第41話 異世界・川中島合戦1

「影勝様がこちらに戻られる。「武隈に謀反の疑いあり」との事だ。

 戦になるだろう」


 兼継殿がそう耳打ちしてきたのは、雨がそぼ降る寒い日だった。

 驚いて見返す私の肩を押し、さり気なく周囲を見回した後で近くの部屋へと誘う。


「武隈殿は桜姫を何としても取り戻したいようだ。上森に何度訴え出ても埒が明かず、業を煮やしたらしいな。国元に戻り戦支度をしている」


「桜姫は本当に信厳公の娘なのか」と公衆の面前で疑ったのが切っ掛けにもかかわらず、克頼様は何度も桜姫を返すよう上森家に言って来ていたのだそうだ。

 そもそも桜姫は、越後山中の尼寺で育った上森の姫だ。それを雪村が無断で連れ出したのだから、上森家にそれを言うのは筋違いも甚だしい。


 埒が明かないと見限った克頼様は「神子姫の守護を『武隈の一家臣』が担っているのは役者不足」と反発していた徳山家に「桜姫を取り戻すのに協力してくれたら、姫の守護を任せたい」と持ち掛けた。


 しかし徳山は富豊に「武隈に謀反の疑いあり」と言上した。

 この世界には『惣無事令』という 大名間の私闘を禁じた法令があるからだ。


 徳山は富豊家が神力を発現した桜姫を、あくまでも「一家臣の姫」に据え置きたい意図があると知っている。今、富豊と敵対して武隈についても分が悪いと判断したんだろう。


 徳山の調略に失敗した武隈は「弁解があるなら上洛せよ」との富豊の言には従わず、戦準備を始めたらしい。


 この世界に不案内な私でも 無謀としか思えない。


「克頼様がそのような……」

 思わず呟いた私を手で制して立ち上がり、兼継殿は再度、襖の外を確認した。

 雨のせいで薄暗いそこには誰も居ない。

 襖を閉め、真剣な面持ちの兼継殿が振り返る。しんと静まり返った部屋で、私は緊張して居住まいを正した。



 ***************                *************** 


「桜姫はこちらで預かる。雪村は信濃に戻れ」


 兼継殿の言葉に私は驚いて顔を上げた。考えるより先に声が出る。

「お待ち下さい。私はそれほどお役にたてないとお思いですか? 桜姫を奪いにくるというのに、お守りすることも叶わないと?」

「少し落ち着け」


 兼継殿にぴしゃりと遮られて、私は言葉を呑み込んだ。

 到底納得できない、と私の中で雪村が憤っているけれど、私としては戦は怖い。

 けれどそのどちらの感情も表に出す訳にはいかなくて、私は表情を消して兼継殿を見つめた。


 私が落ち着いた と思ったのか、兼継殿が再び口を開く。

 それは思ってもいない内容だった。


「秘密裏に桜姫が真木領に匿われた、そう武隈には思わせる。

お前が上田に戻ればそう思うだろう。だが姫を危険に晒す訳にはいかないからな。

姫の影武者を立てる。お前はその娘と上田城へ戻り、籠城戦に備えよ。

武隈が攻め寄せたら時を置かずに上森から援軍を出す。それまで持ち堪えろ」


 ようするに、上田城に桜姫が匿われていると見せかけて、実際は春日山城に隠しておくって事か。その方が姫は安全だ。

 でも真木の当主は兄上だから、私の一存では決められない。


「影武者を? 兄上はこの事を」

 そう言いかけたところで、兼継殿が自分の口元に人差し指を立てた。……私は口を噤む。

「信倖も影勝様と共にこちらに戻る。お前とは入れ違いになるだろうが……」

 つらつらと話しながら、兼継殿が袖から出した文を私の前に置いた。人差し指は口の前に立てたまま。


 兄上からだろうか、私は文を懐に仕舞って兼継殿に目礼をした。




「お前は今まで通りにしていろ。桜姫には何も言うな」


 部屋から出たところで、兼継殿が念を押すように囁いた。

 はい、と頷いたけれど、桜姫にバレたら絶対についていくって言いそうな気がする。

 最初こそ人見知り全開だったけど、最近はゲームでの印象に近い元気さが垣間見えてきたからなぁ。


 一緒に行くって言い張ったらどうやって止めよう?私は振り仰いで溜息をついた。

 雨で湿気っているせいか、空気が妙に辛気臭い。



 ***************                *************** 


「安芸でございます。精一杯勤めさせていただきますので宜しくお願い致します」


 深々と頭を下げたその侍女を、私は記憶を探りながら真剣に見つめた。

 緊張で少し強張っているけれど優しそうな顔立ち、細身で機敏そうな姿態、女性にしては少し低めの声。

 ……やっぱり覚えがない。


「此度は危険な役目をお願いしてしまい申し訳ありません。安芸殿は必ず私がお守りいたします」

 そう頭を下げると、安芸さんも こちらこそ と再度頭を下げる。

 お辞儀合戦になりかかったところで、兼継殿が軽く咳払いをした。


「上田には信倖から文が行っているだろうが、籠城の準備もあろう。明日早朝「人目を忍んで」ここを発て」

「相手に見つかるように「人目を忍ぶ」のは難しそうですね。私に出来るでしょうか」

「それくらいは出来るようになれよ」


 兼継殿の即座のツッコミに、安芸さんが口を隠してふふ、と笑う。衣擦れと一緒にふわりと香が香って、何だかそこはお姫様っぽい


「変に気負わずとも良い、噂を流す。いくらお前が忍んでも『雪村が目立たない輿を守って、人目を忍ぶように上田城に入った』程度の事は武隈方の耳に入るさ。全力で行け」

 あっさりそう言う兼継殿に はい、と頷くと、兼継殿は次に安芸さんに顔を向けた。


「安芸は顔を薄衣で隠すように。桜姫の容姿は世間には知られていないが、克頼殿は誤魔化せないからな。それと奥御殿から侍女を数名借り受ける。上森から出す護衛は飯山城で引継が済み次第戻るが、侍女衆はそのまま安芸に付ける。雪村、頼むぞ」

「はい、お任せください」


 飯山城は越後の境目にある、対武隈戦での最前線になる城だ。

 武隈方の最前線は海津城で、ここは川中島にある。城主は信厳公の頃からの武隈家重臣・高崎殿だったけど、病で代替わりした。


 戦上手な高崎殿が不在とはいえ、武隈家内で海津城は未だ「剣神も落とせなかった難攻不落の城」扱いだ。

 ここはどうするつもりなんだろう。


 そう思って兼継殿を見ても、その表情からは考えが読み取れない。



 ***************                *************** 


「では安芸は夜のうちに奥御殿へ。老女には伝えてある」

 侍女のトップは「老女」って言うのか。たぶん、雪村が小さい頃から仕えてた侍女のことだ。今は桜姫専属みたいにいつも側に控えている。

 老女、老女……現世のあの年でそう呼んだら怒られそうだけどいいのかな……


 いや、今はそれは置いておいて。


「それでは奥御殿までお送りします」

 立ち上がった私は、特に何も考えずに安芸さんに手を差し出した。

 驚いた顔の安芸さんが、私の顔と手を交互に見る。そして

「だ、大丈夫です。ひとりで移動した方が目立ちません」と慌てたように首を振る。


 そうですか、と笑い返すと、安芸さんもつられてくすりと笑い、そして

 「雪村は変わらないのね」と優しい顔で呟いた。



 ***************                *************** 


「雪村、安芸を知っているのか?」


 頭を抱えて考え込む私に、兼継殿が聞いてくる。

 いいえ御覧の通りですよ。


「どうしても思い出せないのです」 

 情けなくそう呟くと、兼継殿がさも当たり前、といった体で腕を組む。

「思い出し様などないだろう。お前は安芸の名も顔も知らないのだから」

「……はい?」


 間抜けに聞き返す私に、兼継殿が淡々と話し出す。

「花贈りが流行った頃、お前の部屋の前に秋海棠が置かれていたのは覚えているか?差出人は解らなかった。当時の安芸は御殿の方で勤め始めたばかりで、それから間もなくお前は真木に戻ったからな。知らなくて当たり前だ。私も花の件が安芸だと知ったのは、随分と後になってからだぞ」

「……」


 秋海棠の花は覚えている。突然の花贈りに戸惑っていた雪村に、花言葉を教えてくれたのは兼継殿だったから。

 いや、でも……


 兼継殿が若干の呆れを滲ませて、小さな吐息をついた。

「覚えていないのにあの態度か。一度いわねばと思っていたのだがな、桜姫にするような事を他の女性にもすると誤解されるぞ。それと」

 兼継殿がいちど言葉を切って、私を見据える。


「お前には、やらねばならぬ事がある。くれぐれも気を散らすな」

「はい」


 兼継殿の涼やかな瞳に真剣な光が宿って、私は現実に引き戻された。

 そうだ、これから私は兄上にも兼継殿にも頼らず、自分で判断して 行動しなければならない。


 戦を、ひとりで。


 現代人だった私に それが出来るの?

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