屠殺

「ふうむ、なかなかいるわね」


 紫色の空の下に広がる渓谷を見下ろしながら、富皇が言った。

 彼女の見下ろす先には、たくさんの狼が身を寄せ合っていた。

 ただの狼ではない。狼でありながら魔物でもある、魔狼である。


「ノスフェラトゥ」

「はっ」


 富皇は傍に控えていたノスフェラトゥを呼ぶ。

 すると、ノスフェラトゥは右腕を前に突き出し、そこに赤く縦に伸びた楕円を作り出した。

 渓谷の下へと繋がるポータルゲートである。


「ご苦労」


 富皇はそのポータルゲートを通り、魔狼達が群れる渓谷下へと移動する。

 魔狼達は突如現れた富皇に驚き、そして威嚇するかのように唸った。


「まあ、死にかけの存在でありながらも目の前に現れた異物に必死に唸るなんて、可愛らしいわね」


 富皇はまるで子犬でも相手にするかのように魔狼を見て言う。

 一切動じない富皇の姿に、魔狼達は本能的に狼狽え、吠える。


「……何者だ」


 と、その鳴き声の中から、人語が富皇の耳に入ってきた。

 よく見ると、魔狼の群れ中から一人二足歩行で歩み寄ってくる者がいたのだ。

 それは一見すると人のようでそうではなかった。二本足で立って歩いてはいるが、体中に銀色で鋭い毛を生やし、狼の顔を持っている。

 ウェアウルフだ。


「あら、あなたがこの群れのリーダーかしら?」

「そうだ。俺はウェアウルフのグリス。魔狼達を率いている長だ。貴様は何者だ? 一見すると人間だが、ただの人間がこのノーマンズランドを訪れるとも思えん」

「見かけによらず知恵が回るのね。いいでしょう、そちらが名乗ってくれたのだから、私も名乗らないとね。私は宇喜多富皇。別の世界よりこの世界に召喚され、あなた達魔物の新たな王となった者よ」

「王? 貴様が?」


 訝しげな様子で富皇を見るグリス。

 彼と魔狼達の鋭い視線を浴びる富皇であったが、彼女はそんな中でも笑みを絶やさない。まるで笑顔以外の表情を知らないかのように。


「……本来なら一笑に付しているところだが、この渓谷にこうして一人で現れたことを考えると嘘でもないのだろう。それで、その魔王様が一体我らになんのようだ」

「要件は簡単よ。あなた達には、役に立ってもらうのよ。これから遠くない未来に行う、新たな戦争のためにね」

「新たな戦争だと?」


 富皇の言葉を聞いたグリスは、信じられないものを見るかのような目で彼女を見た。


「馬鹿なことを言うな。もう魔物は人間には勝てん。二百年前に人類との戦争に負けてから、我らは緩やかに絶滅へと向かっている。もう、人類に歯向かおうなどという気力もない。何をする気かは知らんが、我ら一族を巻き込むのはやめてくれ」

「そうはいかないのよ。私達の計画には、あなた達が必要なのよ。いえ、正確にはあなた達の『命』がね」

「……どういうことだ」


 グリスは富皇の言葉に警戒する仕草を見せながら言う。グリスと共に、他の魔狼達も臨戦態勢を取る。


「簡単なことよ。あなた達には材料になってもらおうと思っているの。私達がこれから作ろうとしている『火薬』の材料にね」

「何……!?」

「今の魔物は哀れよね。ノスフェラトゥに案内してもらって軽くこのノーマンズランドを見て回ったけど、誰も彼も皆魔物としての矜持を失い、滅びを受け入れている。そこには覇気もなく、生命力もない。こんな状況を立て直すには、ちょっとした無茶が必要なのよ。例えば、あなた達を私達の世界の武器で武装させて、無理やり質を上げる、とかね」

「そのために、我ら一族の命を使おうと言うのか……!?」

「ええ、そうよ」


 ニッコリとして富皇は言った。驚愕し怒っているグリスとは対照的に、である。


「いろいろと見て回ったけど犠牲にするのはあなた達魔狼が一番だという結論に至ったのよね。だってあなた達は、数は他の種族よりも多くいるけど、生きる意思は全然ないんだもの。なら、あなた達には魔族復興の肥やしになってもらうのが一番よね? どうせ死ぬ命ですもの。有効活用させてくださらない?」

「ふざ……けるな!」


 富皇のあっけらかんとした態度で述べられた言葉に、グリスは激高した。

 他の魔狼達も一緒に吠えている。


「確かに我々は滅びゆく一族だ……だが、すんなりと人間に殺されるのを受け入れるほどには落ちぶれていない!」

「そう……じゃあおとなしく素材にはなってくれないのね?」

「ああ……そうだ!」


 その次の瞬間、グリスと魔狼達は富皇に飛びかかった。まるで風のような速さだった。

 普通の人間であれば、一瞬でズタズタにされてしまっていただろう。

 しかし――


「――っ!?」


 飛びかかったはずのグリスと魔狼達は、一瞬にして吹き飛ばされていたのだ。

 富皇を中心に何か強力な力で薙ぎ払われたようであった。


「な、なんだ……!?」


 動揺するグリスと魔狼達。一方で、富皇は何事もなかったかのように手の甲を伸ばし、自分の爪を眺めていた。


「ふうん……なるほど、まあまあね」

「貴様、人間ではなかったのか……!?」


 グリスが地面に倒れ伏せながら聞く。すると、富皇はグリスに向かって言った。


「ごめんなさいね。今回は、私の力を実地で試す意味合いもあったのよ」

「力、だと……!?」

「ええ。ノスフェラトゥが覚醒させてくれた私の力は『暴虐』……純粋に、強大な力を扱うことができるようになったのよ。で、それを試す意味でも今回私はあなた達魔狼を狩りに来たわけ。だってそうでもなければ、私があなた達みたいな畜生の前に現れるわけないでしょう?」

「う……ぐ……!」

「大丈夫、一度で全滅はさせないわ。大量にいるあなた達は、ゆっくりと、少しずつ素材になっていくの」

「に、逃げろお前らぁっ!」


 グリスは魔狼達に号令をかける。その言葉を聞いて、魔狼達は一斉に富皇に背を向ける。


「逃げられるわけなじゃない。ノスフェラトゥ!」


 そんな魔狼達を見ながら、富皇が叫ぶ。すると、魔狼達が逃げようとした先に、黄色い光の壁が現れ、その逃げ道を塞ぐ。


「な……っ!?」

「とりあえずここにいる魔狼達にはみんな素材になってもらうわ。グリセリンの元になる獣皮にね。ああでも、グリス、って言ったかしら? あなたは生かしてあげる。でもその代わり、あなたは自分の一族を私達に捧げるの。このノーマンズランド中に無駄に繁殖しているその命をまとめて献上するの」

「そ、そんなこと……」

「あら、あなたに拒否権があると思って?」


 そう言うと富皇はグリスの腹を踏みつけた。


「ぐがあっ……!?」

「これは交渉じゃないの。命令なの。魔王からあなた達へのね。大丈夫、戦争をしかけるまでは減り続けるかもしれないけど、戦争さえ起こればまた数は増えるわよ。だって……」


 そうしながら富皇は、ずずっとグリスに顔を近づけながら言った。


「ノスフェラトゥから聞いたわよ。あなた達魔族は、嘆きや苦しみ、絶望の念、人の死の断末魔で増えていくって……更に、私達の力もね。なら、戦争でたくさんの絶望を集めていけば、私達の力も、そしてあなた達だってそのうち数を増やせるわよ……安心しなさい。あなたは、一族の長として正しい選択をするのよ……」

「あ……あ……」


 グリスが感じる感情。それは恐怖だった。

 これまで感じたことのない、目の前の存在に対する恐怖だった。

 しかしそれだけではなかった。彼は他にも彼女に感じるものがあった。

 それは、畏敬の念であった。目の前の存在はとても恐ろしく、だからこそ、魔族の、自分たちの長に相応しい、そんな存在だと。

 ゆえに、グリスは答えた。


「はい……魔王様……!」

「よろしい」


 グリスの答えを聞いた富皇は彼から足をどかす。

 先程までの行為とはかけ離れた、可愛らしい笑みで。


「さあ……魔族復興の始まりよ。その命、私に捧げなさい」

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