悪意の散布

 ――十日前、ファード帝国宮城。


「これは……」


 ファード帝国皇帝、クリストハルトは言葉を失っていた。

 その日、帝国の勇者であるヨアヒムが「裏切り者を炙り出した」と言い皇帝をその裏切り者が捕らえてある牢獄まで連れてきたのだが、その面々が彼にとっては驚きの人物達であったのだ。


「我が国の議会に参加している貴族達が、これほどまでに……」


 牢獄に捕らえられていたのは、皆帝国議会に議員として参加していた貴族達であったのだ。

 しかもその数は一人や二人ではない。

 およそ議会の議決を取れる過半数を超える議員がその牢獄に押し込められていたのだ。


「この者達は皆、魔族と内通していた者達です。しっかりとした物証も抑えてあります」

「魔族と、内通だと……!?」

「はい」


 ヨアヒムは頷く。

 彼はクリストハルトにとある物を手渡した。それは、羊皮紙であった。


「これは……帝国征服後に土地と自治権を与える契約書か……! なるほど、これで国を売ったわけだな……!」


 皇帝は怒りに満ちた目で捕らえられた貴族達を見る。

 彼の表情に貴族達は返す言葉も無いのか、みな目を背ける。


「これほどまでに議会を侵食されていては、魔族に対し議会が及び腰になるわけです。我が国は危うく、戦う前から魔族に征服されているところでした」

「うむ、そうであるな……すまぬな、ヨアヒムよ。お主がいなければ今頃どうなっていたか……」

「いえ、これも勇者たる私の役目ですから……」


 ヨアヒムは目を閉じながら軽く頭を下げる。

 そんな彼にクリストハルトは静かに頷きながら、牢獄に背を向ける。


「ゆくぞ、ヨアヒム。我々はこれより王国を支援するため急ぎ兵を出す。魔族をこのまま野放しにはしておけん」

「はっ。王国はヴィオネ領で魔族との決戦をする模様。救援するならそこかと」

「うむ。伝令を出している暇もない……ヨアヒム、お前も戦場に行け。お前の力なら、きっと王国と帝国両軍に勝利をもたらせることであろう」

「了解しました、陛下。必ずや人類を勝利に導きましょう」



   ◇◆◇◆◇



「ヨアヒム……帝国が王国を支援するって、どういうこと!?」

「そうだぜ、聞いてないぞ!?」


 ヴィオネ領の戦場に突如現れた帝国軍とヨアヒムに驚くシャーロットとエマニュエル。

 だが驚く二人をよそに、ヨアヒムは二人に背を向けたまま地面に降り立つ。


「悪いな、伝令を出している暇も惜しくてな。帝国も魔族の毒牙にかかりかけていたんだ。それより、来るぞ」

『っ!』


 ヨアヒムの言葉で、前方を警戒する二人。

 三人の目線の先には、爆煙が漂っていた。

 ヨアヒムが魔法で富皇を攻撃した煙だ。

 だが、それで富皇を倒したとは誰も思っていなかった。何より、邪悪な気配がその煙の向こうから漂ってくるのを三人はひしひしと感じていたのだ。ゆえに三人は警戒する。

 すると、


「ククク……ハハハハハ……」


 喉から絞り出すような笑いが煙が晴れてくると同時に聞こえてきたのだ。

 そして現れる。

 楽しそうに笑う、富皇の姿が。


「ククククク……なるほど、帝国も私達の敵になる道を選んだということね……思ったより随分と早いこと……奉政さんの計略、うまくいっていたと思ったのに」


 両腕を開き、顔を上に向けながら言う富皇。

 彼女からはおぞましいほどの邪気を三人は感じていた。


「お前が魔王、宇喜多富皇か」


 だが、臆することなくヨアヒムが言う。

 富皇もヨアヒムを見る。品定めをするかのように、じっくりと。


「ふぅん……あなたが帝国の勇者、というわけね。さっきの魔法……今までの戦場じゃあ見たこともない人間離れした力を感じたけれど……それがあなたの力というわけ?」

「……さあ、どうだかな」


 富皇の言葉は当たっていた。

 ヨアヒムが勇者として突出している力は、魔法である。

 人間を遥かに凌駕した魔力をヨアヒムは持っており、それを巧みに使うことで先のような強力な攻撃から、帝国内で行っていた密偵のような活動も行えるのだ。

 ヨアヒムはそのことを口にしなかったが、富皇はだいたいの力を先程の空からの一撃で把握していた。


「随分と強力で、器用な力のようね……これは厄介、ククク……」

「それにしては楽しそうだな、魔王」

「ええ、それはそうよ。だって、勇者二人でもつまらない戦いで飽きてきたところだったんですから……フフフ」


 ヨアヒムの言葉に不気味に笑いながら答える富皇。

 一方でヨアヒムは彼女だけでなく、戦場の方をも見ていた。

 戦場では、南方からやってきた帝国軍が魔軍の本陣近くを急襲し、魔軍はその対応に追われ打撃を受けていた。

 さらに、帝国の参戦により勢いづいた王国軍は魔軍を帝国軍と共に挟撃しようと動き始めていた。


「後詰めとして残っていた部隊は皆帝国軍への対応に当たらせろ! 王国軍に当たっていた部隊にはそのまま王国軍との戦闘を継続させろ!」


 本陣で奉政が命令を飛ばす。

 富皇が勇者との前線に出たことにより実質の総大将となった奉政が今、全軍を動かしていた。

 他の魔軍はそんな彼女を守るために動く。


「奉政様に近づけさせるなっ! ドラゴン隊、攻撃っ!」


 ガイウェルの指揮するドラゴンで構成されたドラゴン隊が帝国兵に向かって上空から火を放つ。

 だが帝国兵はそれに臆することなく、むしろ勇ましくドラゴン達を落としていく。


「デーモンプリースト達よ、底力をみせい! 魔法の雨を降らせるのじゃっ!」


 魔法を操るデーモンプリーストのりーだー、ソルドが叫ぶ。

 それにより、帝国兵に次々と火や雷といった攻撃魔法が降り注ぐ。

 帝国兵も対抗するように魔法を繰り出す。

 強力な魔法同士がぶつかり合い、激しい爆発が起こる。

 帝国兵は高い練度と大軍により魔軍を押し込んでいた。

 しかし、魔軍の近代兵器によりいまいち攻めきれないのも事実であった。

 それは王国軍も同じで、戦況は人類優位の状態で膠着していた。


「今、風は俺達に吹いている。ここでお前を討ち取ることができれば、もはや魔軍は烏合の衆……そうだろう?」

「へぇ……私を倒す? あなたも他の勇者と同じようにできないことを言うのね。面白い。二人が三人になったところで、それができるとでも?」

「できるさ……二人共、いけるな」


 シャーロットとエマニュエルに振り向かないまま聞くヨアヒム。

 彼の呼びかけに、二人はニヤリと笑って答える。


「もちろんよっ……! ここから、巻き返しましょう!」

「ああっ! 人間の底力、見せてやろうぜっ……!」


 闘志に燃える二人。その言葉に、ヨアヒムも静かに頷く。


「ああ……このヨアヒム・フィッツェンハーゲン。帝国の影であり光となろう……!」


 そうして三人は富皇の元に駆ける。

 彼女を倒すために。

 一方で富皇は、相変わらず楽しげに笑っていた。


「ふふふふ……あらあら、もしかして私達が不利なのかしら? 困ったわねぇ、どうしようかしらねぇ、ふふふ」

「でいやぁっ!」


 そんな彼女に最初の攻撃をしたのは、シャーロットだった。

 瞬間移動で一人先に出た彼女が、富皇に剣を振るったのだ。

 富皇はそれを避けた……はずだった。

 が、その切っ先が富皇の腹を掠めた。


「へぇ?」


 富皇はそれに少しだけ驚いた様子を見せる。

 勇者達の攻撃はそれで終わらない。今度はエマニュエルが光り輝く斧を振り下ろした。


「だあっ!」


 今度も避ける富皇。が、その衝撃波が威力を持ち富皇に襲いかかる。


「おっと」


 威力を持つ衝撃波に体勢を軽く崩される富皇。その彼女に向かって、ヨアヒムが叫ぶ。


「くらえっ!!」


 ヨアヒムから放たれたのは、火と風の魔法だった。すべてを燃やす火と、あらゆるものを切り刻む風。

 それが合わさり、炎の竜巻となって富皇を襲う。


「っ!」


 その竜巻は富皇を包み込んだ。そして、包み込むと同時に大きな爆発を起こす。

 三段構えの魔法攻撃である。

 再び爆煙に包み込まれる富皇。


 その攻撃の結果を、三人は油断せず見届ける。

「……なるほど、新しく来た彼の強化魔法で二人を強化し、さらにそこに魔法攻撃を浴びせかける……いいコンビネーションね。一朝一夕で身につく技術じゃないわ。あなた達、昔からの仲といったところかしら?」


 富皇は笑っていた。

 怒涛の攻撃を受けつつも、体に傷を負いながらも笑っていた。

 その姿に、ヨアヒムは眉間に皺を寄せる。


「なるほど……これが魔王か。さっきのコンビネーション、普通だったらどんな魔物でも大ダメージのはずなのに、これとは」

「ええ……油断ならない相手よ」


 シャーロットがゆっくりと頷きながら言う。

 エマニュエルも言葉は発さなかったものの、じっと富皇を見る。


「ふふふふふ……面白いわねぇ。真っ当にやり合ったら、もしかしたらあなた達にも勝つ芽があるかもしれないわね……でもぉ」


 富皇は、そこで懐からあるものを取り出した。

 三人は身構える。だが、富皇はそれを三人ではなく、空に向けた。

 彼女が取り出したもの、それは信号拳銃だった。


「私、正々堂々なんて言葉好きじゃないの。だから、ちょっと戦況を変えるわねぇ!」


 そして、富皇は信号弾を空に向けて放った。緑色の光が輝く信号弾だ。

 奉政と淀美がそれぞれそれを確認する。そして奉政は無表情に頷き、淀美は笑って本陣に返ってくる。


「おい! 見たかよ奉政! あの信号!」

「ああ、アレの使用許可が出たな。この戦場では使わない可能性もあったのだが、帝国の参戦により戦況が傾いた今、再び天秤を傾けるには……という判断なのだろう。ちょうど私達の陣は風上で、敵は風下にいる。条件も申し分ない。松永氏、散布は頼んだぞ」

「おうよ! そっちも派手にばらまけよな!」


 二人はそう言い合うと、それぞれがその作戦のために行動に入る。

 淀美は航空兵にとある物を大量に積ませ空を飛び、そして奉政は本陣近くにいる砲兵に指示を出した。

 そうして準備が行われてすぐ、それは戦場にばらまかれた。


「ん……なんだ? 煙? 煙幕か……? ぐっ!?」

「が、があああああっ!? 皮膚がっ! 皮膚がぁっ!?」


 帝国兵達が、次々と倒れた。

 その砲弾から発せられた煙を吸った者達が、どんどんと死んでいったのだ。

 死んでいくのは帝国兵だけでなく、肉体を持つ魔族も死んでいっていた。

 ウェアウルフやドラゴニュートと言った種が、主に前線で人類と斬り合っていた魔族も倒れていった。しかし最前線を務めていたスケルトンは倒れることなく、また遠くから銃撃していた他の魔族にも影響はなかった。

 倒れていくのは殆どが人間だった。

 みな、煙を吸った後に次々と倒れていった。

 そう、散布されたのは、毒ガスであった。


「……っ!? 貴様、一体何をばら撒いた!」


 惨状を目にしたヨアヒムが叫ぶ。一方で、富皇はゲラゲラと笑っていた。


「アッハハハハハハハハハハハ! やっぱりいいわねぇ、毒ガスで悶え苦しんで死んでいく人間の姿っていうのは!」

「毒ガス……だと!?」

「ええ、そうよ。VXガス……と言ってもあなた達にはわからないでしょうけど、まあとにかく私は毒物の生成知識もあってね。それをもう一人の魔王に教えて、量産させたのよ。幸い、ノーマンズランドにはその手の材料が豊富だったから助かったわ。人体実験も済んでたし、はやく実戦で試したかったのよねぇ。それが、ちょうど風下に帝国兵が現れてくれたんだからありがたいわ。ああ、まさかこれほど効果があるなんて。フフフ」


 言葉を失う勇者達。

 一方で、地獄絵図を見て腹から笑う富皇。

 戦況は恐るべき新兵器によって再び傾いた。

 魔族の、圧倒的優位へと。

 勇者達は、その惨状にただただ言葉を失うしかなかった。

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