません。貴方も腹を括りなさい。今すぐ雪村をここに呼び、五年前の経緯を洗いざらいぶちまけるのです!」

「それはそのうち、折を見て!」

「ええい。それでも貴方は剣神公の教えを受けた越後の義人ですか! そのような優柔不断に付き合った挙句に今があるのです! 待つこと罷り成りません!」

「急いては事を仕損じる、とも申します故!」

「五年も引き伸ばしたのだからもう十分です! 貴方が話さないのなら私から話しますか!?」



 猛り狂う老女に引導を渡され、兼継は言葉も無くがくりと項垂れた。


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