第114話 桜姫と秘密のミッション1 ~side S~

「姫様! 越後の冬は長うございます。必ず……必ずッ! 雪が積もる前にお戻り下さいませ!」


 悲壮な表情の侍女衆が、俺との別れを惜しんでいる。


 理由は解っている。越後侍女衆の冬期間の内職である『写本』。上方で開催される『冬之祭典』に卸す新作写本の製作が、行き詰っているのだ。


 俺は侍女衆から秘密のミッションを一方的に託され、何も知らずににこにこ笑っている雪村とともに、鬱な気分を押し殺して越後を後にした。



 ***************                ***************


 ――今年の夏。

『雪村が女になる』という珍事が起こって以降の越後では、若干の自粛ムードが漂っていた。

 今にして思うと、男の身体が女になったり、人格がひとつ消えたりしたら、流石に『普段通り』って訳にはいかなかったんだろうなーと思えるけど、当時の雪村はばたばた倒れまくって大変だった。


『それを心配する兼継』なんて、侍女衆にとっては垂涎のご褒美だったのだが、何事も度を過ぎるとよろしくない。


 ふだん泰然自若っつーか、余裕綽綽な兼継が顔色を無くしたあたりで、流石と『これは面白半分にネタに出来ない』と悟ったらしく、キャッキャしていた侍女衆も一斉に自粛してしまった。


 再度言うが、何事も度を過ぎるとよろしくない。


 自主的に萌を封印した侍女衆の反動が、雪村の体調が落ち着いて普段通りの生活に戻った今、大変な勢いで戻って来ている。


 ――『冬之祭典』に向けて。



***************                *************** 


「姫さま! 先だって兼継様が坂戸城へと赴いた折に、沼田城にも立ち寄ったそうにございます。その辺りを是非詳しく!」

「兼継様が雪村に贈り物をしたとの報せもございます。そのあたりも抜かりなく!」


 ……俺が初めて『薄い写本』を読まされた当初、雪村本は主流では無かったはずだ。いつの間にこんなブームに……?


「少し前までは義兄上様のご本が多かったのではなかったかしら? 皆様の嗜好が変わったの?」


 そう問うと「まあ! 義兄上様の人気の心配をするなど お可愛らしいこと!」と侍女衆が色めき立ったが 違う、そうじゃない。


「雪村が、本当に女子になりましたからねぇ」

 老女が楽しげに ほほほと笑う。


 雪村本は、女が男の振りをする『とりかえばや』ってジャンルだったんだが、それが実際に女になったモンだから、何というかこう……別ジャンルで書いてた侍女まで参入する勢いで、雪村本が盛り上がっているそうだ。


 まぁ簡単に言ってしまえば兼継だよ兼継。

 今まで女には一定の距離を置いていていた兼継が、雪村に対してはあからさま過ぎて、侍女衆が萌えてしまった。

 雪村本は『女である事をいかに隠すか』がメインのハラハラ冒険物みたいなノリだったんだが、萌えに萌えまくった侍女衆は、全力で恋愛モノに軌道修正し始めている。


 ネタを探したい侍女衆は貪欲だ。


 どうやって調べ上げたのかは知らんが、兼継がこっそり雪村に会いに行った事や、プレゼントを渡した事までバレている。

 そして今回は 俺が沼田に戻るにあたり、雪村絡みで写本のネタになりそうな事を仕入れて来いとのお達しだ。


「そんな間者みたいな真似、わたくしには無理よ」


 抵抗はしたが、侍女衆は都合の悪いことになると聞こえないフリをする。


「今の雪村なら、新しい『とりかえばや』が開拓できると思いますの……!」

「しかし惜しむらくは、雪村には兼継様以外との接点がほぼ無いこと……!」

「一体誰と絡めれば……? そこが『写本』の腕の見せどころとは言え……!!」


 おい、さんっざん坂戸だ贈り物だと聞いといて、兼継で書くんじゃないのかよ。

 フィクション書きたいんだかノンフィクション書きたいんだか解らんが、写本とは本来、そういうものじゃないと思う。


 だが、ぎりぎりとほぞむ侍女衆にツッコめるはずもなく、俺は慎ましく沈黙を守った。


 俺が『薄い写本』のネタを、できるだけ掻き込んで越後に戻らねば『冬之祭典』に新刊が出せない。


 それ即ち、越後の冬の副収入・大激減。


 それでも譲れないものはある。雪村は友達だ。友を売る訳にはいかない。


「……いやよ、そんなの。雪村にも悪いわ……」


 男だったらこれだけで絶対服従を誓うであろう、一撃必殺の『魅了』攻撃・可憐な憂い顔で拒絶してみたが、女にはもともと、この手の攻撃には『無効』のスキルが備わっている。

 なにをたわけた事を、と言わんばかりに、侍女衆は ほほほと俺を笑い飛ばした。


「しかし姫さま、これは姫様の冬のお饅頭代ですよ?」

「!?」

「働かざるもの 食うべからず。姫さまはおやつなしの生活に耐えられますか?」

「!??」


 ……俺はスパイを承諾することにした。



 ***************                ***************


 ひと月前に雪と交わした「『雪村』が居なくなった事を兼継には内緒にしてくれ」という約束については、盛大に無視してしまった。


 いずれそれは 雪の役に立つ。


 それを後悔してはいないが、約束を破り、あまつさえそれを黙っている事は申し訳ないと思っている。

 それなのに今度は、雪に対してスパイ活動を行おうとしているのだ。


 ……俺って酷くない?



***************                *************** 


 驚いたのは、俺が居ない間に六郎が上田に戻されていた事だ。


「上田に寄っていくのか?」と聞いた俺に、雪が曖昧な苦笑で素通りした時はおかしいとは思ったが、信倖から「暫く立ち寄るな」と厳命されていたのは後で知った。


 あのボンクラ兄貴が動くとは、いったい何があったんだ。


「六郎はどうしたの?」

 沼田に着いてから居ない事に気付き、さり気なく探りを入れたら、根津子と小介は顔を見合わせて吐息をついた。


「分を弁えずに、越後の家老様に嫉妬なんてするからです。馬鹿ですよねぇあいつ」

「どっかの部屋に押し込んでからやりゃあいいのに、縁側でなんか仕掛けるから。 馬鹿ですよねぇあいつ」


 小介の台詞が不穏だが、兼継が沼田に立ち寄ったあとで六郎がやらかしたってのは分かった。

 ……が兼継。六郎の牽制に来て雪を危ない目にあわせたなら、本末転倒だぞ。


 これは『薄い写本』のネタになりそうだが、六郎はフツメンのモブだしなぁ……

需要あるかな。

 とりあえず雪村が男に戻ってないんだから、大したことにはならなかったんだろ。

 安芸といい六郎といい、雪村はモブにモテるなあ!


 ……と他人事のように言っているが、主人公姫のくせに 恋愛フラグが軒並みブチ折れている俺と比べれば、全然マシだけどさ。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る