第53話 姫君の去就

「雪村、おかえりなさい!」

 庭に出ていた姫が、私の姿を見つけた途端に小型犬のように駆け寄ってくる。

 桜姫の元気な姿に、私の気持ちはほっこりと和んだ。

 つい先刻までの兼継殿との対峙は、私を想像以上に消耗させていたみたいだ。


「お待たせしました。姫はお変わりありませんでしたか?」

「大丈夫よ。雪村もお疲れさま」

 にこにこ笑う姫が急に慌てた顔になり、私もつられて表情を改める。

「どうかしましたか?」

「急に来るんですもの。信濃に戻る準備が出来ていないわ。すぐに始めなくちゃ。ね、雪村も手伝って?」

「はい」


 そう返事をした途端、老女が慌てたように遮ってきた。

「何を言っているのです。姫さまを連れていくなど許しませんよ」


「「え?」」


 桜姫と私の声がハモる。

 きょとんとする私たちに、老女が諭すように口を開いた。

「姫さまは剣神公のご息女、そして影勝様の義妹御です。この先も、居るべきは越後でしょう」


 なるほど、言われてみればその通りだ。


 その通りなんだけど、考えたことも無かった。

 ゲームでは 誰かのルートに入るまで、雪村と桜姫はいつも一緒にいたから。

 何だか寂しい気がするけれど、そういう事なら仕方がない。


 私は桜姫の肩に手を置き、出来る限りの笑顔を作った。

「言われてみればそうですよね。越後なら影勝様や兼継殿もおりますし、何があっても安全でしょう。私も安心して姫を置いていけます」

「ちょっと待って!? 嫌よわたくしは!」

 姫の細腕が私の掛衿に掴みかかり、まるで柔道技でも仕掛けるかのような勢いに、私は軽く仰け反った。

 桜姫の予想外に激しい反発に、私だけではなく侍女衆もざわりと引く。


「姫さま、私どものお世話はそんなに至りませんか? どうか不満があれば仰って下さい。私どもは姫さまと離れるのは嫌でございます」

 悲しげに侍女衆が情に訴えてくるけど、桜姫も頑として譲らない。

「それとこれとは話が別よ? 雪村はわたくしを守ると父上様とお約束したでしょう? 信濃と越後に別れて、どうやってわたくしを守るの?」


 しまった、それがあった。


「それはそうですが……越後に居れば姫に危害が及ぶことなど無いでしょう。やはりご家族と暮らされた方が幸せではないかと思います。侍女衆とも大変仲良く過ごされているではありませんか」

「わたくしは雪村とまた離れ離れになりたくないの。だったら雪村がここに残って?真木の当主は信倖殿なのだから、信倖殿が居れば上田は大丈夫でしょう?」

「そういう訳には参りません。私は真木家の者として、兄上をお支えしたいと思っております」


 いくら桜姫が主人公姫でも、私の中では兄上より優先順位が低い。

 子供の頃は上森に仕官したいと思っていたけど、父上が亡くなった今となっては、当主を継いで日が浅い兄上を手助けしたいと思っている。


 しかし信厳公の遺言もある。

 それは何を置いても守りたい、お館さまとの約束だ。

 どうしよう。


「……どうしてもというなら、年の半分を信濃で過ごすと良い」

 物静かで重厚な声に、その場に居た侍女衆がいっせいに傅く。

 開かれた襖から、威厳がある恰幅の良い男の人が庭を見下ろしている。


 影勝様だ。


 政務が終わり御殿から戻ったばかりなのだろう、着替えを持った影勝様付きの侍女が廊下を通りかかり、庭で繰り広げられる惨状に軽く目を瞠る。

 そりゃそうだろう、姫は私の掛衿に掴みかかったままだ。


「殿、よろしいのですか。いくら雪村とはいえ……」

 桜姫は嫁入り前の娘なのに、そう言いたかったのだろう。

 老女が躊躇うような響きを声ににじませ、影勝様も私と姫を一瞥する。


 しばらくの間を置いて、影勝様が再度 口を開いた。

「……雪村、頼めるな?」

「はい、お任せ下さい」

 私、桜姫をキズモノにするつもりは全くありません! たぶん兄上も大丈夫です!

 でも念のため、後で兄上の恋愛イベントの進捗を確かめなきゃ。


「ならば良い。……だがもうじきお前と真木殿は上洛せねばならぬだろう。まずはこちらが姫を預かる。……桜姫、良いな?」

 影勝様の威厳がありすぎて、さすがの桜姫もそれ以上ごねる気配が無い。こくこくと頷いている。


「影勝様、ありがとうございます。信頼にお応え出来るよう、精一杯務めさせていただきます」

 深々と頭をさげると、影勝様がわかるかわからないかくらい目元を緩め、そのまま襖の奥へと消えてしまった。


 上洛の話は初耳だけど、とりあえずそれは戻ってから兄上に聞こう。

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