第5話 だって、そっちのほうがいいだろ?


 屋上へと続く階段、理科室の奥の準備室、水の張っていないプール──学校の人気のない場所を、わたしと零くんはいくつも巡った。


 そして、


「零くん、いました……!」


 校舎裏の、使われていない焼却炉、その裏側に、幽霊さんは隠れるようにしてうずくまっていた。


 幽霊さんの顔は、いまも涙で濡れている。


「そうか、そこにいるのか」

「零くんには、見えませんか?」

「うむ。なにも見えないよ」


 零くんは残念そうに言った。それを聞いたわたしも残念だった。わたしの世界と、零くんの世界は、交わらないんだ。


 ……いや、いまは残念がってるときじゃない。


「あ、あのっ」


 わたしの呼びかけに、幽霊さんはビクっと肩を震わせた。


 それを見て、わたしの胸にヒビが入ったかのような痛みが走る。幽霊さんはきっと、だれかに見つけられる度に、あんな風に怯えていたんだ。


「ま、まってください! 行かないで!」


 逃げだそうとする幽霊さんに、わたしは大声で呼びかけた。だけどその大声が、よけいに幽霊さんを怯えさせてしまう。


 どうしよう、どうしよう、どうしよう。


 このままじゃ、わたしのせいで、このままじゃ、どうしよう、このままじゃ、わたしのせいで、どうしよう、どうしよう、このままじゃ──


「ちがうだろ、柊」


 零くんが、わたしの肩にそっと手を置く。


「その言葉はちがう。そうじゃなかったはずだ」


 零くんのおちついた声が、耳から入り全身に響いた。わたしの中にあった焦りが、魔法のように消える。


 そうだ。この言葉はちがう。胸に手を当て、わたしは長く息を吐く。


 ……よし。


「Just a moment please (待ってください)」


 わたしがそう言うと、ふたたび幽霊さんはビクッと肩を震わせた。さっきとちがうのは、怯えているのではなく、おどろいているということ。


「Just a moment please(待ってください). Please listen to me(話を聞いてください) 」


 幽霊さんはあきらかに、わたしの言葉に耳をかたむけている。


 零くんの言ったとおりだ。やっぱり幽霊さんは、日本語が不得意だったんだ。


 それから、前もって用意しておいた英文を読みながら、わたしは幽霊さんにうったえ続けた。


 さっきは酷いことを言ってごめんなさい。あなたを傷つけるつもりはありませんでした。わたしはあなたに、伝えたいことがあります。


 あなたは亡くなっているんです。だから、隠れる必要はありません。あなたを傷つけていた人たちは、みんないなくなりました。あなたにはもう、学校に囚われる理由がないんです。


「I'll help you too (ボクも手伝うよ)」


 零くんも幽霊さんに語りかける。姿が見えていないので、視線は見当ちがいのほうを向いていたけど。


「I pray for your soul may rest in peace(きみの冥福をボクは祈るよ)」


「m、me too(わ、わたしも)!」


 幽霊さんは、わたしと零くんを交互に見る。その目にはもう、涙を浮かべてはいなかった。


「Sara」


 やがて、そっとつぶやく幽霊さん。


「サラ……そっか、サラっていうんですね? あなたの名前はサラさん。えーっと、グ、グッド、good nameです!」


 必死に言葉をつむぐわたしがおかしかったのか、サラさんの表情が、フワッと花が咲くようにゆるんだ


 と、思った、そのとき、


 目の前のサラさんが、一瞬で消えてしまった。


 なんの前触れもなく、なんの痕跡も残さないで、サラさんはいなくなってしまった。


「柊、どうしたんだい?」

「……サラさんが、消えてしまいました」

「そっか。いってしまったんだね」

「あれで、よかったのでしょうか」

「よかったんじゃない? サラって名前だろう? 気を許していない相手に、名前を教えたりしないさ。ましてや、名前をまちがっていた相手に」

「うっ、それを言われると……」

「大切なのは、柊が納得できたかどうか。柊の世界なんだから」

「わたしは……あれで、よかったと思います。なんとなく、そう思うんです」

「じゃあ、それでよかったんだよ。サラさんに、ボクらの声は届いたんだ」


 それから、わたしたちはサラさんが立っていた場所へ向け、手を合わせて黙祷をした。


「さて、今日はここまでにしよう。本格的な供養は、また明日」

「零くんは、納得したのですか? その、幽霊がいることに」

「いいや」


 零くんは肩をすくめた。


「ボクはなにも見なかったし、なにも感じなかった。納得なんてできない。……そうだな、ボクの世界で考えるなら、やさしくて共感力の高い柊が、友だちから幽霊のウワサを聞いて、そんな幻覚を見てしまった、とかね」


 あれは幻覚なんかじゃない──とは否定しなかった。大切なのは、わたしの納得。零くんが、何度も教えてくれたこと。


「わたしも零くんの世界は否定しません。しませんが、一つ訂正させてください」

「なんだい?」

「ウワサを聞いたのは、友だちからではなく、ただのクラスメイトからです」

「なんて悲しい訂正だ……」

「わたしの世界だと、そうなんです。小山内さんには、面と向かって怖いと言われてしまいましたし」


 そのことを思い出すと、心がぐっと重くなる。


「うむ」


 零くんはあごに手をあて、考えるそぶりを見せた。


「小山内、名前、名前……か」

「零くん?」

「いや、今回の事件は名前がキーだったろう? 名前、そして誤解が」


 名前と誤解。たしかにそうだけど、それが?


「小山内、あるいは長内は、青森や北海道など、東北地方に多い苗字なんだ。その由来はアイヌ語で川の乾いた沢、という意味のオッ・サ・ナイから来ているって説がある」

「アイヌって、北海道に古くから住んでいる、少数民族ですよね?」

「そう。つまり小山内さんとやらは、東北地方出身の可能性がある。少なくとも、ご両親のどちらかは、そうだろう」


 零くんて、苗字にもくわしいのか。


「小山内さんとやらは、図書室で勉強していただけで、怖いと言ってきたんだろう? それって、唐突すぎないか?」

「それは、そうですが……」

「でも、東北地方出身なら、こんな解釈ができる。東北地方で『こわい』とは、『疲れる』って意味の方言だ」

「あっ!」 

 

 ──でもさ夜野目さん、学校で勉強したあと、放課後も学校で勉強するなんて、かなり怖いよね。

 

 小山内さんの言葉が、脳裏にフラッシュバックした。


「じゃ、じゃあ、わたしは誤解して……? 『怖い』じゃなくて『こわい』だった? 小山内さんはただ、疲れるよねって言いたかっただけ? いまの話、もし、ほ、ほんとうだとしたら──」

「ボクはほんとうだと思う。だって、そっちのほうがいいだろ?」


 そう言って微笑む零くんに見とれながら、わたしは自然とうなずいていた。


 また、だ。また、零くんの言葉によって、世界がガラッと変わってしまった。


 いま、わたしの心は羽のように軽い。まるで、ずっと着けていた重りを外したかのような、ずっとかけられていた呪いが解けたかのような、そんな、気持ち。


 ……あぁ、そうか、呪術解除師マジックキャンセラーって、こういうことだったんだ。


「柊、ボクはこれから、駅前のショッピングモールに行くよ。サラさんの供養に使うものを買いたいし、本屋で新刊もチェックしたいし」

「あの、零くん」

「なんだい?」

「わたしも行ってはダメですか?」


 自分の言葉に自分でおどろく。わたしって、こんなに積極的になれたのか。


「その、サラさんに、me too(わたしも) って言ったので、わたしにも手伝わせほしいんです」

「あのさあ」


 あきれ顔の零くん。それを見て、ギュ~っと心臓がしめつけられる。まるで、見えない手で、心臓をわしづかみにされたかのような。


 うぅ、出すぎたマネをするんじゃなかった。わたしといっしょにお出かけなんて、したくないに決まってる。


「柊、言っておくけど」

「……はい」

「きみも行くに決まってるだろう」

「……………………え?」

「なにを意外そうにしてるんだ。柊も行くんだよ。ボクはもう、きみを離さない」

「ふえっっ!?!?!?」

「今度はなにをおどろいてるんだ」


 いやいや、いやいやいやいや!!! おどろくよ! おどろくでしょ!


 顔が熱くなるのがわかる。零くんこそ、なにを真顔で言っているんだ……!


「ボクはきみを離さない。だってきみは──見鬼の才を持っているから」

「……は?」

「幽霊とかアヤカシとか、その手の類いを感じる力、それが見鬼。柊のような貴重な存在を、オカルト好きとして放っておくわけにはいかない」

「…………」


 いや、まあ、そんなところだと思っていましたけどね? いや、ほんと、期待なんて、これっぽっちもしてませんが?


「今度は固まってしまったよ。おもしろい子だよな柊は。ほら、行こう」

「っ!?」


 零くんが、わたしの手をとった。見鬼発言で冷めた顔が、いともたやすく熱くなる。


「手、イヤだった?」


 わたしの顔をまっすぐ見ながら、零くんがたずねる。この人はいつも、大きな瞳で、わたしをじっと見るんだ。


「ねえ、イヤだった?」

「……イヤ、じゃ、ないです」

「それはよかった」


 だと思ったよ、と言わんばかりの余裕の笑みを見せる零くん。くやしいけど、じっさいイヤじゃないからしかたない。


 ……イヤじゃ、ないんだよね。


 つないだ手の指から、じんわりと温かいものが、体中に広がっていく。


 見鬼の才とやらをもつわたしの目にも、その温かいものの正体は、まったく映らないのであった。

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感崎零の怪異潰し 星奈さき @bumping

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