第131話 【番外編】安芸追憶 1 ~side A~

『越後の雪』から文が届いたのは、秋も深まりかけた霜月の初めでした。


『雪』という侍女仲間に覚えはない、けれどこれは雪村ではないかしら。

 そう思ったのは、私自身が雪村からの連絡を待ち焦がれていたからでしょう。



「今度は忘れません。しかし思い出にもしたくない。だから安芸殿、今度は真木の間者になってくれませんか?」



 それは私を逃がす為の方便だったでしょう。

 再び会う事は無いかも知れない。

 それでも私は雪村を、忘れることは出来ませんでした。



 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 私が雪村と出会ったのは、私が十七、雪村が十五の年でした。

 当時の私はまだ、父が武隈の間者をしているとは知らず、ただ母の薬代で逼迫する家計の助けになればと勤めに出る事にしました。


 武家の娘が邸勤めに出るのは珍しいことではありません。ただ剣神様は、奥御殿より御殿勤務の方が給金が良いからと、何か際立って特技がある訳ではない私を御殿勤めにして下さいました。


 御殿にお勤めしている方々は 基本的に男性です。女性といえば厨(台所)で食事を作る方達くらいでしょうか。

 私は剣神様のお側で雑用などを言い付かるお仕事をしていましたが、やがて身の回りのお世話や、付き人のような事も任されるようになりました。


 当時、すでに陰虎様と影勝様の跡取り問題は表面化しており、父も自分に万が一の事があればと危惧していたのでしょう。

 剣神様のお側近くに仕えるようになった私を『武隈の間者に』と望んだのは自然のなりゆきです。しかし私に、そのような決心は出来ませんでした。


 父の最大の任務は『「信厳公の落とし胤の姫」の居場所を突き止めること』。

 しかしそれは剣神様が、本当に本当に秘匿したがっている事だと私は知っていたからです。

 越後山中の尼寺にその姫は居る。知っていても、私はそれを父に話しませんでした。たとえその情報が、向こう三年分の母の薬代になるものだとしても。



 父の望みと私自身の葛藤。どんなに手を尽くしても先が見えない母の病。

 雪村と出会ったのは、そんな頃でした。



 ***************                ***************


 ある日のことです。

 着替えに戻った剣神様に付いて、私は初めて奥御殿へ足を踏み入れました。

 奥御殿の侍女衆とはそれなりに面識はあったのですが、用事はいつも御殿と奥御殿を繋ぐ廊下で済ませていたので、中まで入った事はありません。


 剣神様のお部屋は、奥御殿最奥のお部屋でした。

 機能的で飾り気のない御殿とは違う、生活感があり華やかな奥御殿の内装を、私はきょろきょろと見回していました。


「安芸、そんなに珍しいかい? 着替えはこっちの侍女に手伝って貰うから、お前は好きにそこらを見ておいで」

「よろしいのですか? ありがとうございます!!」


 剣神様のお言葉に甘え、私は元気に返事をして剣神様のお部屋を辞しました。

 見たい所は決まっています。色とりどりの花が咲き乱れた、この美しいお庭が見たいです。神龍の加護がある越後は、季節に関係なく花が咲き乱れているのです。

 私は限られた時間をなるべく有効に活用しようと、急ぎ足で庭園へ降りました。


 桜が咲く春の庭、夏椿や梔子が咲き誇る夏の庭と順番に見てきて、秋海棠と紅葉が散る秋の庭に差し掛かった時です。

 さらさらと水が流れる音がして私は耳をそばだてました。

 秋の庭園には滝を模した意匠があり、音はそこから聞こえてきます。花びらみたいな紅葉が浮かんだ池には、紅葉と同じ色をした鯉が泳いでいました。


「かわいい」

 思わず呟いて池に寄ると、すぐ近くから「可愛いですよね」と声がしました。


 気付きませんでしたが先客がいたのです。

 長い髪をひとつに束ね、小さな顔に大きな榛色の瞳が印象的な可愛い子が、池のほとりにしゃがんでいます。背は高いですが私より少し年下でしょうか。

 白い小袖に浅葱の袴といった活動的な装いで、何だかいつも男の装いをしている 剣神様みたいな子。


「私の世話役の方に教えていただいたのですが、滝を昇り切った鯉は竜になるのだそうです。この子たちもいつかそうなれるでしょうか」


 そう言って水面に目を落とします。

 私も隣で同じようにしゃがみ込み「そうなるといいわね」と返事をすると、その子はにっこりと笑いました。


 思えば私はその時に、雪村を好きになっていたのかもしれません。

 ただその時はまだ、この子を女の子だと思っていたのですが。


 だってそうでしょう? 剣神様のお邸に、男の子がいるなんて思いませんもの。

 結局私達は池のほとりで鯉を見て、それだけで別れました。

 お互いの名前も知らないままに。


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