第130話  相模遠征 ~side K~

 外での所用を済ませた兼継が御殿へと戻る途中、鍛錬帰りの泉水が追いかけてきて隣に並んだ。


「あいかわらず忙しそうだなぁ兼継。たまには身体を動かした方がいいぞー?」

「泉水殿も鍛錬ばかりではなく、内政にも精を出して下さいよ。私より年上でしょう」

「お前がやり易いようにって、うちは執政制度を取り入れてるじゃないか。影勝様の御意向には沿わねばな!」


 苦笑する兼継に、泉水は鼻息荒く反り返る。

 影勝の小姓時代からという長い付き合いの二人は、気安く遣り取りが出来る間柄だ。



「あ、兼継殿、和泉殿」


 奥御殿へと続く中庭を抜けてきた少女が、にっこりと微笑んで二人に会釈する。

 兼継が贈った白紬を纏い、さらりと垂らした髪には白花を挿している。

 化粧をしたのか小さな口には赤い紅を差していて、それは雪原に映える赤椿のように可憐だった。


「雪村か?」


 兼継がつい眉を顰めたのは、隣に立つ泉水をどうすべきか 考えが纏まらなかったせいだ。

 案の定「ゆ、雪村なの!? 本当に!?」と大袈裟に仰天する泉水に、兼継は内心頭を抱えた。


 それでなくとも信倖の乳兄弟の件で頭が痛いのに、これ以上厄介ごとを増やして欲しくない。出来るなら今すぐに風呂にでも突っ込んで、その化粧も身体に焚き染めた香も全部取っ払ってしまいたいくらいだ。


 そもそも誰に見せるつもりでそんな装いをしている。


 まずはそいつを屠るところからだが、それは後回しだ。都合が悪くなると 雪村はすぐ逃げる。


 逃げる前に距離を詰め、兼継は雪村の顎に手を掛けた。


「女性の身体になった自覚を持てとは言ったが、女装しろとまでは言ってないぞ」


 そう言いながら乱暴に口を拭う。

 赤椿が散るのは惜しい気もするが、このような姿をおいそれと他の者に見せる訳にはいかない。

 何かあってからでは遅いのだから、これはお前の為でもある。内心で言い訳しつつ兼継は、大人しくされるがままになっている雪村を見下ろした。


「こんな仮装をして今度は何事だ」


 答え次第では只では置かない。睨め付ける兼継に気付いているのかいないのか、あっさりと雪村が返事を返す。


「安芸殿に会いに。ちょっと小田原まで行ってきます」

「「小田原!?」」


 兼継だけでなく泉水の声も重なった。

 驚くなという方が無理だ。何故雪村は小田原に行くなどと思い立ったのだろう。


 今の雪村は五年前の姿に戻っている、それも女性に。そして小田原には首藤が居る。

 隣から慌てた気配とともに泉水が目配せしている。当然だ、小田原になど行かせられない。


「駄目だ雪村」


 その思いが言葉になる前に、兼継の手をすり抜けて雪村が一目散に逃げ出した。

 こういう時は驚くほど素早い。


 ~~~だから雪村は油断がならないんだ!



 ***************                ***************


 雪村に化粧を施したという老女は、不機嫌極まりない兼継を前にしても淡々としていた。


「ご老女、雪村が相模に行く事を知っていたそうですね。何故止めなかったのです。昔の経緯は貴女も十分にご存じのはず」

「あの子はもう武隈からの人質ではありませんよ。そして貴方の庇護が必要な、子供でもありません」

「しかし」


 雪村は五年前の経緯を知らない。

『自分が他の男に関係を迫られていた』など、知らずに済ませられるのならばそれに越した事はないと思っていたが、それが裏目に出た。知らなければ自衛のし様もないだろう。


「だから化粧をしたのですよ。貴方はともかく、泉水殿は雪村と気づかなかったでしょう。それを貴方は、くだらないやきもちで台無しにして」

「……」


 違うと言い返したかったが、それならどうしてあの姿で出歩かせたくなかったのかが解らない。


 結局黙り込んでしまった兼継に、老女が少し表情を和らげた。

「心配しなくても大丈夫でしょう。小田原がどれだけ人が多いと思っているのです。首藤殿が雪村を見つける確率など、海辺の砂から砂金一粒を探すようなものです」


 そうであれば良いのだが、今はそれを願う以外に無い。


 兼継はそっと吐息をついた。

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