第4話 そうじゃないと悲しい


「アグリさん。なつかしいな。そのウワサはボクも知っている。校内じゃわりと有名だけど、しかし、実際に目にした人はいない」

「わたしが視たアグリさんは、なにかの見まちがいだったのですか? わたしには、とてもそうは思えないんです」

「見まちがいとは思えない……それでいいのかい?」

「え?」

「柊は言っていた、わたしはオカルトが好きじゃないって。柊にとっては、見まちがいであったほうが、オカルトではなかったほうが、都合がいいのでは?」


 たしかに、オカルトは好きじゃない。幽霊なんて見たくない。


「柊には、ほかに言いたいことがあるんじゃないか?」


 零くんの言葉で、わたしは自分の気持ちに気づく。


「……えっと、えっと、アグリさんは、たしかにいたんです。泣きながら、怨めしそうに、わたしを見ていたんです。それを、ナシにはできません。えっと、その、ナシにしてはいけない、気がするんです」


 零くんはだまって先をうながす。


「わたし、幽霊を見たくないです。でも、アグリさんは、だれにでも視えるものではないので、だから、その、わたしだけは、視えるわたしだけは否定したくない、というか。……そうじゃないと悲しい、というか……」


 なにを言っているのか、自分でもわからない。だけど、これがわたしの本音だった。


 零くん、あきれてるんじゃないか。そう思って、表情をうかがう。


 零くんは、あきれてはいなかった。その代わりに、おどろいていた。


 意表を突かれたとか、意外なことを言われたとか、そんな感じの表情。


 あれ、変なこと言っちゃった?


「……なるほど、なるほどなるほど、なーるほど。柊、きみってやさしいんだね」

「っ!? わたし、やらしいですか!?」

「やらしいじゃない、やさしいだ」

「あ、あぁ、やさしいですか……自分がほめられるイメージがなくて、やらしいと言われたのかと」

「やらしいと言われるイメージはあるのか」


 まあ、やさしい、よりは。というか、なんでわたしがやさしいの?


「柊、考えてみようか」

「え?」

「どうしてアグリさんは泣いているのか。いや、そもそも、どうしてこの学校に〝出る〟のか」

「でも、零くんは、怪異は存在しないって」

「存在しないよ。ボクの中では。でも、ちがうんだろう? 柊、きみの中では、怪異は存在するんだろう?」


 わたしはだまってうなずいた。


「じゃあそれは、きみの中では真実だ。きみは幽霊を見た、幽霊を見た──と思った。そう思って、心が納得したのなら、それは、きみの中では真実だ」


 そうだ、わたしは納得している。心の底から、幽霊はいると、納得している。


「ボクはそれを否定しない。それをどうこう言ったりしない。ボクにはボクの納得が、柊には柊の納得が、ボクときみには、それぞれの世界がある」


 幽霊が存在する、わたしの世界。幽霊が存在しない、零くんの世界。


「だから、考えてみよう。柊が納得できるように、柊の世界で」

「……どうして、ですか?」

「うん?」

「どうして、そこまでしてくれるんです? 零くんは、ちがう世界の住人なのに」

「納得したから、かな」


 零くんは微笑んだ。まぶしすぎて、目をそらす。笑顔を見るのは二度目だけれど、慣れる気がしない。


「柊の言葉に、納得したんだ。たしかに、存在しているのにそれをナシにするのは悲しい。それに」

「それに?」

「……いや、なんでもない」


 なぜか零くんも、わたしから一瞬目をそらした。


「それより、アグリさんはどうして泣いているのか、考えてみよう。柊、くわしく話してくれるかい?」

「はい、もちろん」


 もちろん、なんて積極的な言葉、使うのはいつ以来だろう。もしかして、はじめてかもしれない。


 そうか、わたしって、だれかと幽霊の話がしたかったんだ。


「うむ。一から十まで、細大漏らさず、委曲を尽くして、余すところなくお願いするよ」


 胸に手を当て、深呼吸。


 さきほどの体験を、わたしは零くんに語った。

 

 

 

「……なるほど、なるほどなるほど、なーるほど」


 わたしが語り終えると、零くんは神妙な面もちでうなずいた。


 零くんなら、わたしの話をしっかり受けとめてくれるとは思っていたけれど、思ったよりも真剣な目つきだ。


「……零くん?」

「少し、時間をくれないか」

「は、はい」


 零くんは目を閉じて、眉間をつまむように押さえた。


 零くんが目を開けたのは、それから間もなくのことだった。


「わかったかもしれない。幽霊の正体が」

「ほんとうですか!?」

「ただ……」


 零くんは言葉をにごし、わたしの顔をじっと見る。目力の強さに、とうぜんわたしは目をそらす。


「えっと、ただ……なんです? 話しにくいのです?」

「そうだね、話しにくいな」


 零くんの視線は、わたしをとらえ続けていた。


「ねえ柊、ほんとうに、霊の正体を聞きたいかい?」


 わたしは気づく。零くんはたぶん、わたしを心配している。アグリさんの正体は、わたしがショックを受けるものなんだ。


「……聞きたい、です。零くん、聞かせてください」


 でも、わたしはそう答えていた。いまさら引き下がれなかった。


「うむ。わかったよ。まあ、ボクの考えがまちがってる可能性もある。だから気楽に聞いてほしい」


 そうは言われても。わたしはお腹にグッと力を入れて、零くんの話にそなえた。


「さて、さてさてさて、幽霊、幽霊の正体。さきほどの鬼のように、まずはその特徴を挙げていこう。一つ、幽霊は学校の地縛霊。二つ、体中が血まみれ。三つ、悲しそうに涙を流す。四つ、アグリという言葉を唱えると、苦しそうにする。五つ、幽霊は、柊の問いかけに応えなかった。……あとはどうだろう?」

「あとは、わたしの行くところについてきたことと、怨めしそうにこちらを見てきたこと、ですね」

「なるほど、柊の世界では、そうなんだね」


 え? わたしの世界では?


「さて、これらの特徴をふまえると、ボクはある可能性に思いたった。もしかすると、幽霊を成仏させてあげられるかもしれない。もちろん、柊の世界の中で」

「教えてください。どうしたらいいのですか? そして、アグリさんの正体とは?」


 零くんの目が、一瞬光る。それはまるで、「いいんだね?」とわたしに問いかけるようだった。


「柊、これも鬼と同じだ」

「同じ?」

「幽霊は学校に出る地縛霊。つまり、学校に強い未練があるにちがいない。悲しそうに涙を流していたのは、学校でなにかがあったんだ。図書室をウロウロ移動していたのも、そういうことだろう」

「え? 図書室をうろついていたのは、わたしの跡をつけていたからでは? アグリさんはわたしを見張っていて、わたしの行くところについてきたんです」

「柊の世界ではそうだった。でも、ボクの世界ではちがう。柊、幽霊はきみがふり向くと、すぐに逃げてしまったんだろう? ボクにはそれが、幽霊が柊を避けていたとしか思えないんだよ」


 アグリさんが、わたしを避けていた? 跡をつけていたんじゃなく?


「ねえ柊、こんな経験はないかな。本屋でも雑貨屋でもなんでもいいのだけど、お店の中で、歩くルートや買いたい品物が偶然いっしょで、同じ客と、何度も鉢合わせして気まずくなること。おたがいに、『うわ、またこの人と目が合っちゃった』って思うこと」

「っ!? それって!」

「そう、柊も言っていたじゃないか。自分が邪魔をしてしまっているのかもって。そう、それは当たっていた。偶然だったんだよ、幽霊は柊の跡をつけたんじゃない、むしろ避けていた。でも避けた結果、偶然また鉢合わせしてしまった。そういうことは、よくあることだ」

「じゃあ、わたしを怨めしそうに見ていたのは……」

「幽霊は幽霊で、こう思っていたのかもしれないよ。『せっかく避けてるのに、どうしてわたしのところに来るんだ』って」


 鬼のときといっしょだ。零くんの言葉で、アグリさんの印象が、ガラッと変わってしまった。


「さて、つぎに呪文について考えてみよう」

「呪文? ……あぁ、呪文って、アグリアグリアグリって、何度も唱えるアレですね?」

「うむ。柊は不思議だと思わないかい? どうしてアグリと唱えることが、対処法になるのか」

「それは……えっと、名前がアグリさんだから、ですよね?」

「どうして名前がアグリだと、それを唱えるのが対処法になるんだい?」

「…………」


 なにも言えなかった。言われてみれば、どうして名前なんだろう。なにも考えず、そういうものだと受けとめていた。


「たしかに、化物の名前を〝看破〟することで、化物を封じるって考え方はある。名前を知る=隠された正体を見破るってことだ。だけど幽霊は、べつに正体を隠していたわけじゃない。ならばどうして、名前を呼んだだけで、幽霊は苦しそうな顔をしたんだろう」


 アグリさんの顔を思い出す。涙でぐちゃぐちゃになった顔を、もっとぐちゃぐちゃにして苦しがっていた。


「ねえ柊、ボクは思うんだ。あの幽霊は、アグリなんて名前じゃないって」

「アグリなんて名前じゃないって……」


 言葉をうまく飲みこめず、バカみたいにくり返してしまう。


「アグリじゃなかったら、じゃあ、なんて名前なのです? というか、どうしてアグリと呼ばれているのですか?」

「逆なんだよ、名前がアグリだからアグリの呪文ができたんじゃない。アグリの呪文が先だったんだ。アグリの呪文が先にあって、あの幽霊はいつしか、アグリと呼ばれるようになった」


 わたしは気づく。さきほどから零くんが、アグリさんを〝幽霊〟と呼んでいることに。


「幽霊は学校に未練があった。幽霊は人を避けていた、人が来ると逃げていた。幽霊はうつむいて涙を流し、そして、アグリという呪文に苦しんでいた」


 まるで、わたしの頭に刻みこむかのように、零くんはゆっくり語りかける。


「これらのことをふまえて、幽霊はどんな状況だったのか、さあ、柊はどう思う?」


 零くんの丁寧な説明のおかげで、わたしはある可能性を思いついていた。同時に、零くんがわたしを心配した理由にも気づく。


「アグリ──いや、幽霊さんはつまり……学校で、イジメられていたのですか?」

「うむ。ボクはそう思う」

「では、アグリという言葉は……」

「幽霊を侮辱する言葉だろう」


 胸が、ギュッとしめつけられる。


「そ、それは、どんな風に?」

「幽霊は、柊の言葉を無視した。それは、そうせざるを得なかったんじゃないか」


 そうせざるを得なかった?


「ねえ柊、もしも日本語が不得意なら、日本語で話しかけられても無視せざるを得ないだろう?」

「ああっっっ!?」


 静まりかえった図書室に、わたしの今日一番の大声が響く。


 それって、それって……いや、でも、ありえないことじゃない!


「ゆ、幽霊さんは、外国人だったんですか!?」

「そうかもしれないし、外国育ちの日本人かもしれない」


 日本語が得意じゃない子が、イジメにあっていた。それは、つまり、


「アグリとは、安栗でも亜久里でもなく、アグリーだった。ugly 意味は『醜い』」

「そんなっ……!」


 一瞬、目の前が真っ暗になる。


 わたしは幽霊さんに、なんてことをしてしまったんだ。


 零くんの言うとおり、アグリは呪文──呪いだった。幽霊さんを傷つける、呪いの言葉。


 それなのに、傷つけられていた幽霊さんが人を襲う悪霊にされて、呪いの言葉であるアグリが、それを退治する呪文として伝えられいたなんて。


 物語は勝者がつくる。被害者が悪者になる。いっしょだ。まるっきり、桃太郎の鬼と。


「柊、だいじょうぶかい?」


 零くんの言葉は、とてもやさしい響きをしていた。


「もちろんだいじょうぶ……ではないです」

「ないんだ?」

「……胸が痛いです。お腹が苦しいです。でも、幽霊さんのほうが、もっと痛くて苦しかったはずです」

「そっか」


 あっさりうなずく零くん。そんなことない──となぐさめないのは、逆にありがたかった。


「柊、行こうか」

「え? どこにですか?」

「幽霊のところ。伝えなきゃいけないことが、あるんじゃないか?」

「でも、幽霊さんはどこにいるか……」

「幽霊が図書室に出たのは、図書室が人気のない場所だからだろう。ならば、ほかの人気のない場所を探せばいい」

「なるほど、では行ってきます。零くん、その場所を教えてください」

「『行こうか』って言ったろ?」


 フッと笑う零くん。


「ボクもいっしょに行くんだよ」

「れ、零くんと?」

「いけない?」


 じ~~っと、わたしの顔を見る零くん。あわてて目をそらす。


「ねえ、いけない?」


 いけない、というか、その、校内をあなたみたいな美少年と歩くのは、目立つというか、悪目立ちするというか、視線と嫉妬を集めるというか……。


「柊、答えてよ」


 体をグッとこちらに寄せる零くん。うぅっ、顔が、顔が近っ!


「……いけ、なく、ない、です」

「うむ。それはよかった」

「だ、だかっ……」

「だか?」


 だから、いけなくないから、顔、近づけるのやめてください……!!!

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