第43話 異世界・川中島合戦3
信濃の岩櫃山尾根に位置する岩櫃城は、山と吾妻川に囲まれた自然を要塞とした堅城だ。
上田城の支城で、父上が亡くなるまでは兄上が城主を務めていたけれど、現在は筆頭家老の矢木沢が城主を務めている。
月明かりだけを頼りに山道を進んでいくと、堅牢な城影が見えてくる。
夜陰に紛れ、人目を忍んで搦手門から滑り込むと、中には少し会っていないだけなのに懐かしく感じる人が待っていた。
私は庭を突っ切って縁側へと駆け寄る。
「お久し振りです。兄上」
「本当にね。息災だった?」
大阪に居るはずの兄上が、にっこりと笑ってそこに立って居た。
*************** ***************
兄上が岩櫃城に入って密かに戦準備をしている事は、兼継殿から渡された文に書かれていた。
表向きは「上森への援軍」の準備だ。
「兼継から聞いたよ。上田城に桜姫の影武者を入れているんだってね。……実際のところ、克頼様はどう出ると思う?」
私はちょっと間を置いてから口を開いた。ずっとずっと考えていた事だ。
「桜姫が上田城に居るとなれば、死に物狂いで奪いに来るでしょう。
上森と真木では兵力の差は歴然としています。そうなれば上森軍が海津城を早急に落とせるかどうかが鍵になる。私達もそのつもりで動くべきではないでしょうか。
……ただ、影武者と知られていた場合はその限りではない、と私は思います」
「僕もそう思う」
上森軍が、前線の飯山城で武隈を迎え撃つ可能性もある。
けれど海津城を攻め落とさなければ真木への援軍は出せないのだから、城攻めを選択するだろう。
文に書かれていた「可能性」については言及しないまま、私達は顔を見合わせた。
兼継殿から渡された文には、いくつかの『可能性』とその『対処法』について書かれていたけれど、結局のところ「武隈との戦は上森で対処するから、真木はかかわるな」という内容だった。
兄上への「援軍」要請も、たぶん上森軍の「海津城攻略」が遅れた場合の備えだ。上田城が武隈に攻められた時に後詰(援軍)として使えって事なんだろう。
元・主家と戦う事になるのを避けてくれているんだろうけど……私は改めて兄上を見つめた。
「兄上、私は信厳公より桜姫の守護を任じられています。霊獣まで賜っておきながら、そのご遺言を反故にする訳には参りません。私は上森方につきたいと思います」
しばらく黙っていた兄上が、小さく息を吐き出してから口を開く。
「そうだね。僕たちは武隈を離反して富豊についたんだから。腹を括ろう」
自分を納得させるような言い方に、私の胸は少し痛んだ。
私は無責任に自分の考えを言っているけど、兄上は立場が違う。
桜姫の件がなければ、兄上は最後まで武隈に付き従いたかっただろう。……信濃の小豪族だった真木家を、ここまで取り立ててくれた武隈への恩義に報いるために。
兄上がそう思っているように、私にも感傷的な気分がない訳じゃない。
私自身に思い出がなくても、雪村はお館様……信厳公には随分と可愛がって貰っていたから。
信厳公の家臣だった高崎殿は父上のご友人だったし、今、高崎殿のところでは兄上の乳兄弟がお世話になっている筈だ。
出来るなら敵対したくない。
でも今は何よりも、真木家と雪村の未来を繋げる為に尽力する。
私はここで生きてかなきゃならないんだから。
もう「戦が怖い」なんて言ってられない。人間相手でも怯まない。
私自身も覚悟を決め、改めて兄上に向き直った。
「つきましては兄上、ご相談があります」私はつい と膝を進めた。
兄上もいつもの穏やかな雰囲気が なりを潜めている。
腹を括った兄上は 決断が速い。
「武隈軍の背後をつく許可を下さい。囲まれる前に討って出ます」
「ちょっと待って。こっちはこっちで沼田を調略しなきゃならないんだよ? 二正面作戦てこと?」
兄上が驚いた声を上げた。
先刻まで気持ちが定まっていなかった兄上に酷いな、と自分でも思うけど、使える時間は有限だ。一刻も無駄にできない。
「籠城は確定事項だ。上田の兵は動かせないよ。どうするの?」
「根津を戸石城に行かせて、後詰の兵をまとめさせています」
戸石城は上田城のほど近くにある支城だ。
籠城戦は結局のところ、攻城する敵軍と
兵力で劣る真木としては、籠城する上田側に余力があるうちに武隈軍を挟撃してしまいたい。
ただ武隈方が上田城攻城に注力してきた場合は、戸石の兵だけでどうにか出来る戦力差じゃない。
雪村の父上が居たらその限りじゃないだろうけど、初めての戦で自力でそれが出来ると思えるほど私は自信家じゃない。
その場合は上森軍の海津城攻略を支援して、一刻も早く戦力をこっちに引っ張ってこないと対抗できない。
どちらにせよ戸石の兵を遊軍扱いで準備しておいた方がいい。
やっぱり兄上にもそういった考えはあったらしく、頷いた後でそっと息をついた。
「そう。宇野じゃなくて良かったよ。万が一にも六郎が従軍していたら酷だからね」
兄上が心配そうに呟く。
六郎とは兄上の乳兄弟で、家老・宇野の息子だ。
高崎殿が病で代替わりした時に海津城から出たとは聞いているけれど、今も高崎家に居ることには変わりない。
さすがとそこには配慮して、戸石城の差配は重臣の根津に任せたけど、兄上ほど宇野家に思い入れの無い私としては「六郎から武隈方の情報を引き出せないかなー連絡とれないかなー」とか思っちゃうんだよね。
兄上は逆に、雪村が上森に肩入れし過ぎると思ってるんだろうけど。
どう動くかはまだ判断がつかないけれど、どっちに転んでもいいように準備はしておこう。私は基本的にビビリだ。
孫子に「故に兵を
ようするに「兵力が少ないなら戦うな」が原則なんだよ。
挟み撃ちでどうにか出来るのは兵力が二倍、籠城側のアドバンテージを加味しても、上手く動けてギリ対等の場合だろう。
雪村のお父さんなら相手が大軍だろうと策で勝てるだろうけど、私はそんな事を出来る自信が全くない。
兼継殿が「援軍を出す」って言うなら出して貰うよ。
その為にはまず海津城攻略だ。
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