始まり

 元気は、東京生まれの大学3年生。今どきのファッションに身を包んで、夜の街で刹那の遊興を楽しんでいた。


 今日、遊んだ町は、神楽坂だ。昔は、芸妓の町として栄えたが、今は、若者が好むクラブや酒場が数多く並んでいる。飲み会のあと友人たちと別れ、少し散策することにした。


 神楽坂を渡り、左に曲がると角にアイリッシュパブがあった。店内には、数人の若いサラリーマンらしき男たちが仕事帰りなのか、ネクタイを弛めて、アイルランドと言えばこれというギネスビールのグラスを傾け、談笑していた。


 元気は、ピュアポットスティルウイスキーのシングルをオーダーし、テーブルで静かに一人飲んだ。


 雰囲気を楽しんでいると、店のオーナーが近づいてきた。


「君は、大学生かい?」

「ええ、そうです。大学の仲間と飲み会で神楽坂に来たんですよ」

「そうか、君、すごく酒場に映える容姿をしているんだよね。どうだろう、うちの店でバイトしない?」

「え?でも、俺、パブなんて何するかわからないし」

「教えるよ。ビールをサーバーからついだり、ウィスキーをジガ―で計って水割りつくるくらいならすぐ覚えるだろう?カクテルは俺がつくる」

「それくらいなら、できるかな」

「君が、いるだけで、女性客も、若い男性客も呼べる。ありがたいよ」

「そうですか、俺の容姿なんて、大したことないでしょ」

「おいおい、その上背に長い脚、めちゃくちゃかっこいいよ」


「そうですか?ちょっと自惚れそうですよ」

「自信たっぷりに振る舞ったほうが、君の容姿には合うよ」

「ああ、はい、そうですか、そうします」

「じゃあ、金曜の夜だけでも来てくれる?」

「ああ、はい、OKです」


 自信たっぷりか…元気は、容姿を褒められることは確かにあるが、外見とは裏腹で、あまり自分に自信を持っていなかった。


 容姿の華麗さから、思春期以降は多くの女性に告白されてきた。だが、交際に発展することはなかった。割と如才なく、上手に人付き合いはしたが、人を愛することに臆病で、今まで一度も恋人ができたことがなかった。深い仲になるのが怖かった。なぜ、恋が怖いのか自分でも分からなかった。無意識に相手を傷つけることを怖れていた。


 毎週金曜日になると神楽坂のアイリッシュパブにバイトに来た。


 大分、慣れてきて、ふと、迷路みたいな路地を探検してみようかなと思い立った。バイト終わりの0時を回った頃、ひとつの路地に入ってみた。見番横丁と案内版があった。


 見番という小さな建物があった。突然、頭の中に流れ込んでくるものがあった。

 

「小さな見番ばい。おいらん街んとは比べ物にならんばい」と、どうしてだかそう思った。


 頭の中には、別の建物が見えている。二階建ての横に長い建物で壁は黒塗りの木造だ。そして、二階に赤い提灯がいくつも並んでいる…。


 何が、自分に起こっているのかが分からなかった。

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