素人商売

増田朋美

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今日は、よく晴れて、暑い日だった。6月というのに暑くてみんなエアコンを使用していた。いまからエアコンに頼りっぱなしでは、七月や八月の時にどうしようと思うのだが。それでも暑い1日であった。

その日は、お琴教室の仕事はなかったので、浜島咲は、何となく素人が通信販売を行う、いわゆるフリマアプリを開いて、着物の販売ページを眺めていた。いつも、お琴教室を主宰している下村苑子さんに、着物はしっかり着ようと注意をされてばかりなので、苑子さんがなるべく理想的と言っている着物や帯を必ず入手したいと咲は思っている。今更転職しても、やれそうな仕事もないし、それならずっと苑子さんのそばにいて、お琴教室の手伝いにんでいたほうが、よほど、生活できるようなきがする。お琴教室で、理想的といわれる着物は、いわゆる色無地か、極鮫などの江戸小紋であるが、それで検索してみると、江戸小紋とつくものは、なんだか地味すぎて、自分には似合いそうも無さそうだった。それでも、江戸小紋は理想的なのだから、用意しなければならないなと思ったので、咲は一番値段が安かった着物を購入した。同時に帯も買いたいと思ったところ、同じ出品者のページに、赤い青海波の柄を入れ込んだ帯が出品されている。値段はたったの500円しかない。咲は、これはかわいいな、と思って、その帯の購入ボタンを押した。着物と合わせても、合計2500円しかなく、本当にお得な買い物だ。きっと、咲にとっては、お買い得な買い物だが、売る側にとっては、そのくらいまで値段を下げないと売れないのだろう。2500円の儲けでは、本当にたいしたことはない。

とりあえず、注文は確定したが、フリマアプリは大体料金前納制であった。商品が届く前に、代金を支払うシステムになっている。大体コンビニなどで、振り込む場合がほとんどだ。咲は、今日は、仕事も休みだし支払ってきてしまうかと思って、家の近くにあるコンビニに向かった。コンビニは、家からすぐ近くだ。ゆっくり歩いても五分はかからない。コンビニに入ると、客は誰もいなかった。ただ、のんびりした顔で店員が眠そうにレジの前にたっていた。

「あのすみません。支払いお願いします。」

と、咲はスマートフォンを見せた。そこにはフリマアプリから、払込票番号が表示されていた。店員ははい分かりましたと言って、払込票番号をレジで打ち込む。すると、レジの画面にフリマアプリの名前と、金額が表示されたため、咲は確定ボタンを押した。そして、レジの投入口に、2500円を入れて支払った。お釣りは、ぴったりの価格だったので、出なかった。あとは、店員から控えのレシートをわたされて、それに印鑑を押してもらって、支払いは終了する。

「はい、どうもありがとうございました。又お越しくださいませ。」

と、店員に頭を下げられて、咲は、はいありがとうございましたと言って、そそくさとコンビニを出ていった。

と、同時に、介護タクシーが、コンビニの前で止まった。誰か車いすの人でも乗っているのだろうかと、思ったら、運転手に付き添われて降りたのは杉ちゃんだった。

「よ、はまじさんじゃないか。今日は暑いなあ。もう単衣の着物で十分だよね。僕は絽よりも黒大島のほうが好きだけどね。」

と、杉ちゃんは、デカい声で言った。

「そうねえ。あたしも少しは着物の事をわかるようになったのよ。絽は、梅雨明けしないと着ちゃダメでしょう?確か、大暑の時から、立秋くらいまでしか、着ちゃいけないって、本に書いてあったわ。」

咲は、杉ちゃんに言った。

「その通り。絽は確かにその時期に着るもんだけどさ、僕は、どんなに暑い時期でも黒大島を着ているんだ。確かに絽は、大暑のときに着るもんだけど、全部の国民が絽を着なきゃならないという法律は何処にも無いからね。其れよりも、はまじさん、一体ここへ何しに来たんだ?僕は、ちょっと喉が乾いたので、お茶を買おうと思ったんだけど?」

「ええ、あたしは、着物を買って、その支払いに来たのよ。」

杉ちゃんに言われて、咲は急いで言った。

「ああ、どっかの通販サイトかい?まあ、通販で買うと碌なものが無いって、よく言うけど。」

と、杉ちゃんは、そういうが、

「ええ、通販サイトというか、フリマアプリよ。個人個人で、商品を売買するアプリ。最近流行りなのよ。」

と咲は言った。

「そうなんだね。店よりも碌な奴がいなさそうだけど、ちゃんと、確かめたのかい?素材の知識とか、柄の知識とか何もなく売られると、買って後悔する事の方が、多いんじゃないの?」

確かに杉ちゃんの言う通りでもあった。最近は誰でも手軽に店をだせるという時代だが、着物等の伝統的なモノを売る場合、それにまつわる知識を売ることは成功していない。だから、知識なしで、モノだけが手に入るという時代になってしまっている。

「ええ、もうお金も支払ってしまったわ。それに、2500円しかしなかったんだし、それくらいのお金じゃ、どうせ大したモノじゃないわよ。」

咲は、とりあえず杉ちゃんにそういうことを言っておく。

「そうか、じゃあ、買った物がどんなの何だか、見せてみな。どうしても、気になっちまうんだけどね。」

と、杉ちゃんに言われて、咲はスマートフォンを取って、先ほどの着物の画面を彼に見せた。

「はあ、こりゃあ見事な極鮫じゃないか!こんな物本当に2500円でいいのかな?もしかして間違いじゃない?」

杉ちゃんが、素っ頓狂な顔でそういうことを言うので、咲はびっくりする。

「ちょ、ちょっと杉ちゃん、そんなにこれ、すごいものなの?」

「当たり前だ!こんなすごいもん、2500円で売る方が間違いだ。代引き手数料があるとしても、そんな値段じゃ着物がかわいそうだよ。これは、正絹の手描きの極鮫。新品で作って貰ったら、すごい大きな値段がかかって、その十倍以上する。」

杉ちゃんに言われて咲は、自分がそんなものを買ってしまったのかと、驚きの気持ちでいっぱいになった。

「そうなのね。種明かししたら、これ2000円だったの。あとの500円は、この帯の値段よ。」

「そうか、じゃあその帯も見せてくれ。」

咲は、杉ちゃんに言われて、その帯の画面をだした。

「はあ、これもすごいなあ。礼装用の丸帯じゃないかよ。これは、江戸小紋につけても間違いではないが、できれば振袖とかそっちの方につけてもらいたい帯だなあ。」

「ということは、杉ちゃん、この組み合わせで、お箏教室へ通勤するのは、間違いなのかしら?」

咲がそう聞いてみると、

「そうだねえ。これはやめた方がいいよ。ちょっとお箏教室へ通勤するのには、ぜいたくすぎる。洋服で言ったら、これは礼装用の着物だよ。だから、略式の結婚式とか、そういう時に着るんだよ。」

と、杉ちゃんは答えた。

「でも、苑子さんは、江戸小紋を着てくるようにと、私に命令してたわ。」

咲が小さい声で言うと、

「そうだけど、そういうときの江戸小紋は、極鮫ではなく、ほかの鮫小紋を使いなよ。鮫小紋には、並鮫、中鮫、極鮫と、三段階ある事に、気が付かなくちゃ。お箏教室に着るんだったら、並鮫位がいいんだ。」

と、杉ちゃんは答えた。そうか、鮫小紋には、そんな階級があったことも何も知らなかった。それぞれの階級にあわせて、用途を変える事も知らなかった。

「誰もおしえてくれなかったわ。江戸小紋には、そんな順位があったなんて。」

「おしえてくれなかったじゃなくて、自分で調べるのが、日本社会では当たり前だからねえ。まあいい、失敗をしてから、学ぶことだってあるんだ。極鮫というのは、お箏教室に着ていくのは極端すぎるから、並鮫という着物を買いなおしな。きっと苑子さんだって、極鮫を着て通勤されたら、ちょっと、オーバーだって注意すると思うよ。極鮫とはそういうものだ。」

杉ちゃんはにこやかに笑った。咲は、もう支払いが済んでしまったので、フリマサイトでは返品はできないということを思いだした。それでは、杉ちゃんに言われる通り、別の江戸小紋を買いなおさなければならない。

「杉ちゃん、鮫小紋には階級があるってことをおしえてくれてありがとう!あたしこれから気を付けるわ。今回買った極鮫と、丸帯は、お箏教室には、難しいというわけね。忘れないように、書いておくわ。」

咲は鞄の中から急いで手帖を出して、お箏教室に極鮫は使わないと書いた。

「じゃあ、何を着ればいいの?其れもおしえて頂戴。通勤して恥をかかないようにちゃんと買いたい。」

「おう、並鮫と書いてくれ。鮫小紋で一番階級の低い奴。あと、帯は、袋帯か名古屋帯。お前さんは既婚者じゃないから、袋帯の比較的簡素な柄の奴を選ぶと良い。」

杉ちゃんに言われて咲は急いでそれを手帖に書く。

「分かったわ。お箏教室に着るのであれば、並鮫と検索すれば良いのね。ありがとう、助かったわよ!」

「そうだねえ。その鮫小紋には、階級があるということを、ちゃんとおしえてくれる通販サイトがあるかどうか、それが問題だ。」

咲がそういうと、杉ちゃんは、ひとつため息をついた。

「ええ?そうなってしまうの?」

と、咲は言いかけたが、確かにそうかもしれないとおもった。確かに、フリマサイトの何処にも鮫小紋には階級があるなんて書いていなかった。並鮫、中鮫、極鮫の違いは、客である自分の目で判断しなければならないのだ。

「説明書きがないと、違いなんて何もわからないわ。どうやって違いがわかるもんなのかしら?杉ちゃんはどうして極鮫だと分かったの?」

「いやあ、単に鮫小紋の染め方が細かかったし、鮫小紋に付随する柄も入っていないし、それで判断したよ。並鮫のほうが、もっと荒っぽい感じで染められているからすぐわかるよ。」

杉ちゃんはそういうが、そのあたりが咲はどうしても理解できなかった。そのあたりの簡単な見分け方を、おしえてくれればいいのだが、そういう方法はサイトにもくわしく書いてないし、知っている人に聞いても、ちゃんと答えはえられないことが多い。

「まあ、できれば、並鮫、中鮫、極鮫を買ってみてさ、それで比べてみると良いよ。どうせ、安い値段しかしないだろう?」

と、杉ちゃんに言われて咲は、そうするしかないと思った。

「そうね。それくらいしか値段しないんだったら、そうしようかな。どっちにしろ、着物はあたしには必要な物だし。会社の制服と同じだもんね。制服はちゃんと着なきゃならないわね。」

「そうそう。そうして覚えていってくれ。なんでも体験しなきゃ身につかないから。その階級があるってことに、ちゃんと気が付けただけでもよかったじゃないか。本当は、商売やるなら、ちゃんと知識をもって売るのが当たり前なんだけど、そういう素人商売じゃ、知識も深まらないよな。」

「そうね。あたしももっと着物の事を勉強しなきゃだめだわ。もっと細かい事が書いてある資料を探すわ。」

咲は、にこやかに笑って、スマートフォンを杉ちゃんから返して貰った。それでも、お金を無駄使いして悔しいとは思わなかった。そういう失敗は、伝統文化を学ぶ人間であれば一度や二度は経験すると、花村さんから教えてもらったことがあるからだ。だから、今回もそのひとつとして、気にしない事にした。極鮫の着物が来ても、礼装用として、自宅に保管しておけば良い。また、着る機会も出てくるに違いない、と咲はおもった。

そのころ、遠く離れた、咲や杉ちゃんの知らない場所で。道路側に一軒の小さな家が在った。その家の住人は先日亡くなったばかりで、家は区画整理に引っかかって、取り壊すことになっていた。その家の住人の妹である、金子雅江は、姉が生前に残していた物を処分する作業に追われていた。

「こんなもの、よく持っていたわね。お姉ちゃんは。全く何処で買ったのかしらねえ。」

と雅江は、桐箪笥を開けてみて、そういうことを言った。

「ああ、今はやりのネットオークションとかそういうもんだろ。今は着物だって、比較的安く買える時代だというし。」

雅江の夫は、別の箪笥の中身を取り出しながら、そう言い返した。

「そうかしら、そういうもので買ったという感じじゃないわよ。着物は全部たとう紙に入ってるわ。すごい大切そうにしまっているし、リサイクル品とはとても思えないわ。」

雅江は、箪笥の中から一枚の着物を取り出した。

「こんな小さな点ばかりの着物、何処がかわいいというのかしらね。花柄とかそういうものだったらまだ買い取って貰えるでしょうけど、こんな何を書いてあるのかわからない着物なんて、買い取ってもらえるのかしらね。」

確かに、その着物は、極鮫という物であった。鮫小紋の中でも最高峰というものであるが、雅江はそんな事何も知らない。

「まあね、お姉さんは、確かに勉強家だったからね。何でも、徹底的に勉強して、色んなものを体験して、それであれだけの着物の知識を身に着けたんだ。この着物だって、お姉さんに言わせれば、すごいものかもしれないよ。」

と夫は言うが、雅江はこんなものは鬱陶しいだけの存在に過ぎなかった。確かに姉信子はよく着物を着ていた。でも、姉が、着物を着ているのは、姉が太っていて、一般的な洋服が入らなくなったからだという認識しかなかった。

「私からしてみれば、姉は、ただ、必要のない知識を身に着けて、それでうごいているようにしか見えない。今回自殺したのだって、本当はこれでよかったのよ。だってどうしても生きたくないって、姉は何回も漏らしていたもの。」

雅江は、引き出しに入っている着物を一枚一枚確認して、大きなため息をついた。

「あーあ、これではどれもお金になりそうな柄がないわ。今風というか、派手なものであればお金になるって、親戚からは言われたんだけど。」

確かに、着物はみんな橘や菊など古典的な柄ばかりであった。そういうものは、比較的買い取り屋さんに持ち込まれてもさほど高額にはならないと、雅江は聞いたことがあった。

「これなんて、買い取り屋さんに持って行っても、二束三文でしょうね。其れなら、もう燃えるゴミに出してしまおうかな。本当は、この家だって、燃やしてしまいたいくらい。だって、姉は結婚もできなくて、ひとりでは暮らしていけなかったのに、ゆうゆうとこの家に住んで、私たちが世話をしていたんですからね。何回、自殺したいと言って、迷惑をかけられたと思っているの?私に謝罪もしないで死んだのよ。あの人は。」

「まあそうかもしれないが、お姉さんはお姉さんなりに、一生懸命やったんだと思うよ。それを、俺たちが、処分してしまうのは、お姉さんに悪いんじゃないか?」

夫は、時折、そういう心霊的な事をいう癖があって、それが雅江を苛立たせた。

「ということは、あなた、幽霊の存在でも信じているの?」

と、雅江は思わず突っ込むと、

「そういうことじゃなくて、幾らお姉さんが病気があって、意思の疎通が難しかったとしてもだよ。それを、俺たちで全部消してしまうということは、いけないんじゃないかと思うんだ。それは、お姉さんが病気ではなくても、それは、同じなんじゃないか?お姉さんの事をもみ消してしまうというか、なかったことにしてしまうというのは、いけないと思うけどねえ、、、。」

夫はそういうことをいう。何そんなに優柔不断なんだろう、男って人は、と雅江は思った。

「何をいうの!私たちにさんざん迷惑をかけて、お金を残すことすらできなかった女の、後片付けまで強いられるなんて、こんな不条理な事ってあると思う!」

雅江はちょっと激していった。

「まあ落ち着け。お姉さんは確かにそういうひとだったかもしれないが、お姉さんが持っているのは、ずいぶん立派な着物だ。それを、燃やしてしまうというのはもったいなさすぎる。二束三文でも良いから、買い取ってもらった方が良いのではないかな?着物には、罪はないんだからさ。」

夫は、そういうことを言っている。なんでそんなに面倒なことをまたいわなきゃいけないんだろうと雅江は思いながら、

「だからさっきも言ったでしょ。高額で買い取ってもらえる見込みはないのよ。こんな古典的というか、伝統的な柄ばかり、今時の若い子に似合わない古臭い柄ばかりだわ。それでは持っていくときにくろうするだけで、何も得にはならないわよ。」

と、夫に言った。でも、夫はまだ、姉の祟りがあるのではないかと思っているらしい。もしかしたら姉が暴れているときのことを思いだしているのかもしれなかった。あの時はこの世のものではないような、叫び声だったから。

「そういうことだったら、こちらで値段をつけて売ろう。今は、店を構えていなくても商売できる時代だよ。フリマアプリという物があるから、それに出品してみれば良いじゃないか。誰か、欲しがっている人が、見つけてくれるかもしれない。そうすれば、欲しがっている人のところに行くことができて、着物も喜ぶと思うよ。」

夫はそういうことを言って、スマートフォンを取り出した。雅江は夫のスマートフォンを見て、沢山の着物が1000円とか、2000円で売られている事に気が付いた。

「良いわ、これでやってみることにする。」

雅江は、自分のスマートフォンに同じアプリをインストールし、アプリの指示通りアカウントを取って、早速出品し始めた。出品は、写真を撮って、値段をつけて、それに簡単な説明をつければいい。着物の事だから、たいして説明もなくてもいい。どうせ、ほかの人だって、リメイクの材料としかみなさないから。

「じゃあ、この点々だらけの着物は何円にしたらいいのかしら。じゃあとりあえず、私が得をする、2500円としておけばいいかしらね。売れるかどうかわからないけれど、これをやってみるわね。」

雅江は、その着物の画像を撮影して、着物、2500円と打ち込み、出品を完了させた。つづけてほかの着物も同じようにやっていると、彼女のスマートフォンが音を立ててなる。

「ほら、早速注文が来たかもしれないぞ。」

夫に言われて、雅江は、すぐに注文画面を見た。すると例の、点々だらけの着物に、購入希望者が出たというので、彼女は目を疑ってしまう。

「いたんだわ。」

と、雅江は小さな声でつぶやいた。

「だれでも何処かでつながっているということだ。」

夫は、驚いている彼女を見ながら小さい声でつぶやいたのであった。




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素人商売 増田朋美 @masubuchi4996

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