第108話 対峙と来訪2 ～side K～
先日の戦の後で『坂戸城の普請』が評定の場で出された事は事実だが、急ぎの案件ではない。
もっと言ってしまえば、これは沼田に立ち寄る為の方便だ。
理由はふたつ。
桜井は「あんたが気付いてるって事はしばらく伏せてやってくれ」と言っていた。
『雪村が別人である事』を桜井には話せて自分には隠そうとする、その真意を問い質すこと。
そしてもうひとつは『宇野六郎』という家臣に楔を打ち込んでおくことだ。
雪村と親しい間柄かどうかはさて置き、桜井が警戒するくらいなのだから手を打った方が良い。それこそ『何かあってからでは遅い』案件だ。
先刻、城へと向かう道すがらに見かけた『馬上の男』。あれが宇野だろうか。 ある程度見せつける事で諦めると良いのだが。
大柄で、真面目に鍛錬に励んでいると思わせる体躯をしていた。忠誠心の高さ故に主を気遣っているのだとしたら、兼継の嫌いな型ではない。
友人としてなら、寧ろ気は合うのだろう。
だが今回に限っては話は別だ。
手にした杯に酒が満たされる。意識を戻して顔を上げると、雪村が緊張した面持ちで、たどたどしく酒を注ぎながら苦笑した。
「申し訳ありません。私に客など来ないので、接待に慣れていなくて」
今は侍女から柔術を習っている、先日越後へ行く前に浅間山に寄って ほむらの祠を掃除してきた、そんな取り留めのない話を楽しげにしている雪村だが、手にした酒が全く減っていない。
「飲まないのか？」
不思議に思って聞くと、雪村は「どうにも弱くて。すぐに眠ってしまうのです」と照れくさそうに笑った。
酒に弱いだと？
兼継は信じられない思いで雪村を見返した。
酒に弱い女性など、この世に居るのか！？
もう そう思う辺りから認識がおかしいのだが、生まれてこの方、そういった環境下で生きてきたのだから仕方がない。
剣神公は大酒呑みだった。ざるだかうわばみだか知らないが とにかく呑む。
挙句、酔っ払って厠で倒れてそのまま昇天するという荒業までやらかした。
大声で歌いながら用を足している最中に、滑って転んで 頭を打ちつけての昇天など、女性として……いや男性であっても、これ以上を探すのが難しいほどの醜態ではないだろうか。
それだけならともかく。
結果的にそれが御館の乱にまで発展したのだから、迷惑極まりない。
そして影勝様の妹御・ 花姫は、陰虎との婚姻時、三度に分けて飲むべき三献の儀の御神酒を一息に飲み干し、その都度継ぎ足されるという酒豪っぷりを披露したと聞く。
後で好きなだけ飲めよ、そんな時までがっつくな。と突っ込みたくとも、相手は主家の姫。その様な事は言えない。
そんな女性ばかりを見てきた兼継にしてみれば『酒に弱い』など、俄かには信じがたい話だし、何より幼少の頃から雪村は、正月の御神酒で顔色を変えた事が無い。
「酒呑みの素質があるよ、雪村は！」
「まだ子供です。止めてください！！」
そう言って、雪村の茶碗に酒を注ごうとはしゃぐ剣神から、徳利を取り上げた回数は、数知れなかったのだから。
「雪村は酒に強かった」
『男の』雪村が酒に強いなら、陰陽の対になる『女の』雪は、弱くなるのかも知れないな。
そう続けかけた兼継が 口を噤む。
『雪村とは違う』
そう匂わせただけで怯えている雪を目の当たりにすると、それ以上は言えなくなり、兼継は雪村の頭を乱暴に撫でて誤魔化した。
「大人になれば飲めるようになる。暫くはお預けだな」
怖がらせないように意識しながら、兼継は雪の顔を覗き込んで微笑んだ。
どうしてそんなに隠したがるのだろう。雪村が居なくなったのは、この娘の咎ではないのに。
そんなに泣きそうな顔で笑われると、こちらの方が 胸が痛む。
「何故 私には言わない？」
雪村に目線を合わせたまま、ゆっくりと髪を撫でる。
女子の身体になったあの夜、『何かあれば私を頼れ』そう伝えた筈だ。
桜井には言えて 私に言えない理由は何だ。
聞きたくても、それ以上に もう怯えさせたくない。
もの問いたげに見上げてくる雪村に「……まだ酒が飲めない事をだ」と取り繕うのが精一杯だった。
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