第42話 異世界・川中島合戦2

 翌朝、まだ陽が昇る気配もない刻限に 私たちは越後を発った。


 目立たない質素な輿、付き従うのは警護の武士と数名の侍女だけで、とても大大名のお姫様一行とは思えない。


 しばらく歩き、空が白み始めたところで私はやっと気が付いた。

 周囲が明るくなって、顔の判別がつくようになってきて……


 私は声を押し殺し、ひとりの侍女に囁きかけた。

「姫!? 何やってるんですか、こんなところで!?」

「えへへ、ついてきちゃった」


 えへへじゃないよ!どうしてお付きの侍女衆はこれ止めなかったの!?

 きっ と他の侍女衆へ目を向けると、侍女たちの顔には「止められるとお思いですか?」と言わんばかりの諦念の表情しか張り付いていない。


 うん、まあ確かに無理かも。

 いや、今は文句を言っている場合じゃないよ。私も諦めて桜姫に向き直った。


「今は武隈が姫を取り戻そうとしている時です。これはいわば囮なのに、本人が来てどうするのですか。越後にお戻り下さい」

「いいえ、わたくしがこのまま上田にいけば、逆に武隈の兄上様を出し抜けるのではないかしら。どう?」


 どう? じゃない。


「もともと「桜姫を上田にお連れする」体を装って影武者を立てているのですから、本物の桜姫が来てしまっては策が台無しですよ?」


 自信満々のドヤ顔から一転、鳩が豆鉄砲くらったような顔になる。

 まさか本気でそう思っていたんだろうか。


 私とお付きの侍女衆、それに護衛の武士までが一斉に溜息をつき、それを見ていた安芸さんがぷっと吹き出した。



 ***************                *************** 


「では姫、戻りましょう」

 あらかじめ落ち合う場所と定めていた飯山城に着き、真木側の護衛と引継を済ませた上森の護衛が、姫を捕まえようと小走りに攻め寄せた。


「雪村、早く迎えにきてね」

 そう言って掴みかかってくる桜姫をやんわりと制しながら、私も「はい、すぐに」と笑いかける。


 私から桜姫を引き剥がした越後武者たちは、先刻まで安芸さんが乗っていた輿に手際よく押し込めると、何事もなかったかのように連れ帰っていった。

 捕獲の様子といい、じたばた騒ぐ姫を押し込める様子といい、動物病院に連行される猫によく似ている。


 桜姫は神剣公の娘で影勝様の義妹になるんだけれど、皆とてもそんな敬意を払っているようには見えない。

「……越後の家臣団と侍女衆、桜姫の扱いが雑だなあ」

 思わずそう呟いてしまった私に、残った侍女のひとりが 疲れたように微笑んだ。


「でも越後で姫さまの扱いが一番雑なのは、兼継様ですわ」


 それは何ともコメントしようが無い。




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 目立たないように山沿いの道を下っていると、眼下になだらかな平原が見えてきた。

 川中島だ。

 蛇行する河畔沿いに 海津城も見える。


 千曲川を西側の守りにしていて、本曲輪をさらに曲輪で囲み、丸馬出と堀でしっかりと防御を固めている。

 後に甲州流築城術と言われる造りの堅牢な城だ。


 そういえば「剣神公が海津城へ行った」と聞いた子供の頃の雪村が「かいづ城のこうさきどのは、父上のご友人です。お会いになられたのですか?」と聞くと、剣神公は「いいや、何度も門前払いを食らったよ。そうしておけば、功を焦る武将ほど己を過信するものさ」と闊達に笑っていたっけ。

 その時の「海津城行き」が川中島の戦いの事だと雪村が知ったのは、随分あとになってからだ。


 武隈と戦うにしろ上田に援軍を出すにしろ、まずはここを攻略しなきゃならないんだけど、兼継殿はどうするつもりなんだろう。

 剣神公も落とせなかった城なのに。




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 信濃の上田城に戻り、数日が過ぎた。


「それでは我々は防衛に徹する、という方針で宜しいですね?」

 戦評定という、現代風に言うなら作戦会議の席上、家老の宇野が確認するように口を開く。私は口調がですます調に戻らないように注意しながら家臣の顔を見渡した。


「ああ。籠城して上森からの援軍を待ち、挟み討つ。領民を城内に入れた場合、どれくらい兵糧が保つか試算して欲しい」

「川に細工はしなくても?」重臣の根津が念を押すように確認する。いつもならこういった策についての確認は、筆頭家老の矢木沢が口にするけれど、今は居城の岩櫃城に戻っていて不在だった。

「しなくて良い。援軍が来るまで防衛に徹する」


 今回は水攻めはしないつもりだ。

 上田城の籠城戦で川が利用されたのは、私でも知ってる程度に有名だけど、何度も使うと警戒されるから いざって時まで隠したい。


 そしてその「いざ」って時は今じゃない。


 兵糧もこの際だから、どれだけ備蓄してるのかも知っておきたいし、買い付ける時はどんなルートを使っているのか、今の私はそんな事も分かっていない。

 本当に分からない事が多すぎだよ。

 でも雪村も籠城戦をひとりで仕切るのは初めてみたいで、家臣の意見を聞きながら覚えてるって気配がする。

 幸い、兄上から家老に宛てて文が届いていたから、今後の方針で特に紛糾することが無くて良かった。



 大きなボロを出すことなく 戦評定が終わりそうでほっとしていたら、家臣たちからは「雪村様が籠城すると言われるとは。大人になられましたなぁ。我々は「討って出る」と言われましたらどうお諫めしようかと、そればかり考えておりましたぞ」と言って笑われた。


 自分が一番の懸念材料でしたって……どんだけ猪武者な扱いなの、雪村。



 とりあえず最後に、武隈の斥候を警戒するため忍物見を配置する……現代風に言うと「真木の忍びに、武隈の本隊が攻め込んでくる前兆を探らせる」って事を確認して、その日の戦評定は終わった。



 ***************                *************** 


「お疲れ様。評定は終わったのですか?」

 そう言って安芸さんが洗濯物を畳んでいた手を止めた。

「安芸殿、何をしておられるのですか? 貴女はここでは姫なのですから、そのような事はうちの者にやらせて下さい」

 私は慌てて、やりかけの洗濯物を脇へと寄せる。

「いいのよ。身体を動かしていた方が楽なの。だって本当は侍女ですもの」

 そう言って洗濯物を取り返し、安芸さんが笑った。

 お付きの侍女衆は止めなかったのだろうか、姿が見えない。


 じゃあ手伝います、と言う私に安芸さんが慌て、茶を運んできた真木の侍女が散乱した洗濯物に慌て、結局 洗濯物は 真木の侍女が回収して行った。



「だってお世話になりっぱなしなのよ?せめてこれくらい」

 そう言ってふくれる安芸さんが、お茶を一口飲んでから私を見た。

 ちょっと言いづらそうにしているから、どうかしましたか?と笑って促すと、意を決したように口を開く。


「直枝家侍女の私がこんな事を言うのも何だけど。私には兼継様のお考えが解りません。道中で知ったのですが、上田城は武隈方前線の海津城より ずっと信濃寄りにあるのですね。では周りの城主はみな武隈方。『上田城に桜姫が居る』と装えば、ここは激しい攻撃に晒されるでしょう。桜姫をお守りする為に真木を犠牲にしているように、私には思えます」


 そう言う安芸さんは本気で憤っているように見える。

 私は言葉を選んで答えた。


「そのような見方もあります。しかし私は桜姫が上田城に居るとなれば、積極的に

攻めてはこないと思っています。神力を揮える神子姫に万が一の事があれば、富豊や徳山どころか朝廷も敵に回す。上森が降伏すれば姫は戻るのですから、上森攻めに注力するでしょう。

 上田城には抑えの兵を置き、出来るだけ多くの兵力で上森攻めに向かう可能性が高い、と私は見ています」


 戦に「必ず」はないけど、なるべく安心して貰えるように 笑顔でそう話す。

 わざわざ女の人を怖がらせる必要はない。


「女の浅知恵でものを申しました」

 そう言って恐縮する安芸さんに、私は慌てて首を振った。

「とんでもない。少し通りがかっただけなのによく見ているなと感心していました。ですから安芸殿は何も心配はいりません。心安らかにこちらでお過ごし下さい」


 そう言ってから、私はこちらに来た用向きを思い出して、改めて安芸さんに向き直った。


「申し訳ありませんが、国境で諍いが発生しましたので少し留守にします」

「まあ、大丈夫ですか?」

「はい。水場を巡っての喧嘩など 農村ではよくある事ですから」


 心配そうに眉をひそめた安芸さんに笑ってそう伝えると、安心したように表情を和らげる。

 いつの間にか部屋に戻っていた侍女衆にも、何かあれば家臣に言うようにと伝え、私は部屋を辞した。


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