え?目の錯覚?

具合が悪いわけではなかった。まあ、いいや帰ろうと、踵を返した時に、見番から人が出てきた。


 それは、背の高い着流しの男と、その男の肩くらいの芸妓だった。随分、遅い時間なのに、これから、座敷なのか?と思ってみていたら、その2人にはすっと空間に溶け込んで見えなくなった。


 え?なんだ!幽霊でも見たのか?俺?背筋が寒くなって、慌てて大きな通りに出た。


 変わった体験が気になってしまって、翌週の金曜日もバイト終わりに石畳の路地を歩いてみた。なにか、怖いもの見たさで、前の週に歩いた路地を行き、さらに右に曲がってみる。


 暫く歩いていると、男の華やかな笑い声が一瞬、風に乗って元気の耳に届いた。


 その声のほうに駆けていくと、果たして、先週見た二人が前を歩いていた。追跡していくと、坂を少し遅れ気味についていく芸妓に、大柄な男が振り返って、手を差し出した。


 

 ちょと躊躇っていたが、芸妓は差し出された手を握った。暗くてはっきりと顔の造作は判別できなかったが、大柄な男の口元がふわっと緩んだのが見えた。そして、大きな手で己より大分小さい手をぎゅっと握り返しているのが見えた。芸妓のほうはあまり表情がみえなかった。


 なんだか、甘ったるい雰囲気が漂っていると思った次の瞬間、また、二人の姿が消えた。


元気は、駆け寄ったが、そこには誰もいなかったし、気配さえ残っていなかった。狐につままれたようだった。


 余りに不思議な体験に、元気は少し、混乱した。翌週のバイトの際、店のマスターにそのことを話してみた。笑われるかと思ったが、マスターは真剣な顔で言った。


「元気君、それはさ、君に縁のある人が、なにか伝えたくて、幻影をみせているんじゃないの?」

「え?幻影?実体がないってことですか?俺は、起きてて夢を見たってことですか?」

「そうだね。その二人が強い情念で、君を通じてなにかを成そうとしているとか。あるいは、君が、この場所と関係があって、前世記憶が刺激されて出てきたとかさ」

「え~、信じられないけど…」

「まあ、そうだよね、わかるよ。でも、俺って不思議な現象を信じる派なんだ」

「そうなんですか!へえ、マスターけっこうロマンチストですね」

「そうかな?…でも、その二人って、見番から出てきたんだったら、箱屋と芸妓だろうけどね」

「箱屋ってなんですか?」

「芸妓の三味線を箱に入れて、座敷に向かう芸妓に同行する男だよ」

「ああ、芸能人の付き人みたいな?」

「そんないいもんでもないけどね。大体、身を持ち崩した男がやってたからね。どんな関係なんだろうね。兄と妹なのか、恋人なのか?」

「ああ、あの雰囲気は、恋人のラブラブ感が漂ってましたね」

「君のご先祖さんの幽霊、ほら背後霊かもしれないから。八幡様に行って、お参りしてから帰りな」

「そうします」


 元気は、マスターの薦めで、八幡神社でお参りをしていた。

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